ギフト

「さあ、どうぞ」という相棒の微笑みに誘われるままにモクマは手を伸ばしそのリボンを解く。触れるだけでも分かる繊細な素材の布だ。鮮やかな黒と紫の模様をしたリボンがしゅるりと解けるのと同時に、チェズレイの細く長い髪がこぼれるように落ちた。
 ベッドサイドの淡い色の間接照明に照らされて、チェズレイの髪が淡く光る。その光の輪郭を、ああ綺麗だなと思いながら、モクマは解いたリボンを軽く畳んでサイドチェストの上に置いた。そのすぐ脇には、ローションのボトルとコンドームの箱がご丁寧に準備されている。綺麗なリボンの脇に似合わないその生々しさがひどくアンバランスだった。
「髪からですか」
 ベッドの上に向かい合わせで座っているチェズレイは、まるで歌でも歌うみたいに楽しげに、そして興味深そうにモクマを見つめて言った。モクマの一挙手一投足を、なにひとつ見落とさないようにするかのような眼差しだ。モクマはそんなチェズレイの瞳を見つめ返しながら頷く。
「ん。……お前さんが寝転がるんなら、縛ってたら邪魔だろう?」
「……フフ。つまり、今夜はあなたが上に乗ってくださるので?」
 チェズレイの目が悪戯っぽく細められる。こぼれそうな綺麗な紫色の周り、普段彼の目元を彩っている鮮やかなメイクは落とされていた。素肌のままの姿だ。昔の傷痕、引き攣れた肌の陰影が柔らかな照明のもとにありのまま晒されている。
「今夜は俺がリードするって言ったろう?」
「そうですね。もう体は大丈夫だというのに」
 そう小鳥がさえずるみたいにくすくすと笑うチェズレイに、モクマは「半ば無理やり退院してきたっちゅうに……」と苦笑した。
 故郷・ヴィンウェイでチェズレイが大傷を負ってから数週間。この南国のとある国でしばらくの入院生活を経て、チェズレイが退院してきたのが数日前だ。もう日常的な動作であれば問題はないからとチェズレイが医者を説得し――そこは流石人心操作の達人・仮面の詐欺師と言うべきか――、とどのつまり、モクマからしてみれば半ば無理やり退院してきたといった様相だった。
 この南国にはまだもうしばらく滞在する予定だ。こうして相棒が怪我の具合からすれば早々に退院してきてしまった代わりに、その間この頑張り屋で自分に対してはいやに計算が甘い節のある彼が無理をしないように、穏やかで蔓延る下衆も闇も見えないこの国で、モクマはしばらく見張っているつもりでいた。
 とはいえ、久しぶりの二人きりだ。
 それはモクマだって思うところはある。有り体に言えば、触れたかった。この男に触れて、体温を感じたかった。この男を自分のすべてでもって甘やかして、そして甘やかされたかった。
 無理はさせたくない――この律儀な男はきっとそうなれば自分の快楽以上にモクマのことを優先していつものようにモクマを抱くだろうと分かっていた。それでもやっぱりこんなに近くに居れば、この男に触れたいという欲は隠しようもなかったのだった。いつの間にか自分は、こんなにも欲深い男にさせられていた。
 チェズレイを思う気持ちと自分の欲望とがない交ぜになって、そしてモクマはその折衷案として「今日は俺がリードする」とチェズレイに言い、随分と久しぶりに思えるベッドの上へと誘った。そうして、今に至る。
 チェズレイは、モクマの「リードする」宣言を楽しむことにしたようだった。ベッドに上がってからはチェズレイからは一切手を出さず、されるがままになることで、モクマがどうリードするつもりなのかをつぶさに観察している。
 モクマはどこから触れるのか。どうやってチェズレイの服を脱がせ、チェズレイをベッドに沈めるのか。その眼差しに籠もった期待は、これからの行為に対する熱だけではなく純粋なモクマに対する興味も多分に含まれていた。
 そんなに見つめられちゃあ、やりづらいような気恥ずかしいような気もするが、しかしそれ以上にやはり嬉しかった。チェズレイに触れられることが。こうしてこの男の痛いほどまっすぐな目に、見つめられていることが。
(そんなに熱い目で見つめられちゃあ、ご期待に沿いたいねえ)
 次は彼の寝間着のボタンに手を伸ばし、ひとつひとつ外していく。自分で着替える時よりも、それは何倍も丁寧な手つきになった。自分じゃこんなに丁寧に服の脱ぎ着をしたことなんてない。チェズレイの白い肌が、焦れるくらいの速度で少しずつ露わになっていく。
「随分と丁寧な手つきだ。あなた、自分のことは動きがあんなに雑だというのに……人を脱がせるときはこんなに丁寧なんですねェ」
 面白がったように、興味深そうにチェズレイが言う。それにモクマは苦笑しながら返した。
「自分でもちょっと意外だよ。……なんちゅーか、綺麗にデコレーションされたプレゼントの包みを解く、みたいな気持ちになってきて」
「へぇ?」
 と、チェズレイは疑問形でモクマの言葉の続きを促す。モクマは短く息を吐いてから、続きを口にする。
「まあ実際、貰った機会はそんなに多くないんだけどね。お前さんも知っての通り、俺は長いこと情から逃げ続けてきた人生だから。それでもちっこい頃、まだ親元で暮らしてたときに誕生日のプレゼントを貰ったこととかをなんか思い出してさ。ちょっとした物だったけど、包みを解くときドキドキしたし、早く開けたい気持ちと綺麗に開けたい気持ちとが両方あってさ、……まあつまり、嬉しかったなって」
 ――そしてそんな長いこと忘れていたような思い出を、こうして懐かしく、素直に愛おしく振り返ることができるようになったこと。それも目の前の相棒のおかげだということをモクマは自覚していた。そんな話をしている間にボタンを全て外し終えれば、チェズレイの上半身が晒される。チェズレイは一度視線をちらりと自分のその晒された上半身に向けた後、口元で控えめに笑った。
「解いた先は、綺麗なプレゼントとはいかないかもしれませんがね。……もう痛みはありませんが、痕は流石にまだ消えきらない」
 言われて、先程のチェズレイの視線をなぞるようにモクマもチェズレイの晒された上半身を見つめた。チェズレイが言うとおり、チェズレイの上半身には傷痕が至る所に残っている。
 ヴィンウェイに行く前はモクマがかつて鍾乳洞でつけた鎌傷以外綺麗なものだったその肌に、銃創、刺し傷、打撲痕――。あの山小屋で見たときに比べれば随分と良くなったが、まだその痕は痛々しく残っている。この痕が癒えるには、まだ長い時間がかかるだろう。もしかしたらその目元の傷のように、完全に消えてはくれないかもしれない。
「言ったろう? 傷があったって、……傷があるから余計に魅力的だってね」
 かつて、まだこの男の正体を知る前にかけた言葉をあえて繰り返してやる。そうしたらチェズレイは、モクマを見つめるその目を柔らかく細めた。
「ま、もうこんな物理的な傷はつけないでほしいけどもね」と続けたモクマの言葉に、チェズレイはふっと小さく笑って「そうですね」と返す。
「……もう、俺がつけさせんよ」
「フ、流石は守り手。……わたしの相棒殿」
 ――そう呼んだチェズレイの声が、ひどくあたたかくて、とろけるように柔らかかったから。
 その声に誘われるみたいに唇に触れる。どちらからともなくすぐに深くなったキスに興奮する。丁寧にゆっくりしてやりたい気持ちと、早く欲しい気持ちがない交ぜになる。自分の中で焦れるように渦巻くその情動さえ今は愛おしいように思った。
 口付けの合間にその肩を軽く押せば、チェズレイは抵抗もなく簡単にベッドに押し倒されてくれる。ベッドに倒れ込む直前、さりげなくその背中を支えてやることも忘れない。チェズレイはそんなモクマに対して「随分と甘やかす」と笑う。しかしそれを嫌がるような素振りは、その表情にも口調にもかけらもないのだった。
 白いシーツに広がったチェズレイの髪。晒された白い肌。こちらを見つめるその熱くてまっすぐな瞳。すべて今夜モクマに向けて明け渡されたもの。すべてがモクマを受け入れ、モクマをほしいと言う。
(……こんなの、一生分のプレゼントだよ)
 いや、もしかしたら一生でも払いきれない。それならば喜んで来世でまでこの幸福の代金を支払ってやろう。そんな埒もないことを考えたモクマに、伸ばされた手が触れた。
 その手の主は、やはり楽しげな色を纏ってモクマを見上げている。この考えも読まれているのだろうかと思って、しかしその答え合わせは後でしようと思う。伸ばされたその手も早く触れたいと言っているのが、稀代の天才詐欺師ではないモクマにだって分かったから。
 伸ばされたその手を掴まえて、自分の手と絡ませる。チェズレイの鼓動が少し早いことが分かる。その手をシーツに押しつけて、モクマはもう一度その唇を重ねた。



(2024年3月23日初出)
チェズモクワンドロワンライ 第130回【リボン/デコレーション】





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