ひかりの輪郭
病院の自動ドアを出ると、眩しい日差しと温い風がモクマの肌を撫でた。今日の天気は雲一つない快晴、そしてお天道さんが一番高く昇っている時間だ。南国の朗らかな空気を絵に描いたような外の明るさにモクマも一瞬目を細めたが、しかし北国育ちの相棒はモクマ以上にこの眩しさに慣れていないようだった。ここしばらくはずっと病院のベッドの上で、碌に外にも出ていなかったから余計にだろう。隣を歩くチェズレイはわずかに眉間に皺を寄せ、日差しを遮ろうとするようにその手袋に覆われた手を顔の前に翳した。チェズレイの白い肌に小さな影ができる。チェズレイの瞳の紫が太陽の光に照らされて淡く光る。色素が薄い瞳は光を吸収しやすくて眩しく感じやすいらしいと昔聞いた話を思い出していた。
「あー、帽子とかなんか、あったらよかったね」
ごめんねえ、とモクマが言うと、チェズレイは構いませんよ、と穏やかな声で返す。その眉間にあった皺は先ほどよりは少しだけ和らいでいた。
「久しぶりに外に出たものですから、余計に眩しく感じるのでしょう。ここから宿まではそう遠くはないですし、この程度問題ありませんよ」
「病み上がりに無理はせんようにな。まだ本調子じゃないだろう」
モクマが言うと、チェズレイはクスリと笑う。
「過保護ですねェ」
「守り手だからねぇ。俺を騙せるとは思いなさんな」
「もう思いませんよ。あそこまで見事に見破られては」
そう口にするチェズレイは、言葉に反してどこか楽しげですらあった。その瞳の穏やかさに、モクマは胸の内にほっとするような、あたたかい気持ちが広がる。
数週間前にあの極北の国で見たチェズレイの痛切な姿を思い出すと、モクマは今でも胸が苦しくなる。だからこそ今、チェズレイが穏やかで楽しげな表情をしているだけでモクマはひどく安心し、嬉しく、幸せな気持ちになるのだった。
ヴィンウェイでの一件が片付いてすぐに訪れたこの南の国で、チェズレイは医療機関での適切な治療と療養を終え、つい先ほど無事に退院してきたところだった。とはいえまだ〝日常生活には問題がない〟というレベルで、本調子にまで戻っているとは言えない。だからもう少しの間、彼の世界征服という大きな野望には一旦休暇を貰うことにして、この国でのんびりと療養をしていく予定でいた。
「……帽子、買って行くかい? もうしばらくこの国にいるわけだしさ。今後数週間、ずっと今日みたいに天気いいらしいよ」
そう言うと、常より少しだけのんびりとした歩調で隣を歩いていたチェズレイがモクマに顔を向けた。風が吹いて、チェズレイの長い髪をさらりと軽く揺らす。
二人の間を吹き抜ける風は温く、しかし程よく乾いていて心地が良い。チェズレイの瞳と同じく色素の薄いその美しい髪が、太陽光を浴びて光の粒を散らすみたいに小さく光るさまにモクマはほんのわずか見惚れる。入院していようがその髪のキューティクルは失われていないことに妙に感心した。
「この間この辺散歩してた時に、ちょうどいい感じのお店があってさ。……あー、でもお前さんのことだからもう持ってたりする? お気に入りの帽子とか」
モクマの言葉にチェズレイは、その長い睫毛を一度瞬かせてから「いいえ」とかぶりを振った。
「日除けのための帽子は用意していませんでした。そうですね、まだしばらくこの国に滞在することですし、モクマさんが仰る通り後で買いに行きましょうか」
「りょーかい。散歩がてら、明日にでも行こうか」
今日は退院の手続きやら何やらで多少疲れているだろうし、買い物は明日にするのがいいだろう。ついでに先日近くの通りで見つけた雰囲気のいいレストランに二人で行くのもいい。チェズレイの入院中、モクマもこのあたりを散歩しながらチェズレイが退院したら行きたいところを心の中でピックアップしていたのだ。それを少しずつ叶えられそうだということに、モクマの気持ちも少し浮き足立つ。と、そんなモクマにチェズレイが再び口を開いた。
「――モクマさんが選んでくださいます?」
「……へえっ?」
そしてチェズレイの口から飛び出した思わぬ言葉に、モクマは気の抜けた声を上げてしまった。そんなモクマを見やって、チェズレイはおかしそうにくつくつと口角を上げて笑う。
「私の帽子。モクマさんが選んで下さい」
「え、いやあ……構わんけどもさ、おじさんのセンスでいいの? チェズレイの好みとだいぶ違うんじゃないかな」
「私の好みのものもちゃんと分かっていてくださいますよねェ……、なんといっても相棒ですから」
「わー、無茶振りだあ……」
不敵な笑みを浮かべてそんなことを言うチェズレイに対し、モクマは肩を落として苦笑する。この年下の相棒は、たまにこうしてモクマに無茶振りをしてくることがある。それに対するモクマの反応を楽しんでいるのだろう。まあそんなチェズレイの茶目っ気も彼らしくてモクマが好ましく思っている部分ではあるのだが、それはそれとして困るものは困るのである。
ええ、どんなのがいいかなあ…とモクマが顎に手をやって考え始めたところで、チェズレイはフフ、と満足げに小さく笑って先程の言葉を撤回した。
「冗談ですよ、あなたの好きに選んで下さい。私に贈りたいと思うものを」
ねェ、モクマさん。そう名前を呼ぶ相棒の声は、先ほどとは違う方向性の我儘なそのリクエストに対して、とろけるように甘かった。その瞳が細められたのは今度は眩しさのせいではないと、その目に滲む色を見れば分かる。
ヴィンウェイでの一件を経てから、チェズレイがモクマにこういう眼差しを向けることが多くなった。穏やかで、楽しげで――モクマに向ける柔らかで深い情を隠さず湛えた、その透けるような紫の瞳をモクマは見つめ返す。
「……それもある意味無茶振りだなあ」
再びモクマは苦笑する。結局、どちらにしろ困る。けれど嫌な気はひとつとしてしなかった。だってチェズレイがこういう表情をしていることが、それを自分に向けてくれることがやっぱりモクマにとってはそれだけでもうなによりの幸福なのだと、そう知ってしまったからだった。
チェズモクワンドロワンライ 第129回【帽子】