Everything you want

 中の確かな熱を意識してしまえば、ぞわぞわと焦れったい、足元から痺れさせるような快楽が体を蝕んだ。思わず口からは「ぁ、……ちぇずれ、」と情けない声が零れ落ちて、そんなモクマを組み敷く相棒は、「はい、なんでしょう。モクマさん」とこんな時でもいつもの整った顔でこちらを見下ろす。
 挿入までの間にすっかりぐずぐずに蕩けさせられ、やっと挿れてくれたと思えばほとんど動かない。たまに戯れのようにわずかに腰を動かしてはくれるが、彼の丁寧すぎる愛撫でギリギリまで高められた体にはそんな淡い刺激はむしろ疼きを増幅させるばかりの毒だった。浅いところを撫でるような動きばかりで、モクマの一番欲しいところには届かない。
 当然、わざとだ。物覚えがよくどんなことでも勤勉なチェズレイが、これまで体を重ねた数度でモクマの良いところを覚えていないはずがない。わざと焦らしているのだ。
 その理由も分かっている。今日、ベッドに縺れ込む時に他でもないチェズレイ本人に言われたのだった。「あなたは未だ、自分の欲を押し込める傾向がある」、という語り出しで。
「以前よりは改善はしてきていますが、まだいざというときには口を閉ざしてなあなあにしようとする。頭では理解していても、性分は一朝一夕では変えられない――それは分かっているつもりですが」チェズレイはそこで一度言葉を切って、それでも、と続けた。「誰も彼もにはまだ無理でも、私にはぶつけたって構わない。……私には、全部見せてくださいませんか」
 最後の言葉にわずかに滲んだ色はこちらが一瞬面食らってしまったくらいには真剣で、切実さすらも孕んでいて、それはチェズレイの心からの言葉なのだと分かる。
 この律儀で、まっすぐで、健気なほどにモクマを好いてくれる年下の相棒の願いはおイタが過ぎること以外であればモクマはなんだって叶えてやりたかった。
 それほどにモクマにとってもチェズレイという存在は大きなものだった。荒療治で人生の景色を大きく変えられ、この縁を途切れさせたくないと思い、同じ道を行くことに決めた。それからこうして共に生きる日々を重ねていくにつれて、その感情はさらに日に日に育つばかりだ。
 それに嘘はない。チェズレイのことが大切だ。
 だけどこの四十年弱で骨の髄まで染みついた性分は、チェズレイの言うとおりそう簡単に己の理性だけで変えられるものではない。
 腹の底で渦巻く自分の欲望に気付いている。しかし、それを欲だとみるや自分の身体はそれを押し込めようとする。
 言葉にしようと口を開くも、喉の奥までそれは上がってきてはくれない。開いた口から零れ落ちるのはまるで媚びるみたいな熱い息と、刺激を待ちわびて震える掠れた声だけだ。
 ――自分の欲なんて、ずっと邪魔なだけだった。
 里に居た頃は、それが人間関係を円滑にするための自分なりの処世術だった。いや、円滑にするためなんて高尚な理由じゃない。ただ欲を持つこと、それに伴って生まれかねない様々な軋轢が面倒だっただけだ。それらから逃げるために、欲を自分にすら隠す癖がついた。
 里を出てからは、欲を抱く自分こそが恥のように思った。自分はそんな資格などないと、許されないと、幸福になろうとなどしてはいけないと欲望など湧き上がりかけるそばから殺した。酒を覚えてからは、適当な酒で誤魔化して自分の本心を自分に忘れさせた。
 しかし、そんなモクマをこの相棒は許さない。
 チェズレイはモクマの言葉をじっと待っている。煽るでもなく笑うでもなく、真剣な、静かな顔でこちらを見下ろしている。
 本当に、律儀な男だと思う。その目に宿ったじっとりとした温度の高さをみれば、チェズレイだって今ひどく我慢しているだろうことは分かる。こいつだって、今すぐ動いて気持ちよくなりたいだろうに。そう気付いてしまえば、自分を組み敷くこの男への愛おしさのような感情がモクマの心臓をひどく揺さぶる。
 欲を抱いてもいい。自分のために求めたっていい。――それがどんなに酷かろうが、見苦しかろうが、剥き出しのまま口に出したってこの男には許されている。
 そう思って、モクマは一瞬息を詰めた。そしてそれを意識的にゆっくりと吐き出してから、モクマは「チェズレイ」と愛しい男の名前を呼んだ。
 呼ばれた男は、「はい。モクマさん」とその一文字一文字をこちらに届けるみたいにゆっくりと返す。それはひどく優しく、柔らかく、こちらに向ける情の大きさを隠しもしない声だった。快楽に浸かって思考力の鈍った頭は、その声にまるで小さな子どものように無防備に、深く安心させられる。だから、モクマの次の言葉は自然に口から零れ落ちた。
「もっと、奧まで……、っ、動いてくれ。そんなんじゃ、俺は、たりない」
 照明を絞った薄暗い部屋の中で、チェズレイの紫色の目が宝石みたいに淡くひかっている。その目は、一途にモクマだけを見つめている。
 欲を口にしたモクマのことを、じっと、大切そうに。その目を見つめ返せば、自分の中の欲がさらに深くなるのが分かる。欲しい。もっと、もっと触れたい。底の知れない深くまで。
「――、おまえがほしい」
 モクマが口にすると、チェズレイはその宝石のような目を小さく細める。かと思えば、次の瞬間には急に上体を倒してこちらの肩口にその顔を埋めた。何も纏うもののない肩にチェズレイの額が擦りつけられ、触れた場所から体温が滲んだ。チェズレイの細くて長い髪が素肌に触れて少しだけくすぐったい。
「……お心のままに」
 その囁くみたいな言葉の後、チェズレイが顔を上げる。普段被っているその冷静な仮面が剥がれたような表情に、可愛い――と一瞬思いかけたところに腰が動かされてそんなことを考える余裕はすぐに霧散させられてしまった。
「ッ、ぁ、あっ、ちぇずれ……~~っ!」
 望んだとおり一番奥までを貫かれ、急に与えられた強い刺激に目の前が一瞬ちかちかと白んだ。その後もチェズレイはモクマの弱いところを的確に擦り上げてきて、ずっと焦らされていた体が一気に駆け上がっていく。
 気持ちいい。どうしようもなく。そして、ひどく満たされていく。今この快楽を自分を与えているのはチェズレイなのだと思えば、恥ずかしさを上回る幸福がモクマの指先までを巡った。堪え性の無い自分を笑う余裕すらないほどに、あっという間に限界が近くなる。
「ちぇず、っ、もうイく……」
 口に出した言葉は、与えられる快楽に震えて舌っ足らずになってしまう。モクマの言葉を受け取ったチェズレイがラストスパートに入ろうとする気配を感じて、モクマはわざと後ろを締め付けた。そのまま流される前にとチェズレイの動きを一瞬止めるため、そして煽るための行動だったが、自分もその動きに刺激を受け取ってしまって思わず息を詰める。その刺激をやり過ごした後、モクマは言葉を続けた。
「……っ、欲しいとは言ったけど、俺ばっか気持ちいいのは嫌だよ、チェズレイ。お前も」
 チェズレイだって気持ちよくなってくれているのは分かる。だけど、チェズレイがモクマの快楽のほうを優先していることも分かっていた。
 気持ちよくなりたい。奥までほしい。擦られて、どろどろに蕩かされて果てたい。それが間違いなくモクマの腹の底で渦巻き、チェズレイに暴かれた欲望だ。だけど今のモクマが欲しいのは、そういう即物的な快楽だけではないのだ。
 自分の腕を持ち上げ、チェズレイの首に絡ませ軽く引き寄せる。顔が少し近くなって、その表情がよく見える。
「ここまできてお前だけセーブするなんて無しだろ。……俺を暴いたんだから、お前も俺に暴かれてくれ」
 モクマの言葉にチェズレイは目を見開いた。そのまま一瞬見つめ合った後、チェズレイは喉を鳴らして笑った。昂った時のチェズレイの笑い声だ。
「フ、……確かに、それも不公平な話だ。モクマさん」
 チェズレイの手が、愛おしむみたいな仕草で首に回されたモクマの腕に触れた。その動きに誘われるみたいにモクマが首から手を外すと、ゆっくりと辿ってきたチェズレイの手が今度はモクマの手のひらに触れる。そして掴まえるみたいに手のひらが重なって、柔らかい手つきで握りこまれた。普段は手袋で隠されたチェズレイの、わずかに汗ばんだ手のひらの感触と温度がモクマの手のひらに直接伝わってくる。
「一緒に」
 繋がれた手が優しくシーツに縫い留められたと思えば、再び腰が動かされる。元々限界ギリギリだった体がすぐにまた頂点に向かって駆け上がっていく。時折チェズレイの眉根が悩ましげに寄せられて、チェズレイも気持ちよくなってくれているのが分かってそれが嬉しかった。
 モクマと繋いでいない方のチェズレイの手が、だらだらと先走りを零しているモクマの先端に触れる。敏感な場所に直接触れられて、それだけで大きく体が跳ねた。そしてそのままチェズレイの細くて長い指で擦られる。後ろで快楽は得られるもののまだ後ろだけで達することはできないモクマの体は、前への刺激が最後の呼び水となっていよいよ限界を迎えた。目の前が白んで、こみ上げてくる強い快感に抗えない。そして、もう抗うこともしない。
 きっと今自分はひどい顔をしているのだろうと思う。そうちらりと頭の隅を掠めてしまえばモクマの元来の気質がまた顔を出しそうになって、誤魔化して隠してしまいたいなんて思いが一瞬過ってしまう。しかしそんな気持ちをモクマは抑え込む。
 おまえが全部を欲しいというのなら。丸裸になった自分でも、おまえが受け入れてくれるのなら。
「~~ッあ、ああ……っ!」
 先端から白濁を零すのと同時に強く後ろを締め付けてしまって、「……っく……!」とチェズレイが小さく呻くような声を上げる。繋いだままでいた手が小さく震えて、中に熱いものが吐き出されるのを余韻の中でモクマは感じていた。

 そのまま少しの間、二人で熱い息を零し合う。そうしてチェズレイと不意に視線が絡んで、その普段とは違う隙のあるとろりと蕩けた瞳を見れば、ああキスがしたいな、とまだどこかぼんやりとした頭ですとんと落ちるみたいに思った。
 だからその気持ちのままに、「チェズレイ」と舌先で転がすみたいに名前を呼んだ。
 内緒話みたいなその小さな声を受け取った聡い相棒は、それだけでモクマの欲しいものが分かったのだろう。違わず降ってきた柔らかい唇は、普段よりも熱くって、モクマと同じ温度をしていた。




(2024年3月8日初出)





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