きみの優しく強い手に

 赤や黄色、青色、それに紫。外の光を浴びてきらきらと輝きを放つ硝子の美しさに、モクマはつい目を奪われた。
 この世界征服の旅の中で、チェズレイが手配するホテルはいつも超一流だ。部屋の装飾や調度品の細部に至るまで、モクマにも分かるくらいに豪奢なものばかりに囲まれている。そんな空間に多少は慣れてきたモクマだったが、今回の宿のリビングにあしらわれているこれは、今までの宿では目にすることはなかった装飾だった。珍しいな、という気持ちと、綺麗だな、と純粋にそれを愛でる思いでモクマはそれの前で立ち止まる。
「このあたりはステンドグラスの製造が盛んなようですよ」
 モクマが少しの間そうやって眺めていたところ、後ろからそう声をかけられた。すっかり聞き慣れた相棒の声だ。こちらへ歩いてくる相棒の靴音は、上等なカーペットに静かに吸い込まれる。
「昔からの職人が多い街だそうで」
 モクマの横に並び立ったチェズレイはそう言いながら、目の前の小さなステンドグラスを見やった。花の絵があしらわれたそれは、小さいながらも存在感のある、美しい輝きを放っている。成程、ステンドグラスのあるホテルは珍しいなと思ったが、このあたりの名産ということかとモクマは納得する。「そうなんだ」とモクマが頷くと、チェズレイは口元に微笑みを湛えてモクマの顔を覗き込む。顔を傾げるのに合わせ、チェズレイの長い髪が小さく揺れた。
「お気に召しましたか?」
 スマートな微笑み。しかしその瞳に滲む色は、営業用などではなく少し嬉しそうに見えた。知的犯罪の申し子、仮面の詐欺師とも呼ばれる男のそんな可愛げに、モクマの口元も緩む。
「うん。ステンドグラスなんて久しぶりに見たけど、やっぱ綺麗なもんだね」
「以前もどこかで?」
「ああ。こういうふうにホテルの部屋にあるのは初めて見たけど、昔清掃の仕事してた時に結婚式場の中の……チャペルっていうの? に、入ることがあってね」
 こういう小さいのじゃなくて、壁一面ってくらいの大きなステンドグラスがあってね、綺麗だったんだよ。そう思い出しながら目を細めるモクマの話を、チェズレイは静かに頷きながら聞いている。
 相棒が話を聞いてくれることに嬉しい気持ちになり、モクマはつい思い出話を続けたくなった。放浪していた頃の話をこんなふうに誰かに話したい、聞いてほしいと思うようになるなんて、モクマは少し面白いような心地になる。こんな思いで過去を振り返ることができるようになるなんて、数年前の自分は思ってもみなかっただろう。
 あれは十年以上は前のこと。潮の香りがする、白い建物の並びが美しい平和で綺麗な街だった。今回訪れたこの街とも少し雰囲気が近いかもしれない。
「そこに入ったのは結局一度きりだったけど、たまにそこの前を通ると結婚式が開かれてたな。病めるときも健やかなるときも、ってさ。みんな幸せそうで――」
 そこまで言って、続ける言葉へのわずかな逡巡。一瞬言葉を止めたモクマを、この男は見逃さない。
「……あの頃のあなたには、居心地が悪かった?」
 すかさず放たれたその言葉は、今モクマが喉元で止めた感情と寸分違わぬものでモクマは思わず苦笑してしまう。流石はチェズレイだ。見抜かれたことが少し気恥ずかしく、しかし妙に嬉しいようにも思うのだった。
「……うん。なにせあの頃は、自分がそんな幸福の輪になんて一生入ってはいけないものだと思ってたからね。祝福の気持ちと居心地の悪さが同時にあって、それからあんまりその近くを通らないようにしちゃってたな。それでもあのステンドグラスの綺麗さは見事だったから、よく覚えてるよ」
 〝あの頃〟――自分は情愛に関わる資格などないと、幸福になどなってはいけないと、未来を望んではいけないと、そう自分を呪うように言い聞かせ続けた日々のこと。嬉しい、楽しい、なんて感情に自分の気持ちが綻びそうになるたびに罪悪感を覚えた。だからとりわけ放浪し始めて日が浅い頃は、自分の中に余計な気持ちが芽生える前に自ら遠ざけた。
 誰かと手を繋ぐなど、誰かと何かを分かち合うなど。まして誰かとの未来を思うことなど、そんなことは自分の人生にはもう訪れないものだと。
 ――終わりを迎えられるその日まで、自分はそうやって生きていくのだと信じて疑っていなかった。
「……それが今や、こうしてお前と人生を共にしてるんだから、何が起こるか分からんよ」
 モクマが小さく笑うと、チェズレイもくすりと口元を緩める。
「今更に、憧れが芽生えましたか? あなたが望むなら今すぐにでも教会でもチャペルでも手配いたしますよ」
「はは、誓うかい? 病めるときも、健やかなるときも――っつってね」
「構いませんよ。もっとも、私は神など信じてはいませんけれどね」
「だろうねえ、お前さんは」
 二人で目を合わせてくつくつと笑ってから、モクマはチェズレイの目を見て再び口を開いた。
「結婚式の真似事は、いいよ。それに憧れがあるわけじゃない。幸せそうな人たちを見るだけで十分だ。それに」
 チェズレイの紫色の瞳を見つめたまま、モクマはすぐそばにあったその手をとる。白い手袋越しに、彼の体温と自分とは違う細く長い手のかたちに触れた。そのまま指を絡めて軽く握りこむ。
 そんなモクマの様子を、チェズレイはなにひとつ取りこぼさないようにするみたいにじっと見ていた。チェズレイの細い髪が、ステンドグラスからこぼれた光を浴びてちらりと光る。それを、綺麗だな、とモクマは頭の隅で思う。
「誓うなら、どこに居るかも分からん神様じゃなくて、俺に誓ってほしいかな」
「……へェ。例えば、どのようなことを?」
「この先何があっても、どんな場所でも――俺をお前の行く未来さきに連れてくって」
 モクマの言葉にチェズレイが小さく目を見開いた後、フ、とその表情を崩す。
 そうして、絡められた手をチェズレイの方からぐっと引き寄せる。あ、と思う間もないような自然な動きでモクマの手の甲に唇が降ってきた。触れるだけのキスは柔らかくてあたたかい熱をモクマの手の甲に寄越す。
「誓いましょう、他ならぬあなたに。私たちが生きている限りずっと、私は相棒あなたの隣に在り続けると。……もう何があろうと、この手を黙って離すことなどないと」
 長い睫毛をわずかに伏せ、チェズレイはモクマにしかみせない顔で笑う。そして今度はチェズレイから絡めるように、痛くない程度の力で柔らかく、強く、モクマと繋いだ手を握りこんだ。


(2024年5月18日初出)
チェズモクワンドロワンライ 第134回【ステンドグラス/誓い】





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