噎ぶほどの欲
口の中で質量を増したそれに、一瞬物理的な苦しさを覚える。しかしそれをすぐに察知した彼が、こちらの頭に添えていた手をゆるりと動かして頭を優しく撫でた。よくできた子どもを褒めるようなその動きに、それだけでぞくぞくとした歓びが快楽となってチェズレイの体を痺れさせた。性行為による興奮という範疇を超えたそれは、自分の中のSub性によるものであると叩き込まれるみたいに自覚させられる。お前はSubであると、かつては忌み嫌った自分自身の第二性を自分の体に教え込まれることが、こんなふうに歓びと興奮に変わる日が来るなど夢にも思ったことはなかった。この男に出会うまでは。
服越しとはいえ床に直接膝をつき、人の男根を口で咥えるなどということも、これまでのチェズレイにとっては考えるだけでおぞましいものだった。例え尽くすことを歓びとするSub性であろうが、自分の潔癖と矜持がそんなことを一ミリたりと許さなかった。だというのに、今の自分はそんな状況にすら只管に興奮と高揚を抱いている。
かつて私が彼を暴いたように、彼に暴かれた――彼以外には絶対に許すことなどできない、剥き出しの私の姿だった。
「ごめんね、苦しくない?」
こちらを優しく慮るような、しかし仄暗い興奮を隠し切れていないモクマの声。彼の纏う空気が、普段の意図的にちゃらんぽらんとした明るいそれではなく、強いDomのそれにじわじわと塗り変わっていくのを肌で感じる。Glareというほどではない。しかしまるで皮膚から吸い込む毒みたいに、その空気に触れただけで、チェズレイの体は興奮を覚える。体温が上がる。もっと欲しい、と、彼の隠し持つ強力なDom性に触れて初めて強い自身の飢えを自覚させられる。
「だ、……いじょうぶです。だから」
モクマの性器から口を離して、チェズレイは問いかけに答える。性器のすぐそばで喋ったから、吐息が触れたのだろう。モクマの体が感じ入るように小さく震える。そのわずかな反応にも、どうしようもないほどの嬉しさを覚えた。彼が私の手で気持ちよくなってくれることが嬉しい。彼がこうして私に触れることを許してくれることが嬉しい。だから。
――やめろと言わないで。
そう願って、チェズレイはモクマを見上げた。やめろ、なんて言わないでほしい。私はあなたに気持ちよくなってほしいのだ。だから、ここで手を離さないで。そう懇願じみた思いが腹の底で渦巻く。
やめろと言われれば、私の中のSub性は従わざるを得ない。だからこそ、そう言われることだけが恐ろしくてたまらなかった。
今の自分はきっと酷い顔を、他の人間には到底晒せないだろう欲に濡れSub性に溺れた表情をしているのだろうと思うが、取り繕う余裕は今のチェズレイにはなかった。酒に酔った時のように、自分の中のSub性による酩酊状態にずるずると引きずり込まれていることを欠片ほど残った理性で自覚する。しかしもう、こうなってしまえば止めようもない。
そして目の前の男は、そんなふうに欲で濁ったチェズレイを突き放すことは一度だってしないのだ。
足元に跪き、請うように見上げるチェズレイを見つめたモクマは、その目を細めてもう一度チェズレイの頭を撫でた。その動きは先程よりももっと優しい。節ばって乾いた、自分とは違う大きな手。その感触も、温度も、すべてが今のチェズレイを赦す。
「……気持ちいいよ、チェズレイ」
ひどく優しいくせに、普段よりずっと低くて、欲に掠れた声が二人きりの部屋の中でチェズレイの鼓膜を揺らす。纏った仮面を剥ぐように、彼もどんどん剥き出しになっていくのが分かる。そうしているのは自分であるという、高揚と満足感にまた思考が蕩けていく。
「だから、もっと頂戴」
「……ッ!」
赦された、求められた。その安堵と嬉しさがチェズレイの体を包み込む。それは紛れもない、強い幸福だった。その感情のままチェズレイが再びモクマの性器を奥まで咥え込むと、モクマが息を詰める気配がする。喉奥まで咥え込んだせいで苦しい。先端から零れ続けるカウパーの味が苦い。しかし、止めようとは毛頭思えなかった。じわりとこみ上げてきた涙が、チェズレイの視界を薄く滲ませる。それはこの苦しさによる生理的なものか、あるいはこの酩酊するほどの幸福感のせいなのか。おそらく、両方だ。
「……ッん、ぁ」
再び舌を這わせると、モクマの口から喘ぎ声が零れる。そのひとつひとつの音すらも愛おしくて、チェズレイはモクマの弱いところを重点的に繰り返し舌で愛撫した。口にどうしても入りきらなかった根元は指で煽るように撫でてあげる。そのたびモクマの体が震え、口の中のそれが熱くなっていくのがたまらなく嬉しかった。
「チェズレイ、気持ちい、……っ、う、ぁッ」
彼の弱いところはもう、これまでの性行為で熟知している。違わずそこを刺激すれば、彼はまた感じ入った声を零した。「は、……上手、ちぇずれ、」と喘ぎ声の合間にまた頭を撫でられて、その言葉も撫でられた手の感触も目眩がしてしまいそうなほどに嬉しくて、舌も手ももっと彼のためにと愛撫の速度を速めていく。モクマの口から零れる声や熱い息の感覚もそれに比例するように段々と短くなって、口の中の性器もぱんぱんに膨らんでいた。限界が近いのが分かる。裏筋に這わせた舌の感触で、彼の性器に浮き出ているであろう血管の脈動すらも感じ取れて、硬く張り詰めた彼の欲望そのものの姿を想像してチェズレイは背筋を駆けるような興奮を覚えた。
いつもチェズレイに優しく触れるモクマの手が、咄嗟の刺激に耐えかねぎゅうと力が込められる。くしゃりと握られ引っ張られた髪にわずかな痛みを覚えるが、彼が最早加減をする余裕もないのだということが伝わって、それもひたすらにチェズレイの興奮と歓びを煽るものでしかなかった。
ちらりと見上げたモクマの顔は、この薄暗がりの部屋の中でも分かるほどに上気していた。こちらを見下ろす瞳は余裕無く、雄として、そしてDomとしての本能を剥き出しにしたような鋭さを纏っている。そんな酷く欲に濡れたモクマの表情に、チェズレイは全身が痺れるほどの昂りを覚える。触ってもいない自分の下肢が熱く張り詰め、先走りすら滲ませるのをチェズレイは感じていた。しかしそんな自分のそれに構うよりも、今はひたすらにこの人を愛したかった。尽くして、愛して、それを受け取って欲しかった。Subの、そして自分自身の欲望は奉仕のようであって身勝手だ。しかしモクマはチェズレイが与えるそれを身勝手などとは一度も言わなかった。
「あ、ッ、……も、イく……っ」
チェズレイ、と上擦った声でモクマがもう一度名前を呼ぶ。彼が呼ぶだけで、自分の名前がひどく特別なもののようにチェズレイの中に響く。とろとろと先走りを零し続ける先端を舌で嬲り、強く押しつけるとモクマが「っあ、ぁ……~~ッ!」という声と共にぶるりと体を大きく震わせた。一際大きく膨らんだ性器から熱いものが放たれて、チェズレイの口の中を満たす。
決して快いとは言いがたい、口の中に広がる味と匂い。しかしそれにすら興奮を煽られ、ひどく満たされた心地になる自分がいた。モクマという男に自分の体の内側から染められていくような、塗り替えられていくような、そんな錯覚に近い感覚を嬉しいと思うのはSub性の本能所以なのだろうか。とにかくチェズレイは、モクマから注がれたそれを自分でも不思議に思うほどに躊躇いひとつなく嚥下したのだった。生臭さと苦みが喉の奥を通って、肉体的な反応で自然と眉根を寄せてしまう。でも止めようとは思えなかった。チェズレイの体を満たすのは充足ばかりで、これを零してしまうのが勿体ないとすら思う。溢れそうになる精液を必死で飲み込む自分の姿の無様さなど、今は考えることもできなかった。
モクマの射精が終わり、チェズレイもようやく口を離す。口内に残った最後の一滴までをごくりと喉奧に流し込む。モクマは少しだけ困ったような、しかし確かに強い興奮を湛えた瞳でそんなチェズレイの一部始終を見つめていた。
「全部、飲んだ?」
そんな目で見つめられると、たまらなくなる。体を震わすような興奮を覚えながら、チェズレイはこくりと頷いた。モクマが体を動かして、ベッドにチェズレイが乗り上げられるくらいのスペースを作った。軽く腕を引かれて、チェズレイは誘われるまま、あるいは言外にモクマに命じられるまま立ち上がってベッドへと上がる。上半身だけを軽く起こした格好のモクマの上に覆い被さるようにして、今度はチェズレイがモクマを軽く見下ろす格好になった。
「無理はしていませんよ。……わたしが、したかったから」
チェズレイがそう言って、モクマの肩に顔を埋める。はだけて乱れたシャツの肩口から、昔より薄らいだ、しかしまだ残る銃弾の痕が覗いていた。その奧に息づくモクマの体温を額で感じながら、モクマの返事をチェズレイは待つ。
今の自分を突き落とすのは、赤子の手を捻るよりも簡単だ。たった一言、嫌だと、やめろと拒めばいい。Subの本性を晒した今の自分はこの上なく剥き出しで、無防備だった。そんな一言で簡単にチェズレイの心を殺すことができる。しかしモクマはそうしない。こうなったチェズレイを、いつだってどこまでも甘やかす男だった。
モクマの手が背に回る。ぽん、とあやすように優しく手のひらが触れて、もう片方の手で抱き込むようにして再び頭を撫でられる。
「そうかい。……全部飲んで偉いね、チェズレイ」
モクマの口から耳元へ注がれる言葉が、チェズレイの体を熱くさせ、ひとかけら残っていた理性すらもどろりと跡形もなく溶かしていく。褒められた、と認識すればこの体に流れるSubとしての血が歓喜に噎ぶ。すっかり欲望に染められたこの頭は、チェズレイに与えられるモクマの全てを歓びへと変換する。
「そんなえらくて可愛い子にはご褒美をあげなくちゃ」とモクマはチェズレイの耳元で笑った。モクマの息がチェズレイと同じくらいに熱くて、その温度を感じただけで嬉しさと興奮で背筋がぞくりとした。
頭と背中を撫でていた手がチェズレイの頬を掴んで、ぐ、とチェズレイの顔を上げさせた。至近距離で視線が絡む。その深い色の瞳に吸い込まれそうに思っていると、その瞳がすうと細められ、モクマの唇がゆっくりと動いた。口の端を僅かにつり上げ、まるでチェズレイに言い聞かせるような、そんな口調でモクマは言う。
「キスして、チェズレイ」
口調こそ柔らかいが、低い声で囁かれたそれは紛れもなくSubへの命令だった。瞬間、ぶわりと体中の血が沸き立つような、抗い難いほどの強烈な感覚がチェズレイを襲う。
はやく、命令を遂行しなければと体が勝手に動く。目の前のその唇に、噛みつくような不格好なキスを贈ればモクマはそんなチェズレイを褒めるようにまた頬に添えたその手のひらでチェズレイの肌を撫でた。それが嬉しくて、キスが気持ちが良くて、受け入れてもらえることにどうしようもない歓びを感じる。
どちらからか分からぬまま口付けはすぐ深くなり、求め合うように互いの舌や口の中を貪り合った。先程モクマの精液を飲み込んだ後、口をゆすいでもいない。きっとモクマの方にもこの苦い味が移ってしまっていることだろう。しかしモクマは躊躇うこともなくチェズレイにキスを命じ、チェズレイの舌に自分の舌を絡ませた。そのことを思って、チェズレイにまた堪らないほどの嬉しさがこみ上げる。
ふ、とモクマが意図的に体の力を抜いたことに気付く。気付いた瞬間にはもうバランスを崩し、二人でベッドに倒れ込んだ。チェズレイは咄嗟に腕をモクマの顔の横につき、モクマの上にそのまま折り重なって倒れてしまうことはギリギリで免れる。そんなチェズレイを見上げて、モクマはおかしそうに小さく笑った。「なんですか」と問えば、「いや。優しくて、やっぱり律儀者だな、と思ってさ」という言葉が返ってくる。
モクマが身じろぎをしたと思えば、ぐり、とチェズレイの股間をモクマが膝で押した。局部への突然の刺激に、抗いようもなくチェズレイは「ッあ、っ」と声を零してしまう。そんなチェズレイを見たモクマは「っは、すご……」と喉を鳴らして笑った。その声色はチェズレイを馬鹿にするものでは一切なく、寧ろ喜びと興奮ばかりが滲んでいるものだった。
「お前さん、俺の舐めてただけでこんなになってたんだねぇ?」
「……っ、」
「嬉しいんだよ。本当にお前は可愛いね、チェズレイ」
どういう意図で言ったのかと、どろどろに蕩けSub性の欲に支配された頭で一瞬返事に迷った。彼に限ってそんなはずはないと分かっていても、怒られるのではと本能が竦んだ。そんなチェズレイの言葉を待たず、モクマは畳みかけるみたいにそう続ける。
こうしてモクマが真っ直ぐな言葉も恥じらわずチェズレイに溢れるほど向けてくれるようになったのは、チェズレイがSubであるということを彼が意識するようになってからだった。かつては逃げ癖があったこの男が、チェズレイのために恥ずかしさを押し込めてこんなに変わってくれたことに、胸の奥がぎゅうと掴まれたような心地になる。
チェズレイは、溢れてしまいそうな感情を整えようとするように短く息を吐いた。
モクマの指摘通り、チェズレイの下肢はずっと張り詰めて、痛いほどだった。この人が欲しい。もっと奥深くへ触れたい。そんな強烈な欲がチェズレイの頭を揺らす。だけど、それだけではもう今の自分は足りなかった。奥底に眠らせていたはずのSubとしての私を目覚めさせ、暴き立てたこの男のせいで。
こちらを見上げる彼の瞳にも、強い衝動と欲望が渦巻いていると、見つめ合うだけで分かってしまうからこそ。
最後の引き金を自分で引かないのは、やっぱりこの人の狡いところだ。そうチェズレイは内心で笑う。チェズレイと交わって変わって、変わりきらないところもあって、そんなこの男の人間くさいところがたまらなく愛おしい。
チェズレイの長い髪を、モクマがさらりと撫でる。その優しい手つきを横目で見た後、もう一度チェズレイはモクマの顔を見下ろして言う。
「……モクマさん、欲しいものを口に出して。私にコマンドを出して」
チェズレイが口にした懇願じみた欲望に、モクマはふっと笑う。そしてほんの一瞬照れたようにその瞳を伏せた後、モクマはチェズレイに向き直った。はだけた上着の隙間から自分の腹をわざとらしく撫でて「お前のを、俺の奥まで……全部、」と途中で言葉を止めた後、年上ぶった悪戯っぽい――あるいは性質の悪い、チェズレイだけのDomの顔をして、チェズレイに命じる。
「お前の全部、俺に寄越せよ。チェズレイ」