midnight talking
きんと凍えるような風が暗い路地を吹き抜けて、モクマはわずかに身を縮こまらせた。もう暦の上では寒さのピークを越えたはずだというのに、まるで真冬の最中に戻ったような寒さだ。「いやあ、冷えるね今夜は」
そう口にすれば、隣を歩いていた相棒は「そうですね」と同調した。しかし、月明かりに照らされた淡い横顔はその言葉に反していつもと変わらず涼しいものだ。
「……もう少し爆破の火力を強くしたほうがよろしかったでしょうかね?」
そしてチェズレイがそんな物騒な冗談をさらりと言ってのけるものだから、モクマは苦笑する。
「あれでも十分すぎるくらいだよ。爆破したとき結構離れてたけどそれでも熱かったもん、あのときは」
モクマの返事に、チェズレイは機嫌良さそうに「フフ」と口元で笑う。いつも通りの顔に見えるが、やはり今夜の相棒は少し上機嫌だ。それもそうだわな、とモクマは思う。
モクマとチェズレイはここ一ヶ月ほどを費やして調査していた、この街の裏社会でのさばっていたとある組織の本拠に今夜ついに潜入した。そして見事なまでに計画通りの運びで根底から瓦解させたのであった。
この組織の主な資金源は、紛争国への武器の密輸だ。組織の親玉であった男を追い詰め陥落させるだけでなく、輸出を待っている武器が密かに保管されていた倉庫も爆破し大事な資金源も使い物にならなくさせてやった。勿論、情報は余すところなくきっちり回収した上で、だ。
入念な下調べを基にしたチェズレイの緻密な予測と計画は、ここ最近の中でも鮮やかなほどにハマった。帯同し武力面での任を担ったモクマもそのさまには気持ちよさすら感じたほどだったし、それはこの計画を立てた本人であり完璧な仕事を美学とする相棒にとっては余計にだろう。
今夜の〝仕事〟を無事終えてから数十分。モクマとチェズレイは、この一ヶ月拠点にしていたセーフハウスへと帰る最中であった。少し移動してしまえば真夜中の街はすっかり静かなもので、この街を裏から操っていた一つの闇組織が見事に潰された夜とは思えないほど穏やかな空が広がっている。今日は雲もなく、月も星もよく見える。だからこそ今夜はあたたかい空気を留めるものもなく、より冷えているのだろう。
「――あぁ、お前さん、北の出身だから寒いのには結構強い方?」
ふと思いついて戯れのように質問をすれば、チェズレイは再びこちらに視線を向けた。目元を縁取るように描かれた紫のメイクは、暗がりの中でも鮮やかだ。
チェズレイと出会い、同じ道を行くようになってから、二度の冬を過ごした。思い返してみれば、冬場に寒がっているのはモクマの方が多かったような気がする。まあ、そもそもの年齢の差もあるのかもしれないが――と一瞬頭によぎりはしたが、それを言い出すと仕方がないので一旦脇に置いておく。
「まぁ、多少はあるかもしれませんね。それでも、大して変わらないと思いますよ。寒いときは寒い」
そう言ったチェズレイの口からこぼれた息が、わずかに夜空を白く汚す。それでもチェズレイの表情は変わらないから、その言葉をモクマはなんだか意外に思った。
「へえ。お前さん顔に出んからなあ」
「こういう生業ですからねェ。……それについ先日まで南国にいましたから、少し寒さに弱くなってしまったかもしれません」
チェズレイの少しだけ冗談めかした言葉に、モクマは「あー、そうだねえ。それはちょっとわかるかも」と小さく頷く。
少し前まで自分たちは、チェズレイが祖国で負った大傷の療養を兼ねて南国でしばらく過ごしていた。あの場所のあたたかな気候を思い出してしまえば、予定より数ヶ月遅れで訪れることになったこの西の大陸の国の寒さが改めて身に沁みるように思う。
南の国で過ごした束の間のモラトリアムのような日々を、楽しかったと懐かしく思い出す。またいつか、是非とも訪れたい国だった。
――しかし今はそれ以上に、この昏い夜の道を、これまでのように相棒と共に歩くことができる。鮮やかな闇を駆け、この男の懐刀として、泥のような裏の世界を塗りつぶしていく。あたたかな陽の光の中でなんでもない日常を過ごすこと以上に、今のモクマにとってはそれをなによりの幸福に思った。
「こんな夜は、温かいスープでも飲みたくなりますね」
「お、いいね。さんせーい」
チェズレイの言葉にモクマが同意すると、チェズレイは顔を動かしてモクマを見た。いつだって感心するほどに美しい銀糸のような前髪がさらりと小さく揺れ、月光に照らされて淡く光る。
「モクマさん、作ってくださいます?」
「え? ……まさか去年のお前さんの誕生日に作った、なんかすごい材料のスープの話?」
「フフ、それだとより嬉しいですねェ」
そう不敵に笑う相棒に、モクマは内心で冷や汗をかく。あの時は見たことも聞いたこともない材料で作られた、名前も覚えられないようなスープを作らされて大変な目に遭ったのだ。チェズレイが喜んでくれたのは嬉しかったから良い思い出としてモクマの中ではカウントされているのだが、ひとつひとつ調べながら作った上に工程も普段の目分量とざっくりとした下ごしらえで適当に作るモクマの料理と比べ遙かに手間のかかるものだったので、スープ一つ作るのにずいぶんな大仕事だった覚えがある。
「まず、材料がないでしょ」
「作ってくださるのなら、すぐに用意できますが」
「まあそうだろうね……」
予想通りの返しにモクマは肩を竦める。何をどうしてどういうルートで調達するつもりなのかはモクマも未ださっぱり分からないが、チェズレイならその言葉通りすぐに手配できてしまうのだろう。
「いや~……、あれは結構な大仕事だからさ、また今度にさせて。その代わりといっちゃなんだが、豚汁くらいなら作れるよ。それでどうだい?」
モクマの返事に、チェズレイは口元を小さく緩ませて笑う。
出会った頃は人の手料理という時点でまず好まなかったチェズレイが、今ではモクマの手料理を食べ、こうして要求すらするようになった。人というのは変わるものだと思う。
その変化というのもまるでオセロをひっくり返すかようにがらりと変わるのではなく、積み重ねてきた日々の中での彼の変化に対する尽力の賜物であることをモクマは知っているからこそ、モクマはそんな相棒を愛おしいように思っていた。
「是非。あなたが作ってくださるのであれば、なんだって嬉しいですよ」