my only star

 開いたタブレットに表示された日付を見て、あ、とモクマは小さく声を上げる。
「七月七日。今日、七夕かぁ」
 そんなモクマの呟きに、自分のタブレットを開いて次のターゲットとなる組織の情報収集をしていたチェズレイが顔を上げた。
「七夕……、東方に伝わる伝承ですね。ミカグラでも祭りのひとつとして受け継がれている」
 織姫と彦星という恋仲にある男女が、年に一度天の川を渡って逢瀬を交わすことが許された日。現代の市民にとっては、笹飾りに願いを書いた短冊をつるす行事、でしたか。すらすらと語るチェズレイに、よく知っとるねえ、とモクマは感心する。流石この相棒はあらゆることに博識だ。
「ちっこい頃はみんなで笹飾りに短冊つるしてたなぁ。マイカの里に行く前だ、近所に大きな笹を飾ってくれてるうちがあってね。マイカでもやってるとこはあったけど、忍びは修行を優先って感じで、マイカに行ってからはそういうのはあんまりやった記憶ないな」
「へェ。幼いモクマさんは、七夕に何を願ったのです?」
 チェズレイは興味深そうな顔をして、モクマの方へ軽く身を乗り出して聞く。持っていたタブレットはぱたんとあっさり閉じられ、テーブルの上に置かれた。どうやら相棒の興味は次のターゲットの調査よりも、モクマの昔話へと天秤が傾いたらしい。
 おじさん、そんなに面白い話はできないけどねえ、と思いながらモクマはチェズレイの質問に答えるため遠い記憶を遡る。なにぶん、もう三十年以上前の幼少期の記憶だ。正直、断片的にしか覚えていない。モクマはぽりぽりと頭を掻く。
「なんだったかなあ。……いざ書こうってなると、あんま思いつかなくて困ったような気がするよ」
 なんか適当に無難なことでも書いたのかも。そう言うと、チェズレイは少し困ったような、あるいは呆れたような表情になる。
「……あなた、幼少期からそうだったのですね。あの里に行く前から」
「みたいだねえ。思い返してみれば」
 苦笑しながら、モクマは開いたタブレットの天気のアイコンをなんとなくタップする。アプリが開いて、今滞在している国の今日の天気予報がすぐに表示された。
「今日は朝から曇り、のち昼過ぎからずっと雨。……こちゃあ織姫さんと彦星さんも会えんかなあ。ミカグラの空の天気はわからんけども」
「今日のミカグラも雨の予報ですね。まァ、雲より上の空では天気など関係ありませんが」
 ノータイムでチェズレイが答える。モクマの言葉を先回りしてタブレットで調べていたのか、元から把握していたのかどちらだろう。相棒にまた感心してしまいながらも、モクマは「確かに、それはそうだ」と頷く。
 チェズレイはもうタブレットを机の端に寄せて、完全にモクマとの会話を楽しむモードになっているようだった。チェズレイが仕事の話を脇に置いたのであれば、モクマも今は特にタブレットに急ぎの用はない。開いたタブレットは天気予報を見るだけで閉じ、モクマもタブレットを机の上に置く。
 七夕なんて、久しぶりに思い出したな。
 もう何十年もこの日を繰り返し迎えているはずなのに。そんな自分を少し不思議に思って、半年ほど前に久しぶりにミカグラに帰ったからなのだろうとモクマは思った。放浪している間は、あまりミカグラやマイカでのことを思い出さないように無意識に自分を縛っていたところもあったのだろう。――そう振り返ることができるようになったのも、DISCARDを追う中でこの相棒から荒療治を受け、自分と過去に向き合うことができたからだ。

(年に一度だけ会うことができる日、かあ)
 七夕の短冊を書いていたような時分のモクマは幼かったこともあって、特にその物語に深い感慨を覚えることもなかった。近所の年頃の子たちなんかは、ロマンチックな日としてそれを解釈していたような気がする。
 ――でもなあ、と、モクマは改めてあの物語を思い返して考える。
 ほんの少しの間物思いに耽ってからモクマが顔を上げると、頬杖をついてこちらをまっすぐに見つめていたチェズレイと目が合った。チェズレイはもしかしたら、モクマのそんな様子をずっと観察していたのかもしれない。モクマを見つめたチェズレイは、小さく首を傾げて微笑む。
「何を考えていらっしゃるのです? ロマンチストのモクマさん」
 モクマを見透かすような紫の瞳。質問の形はとっているが、きっと一流の詐欺師たる相棒にはモクマの思考など筒抜けなのだろう。モクマは「んー、いやぁ……」と苦笑しながら、誤魔化してもどうせ無駄だろうと思って今しがた考えていたことをゆっくりと言葉にし始める。
「……年に一度しか好きな相手、大切な相手に会えないっちゅうのは、寂しいだろうなって。……つい、想像しちまってねえ」
「伝承では本人たちの怠惰が要因であるとのことですので、自らが引き起こした結果、自業自得であるとも言えますが」
「流石、手厳しいねぇ」
 因果応報を己の美学とし、他人に厳しく、そして自分にはもっと厳しい。そんな彼らしい言葉にモクマはそう返す。確かにまあ、そういう見方もあるだろう。モクマがそんなことを考えていると、チェズレイが「時に、モクマさん」と口を開いた。
「ん?」
「つい想像してしまったとのことですが、いやに感情移入をした表情をしていらっしゃった。……どのように想像されたのか、お伺いしても?」
 チェズレイはそう言って、モクマを試すみたいにその瞳をゆらりと細める。
 ――そこまで見抜いとるんだろうに。それでも言わせたがるのは、モクマの口から聞きたいということなのだろう。
「欲しがるねぇ」
「私はかつてのあなたのように無欲ではいられないもので」
 そう返すチェズレイに、ふ、とモクマは思わず小さく笑ってしまう。
「……俺が感情移入するとして、想像する相手はお前さん以外に誰かいると思うかい?」
 モクマの返事に、チェズレイは満足そうに口角を上げて笑った。悪い表情だ。しかしこの青年のそんな表情こそを可愛いとモクマは思う。
「お前ともし年一回しか会えないとしたら、……なんて想像したら、寂しくてつらいなあって思ったよ。すごくね」
 モクマはそこで一度言葉を切って、そしてもう一度チェズレイを見つめて続ける。
「まだこんな風に、毎日当たり前に一緒にいるようになって、半年も経ってないのにね」
 ――チェズレイによって暴かれ、つくりかえられた自分が、どんどんと変わってゆく。この男によって染められてゆく。
 ルークとアーロンのようにそれぞれの場所で闘って、ふとした時に連絡を取ったり会いに行ったりする。そういう形の相棒もあるだろう。それだってとても素敵な絆だ。モクマは心からそう思う。ミカグラを発つ少し前に、ショーの舞台袖でチェズレイと少し似たような話もしたな、と思い出す。
 けれどいざ自分たちのことに置き換えて想像したときに、この相棒が隣にいない日々など、嫌だと思ってしまった。
 日に日に降り積もってゆく感情。それはミカグラを発った頃よりも大きくなっていることに気付く。これが、今の自分の欲だ。……幼少期は自分が何を願えばいいのかも思いつかなかったというのに、自分はこの半年で随分と欲深くなったものだ。
「相棒と年一回の逢瀬など。そんな状況に陥ることを、私が許すと思いますか?」
 そう不敵に目を細める相棒の頼もしさに、モクマはつい笑ってしまう。「思わないねえ」と返すと、チェズレイは満足げに「お分かり頂いているようで何よりです」と頷いた。

「さて、モクマさん。雨が降り出す前に買い物に行ってしまいましょうか。そのついでに例の組織の情報収集を」
 チェズレイがそう言って立ち上がり、いつものしゃんとした立ち姿でモクマを振り返った。声をかけられたモクマも、ひょいと椅子から立ち上がる。
「りょーかい。おじさんも仕事しなくちゃね」
 テーブルの上に置いていた財布をポケットに仕舞い、羽織の下に仕込んである念のための武器も確認する。
 チェズレイの隣で笑い合いながら、悪党を相手取って裏の世界を渡り歩く、穏やかで刺激的な生活。すっかり板についた今のモクマの日常。今もし七夕の短冊を書くのであれば、これが続くようにと願うだろうか。そんなことをふと考えて、しかしそれも少ししっくりこないような気がした。そんなモクマの思考を読んだようにチェズレイが言う。
「私だったら星になど願いませんよ。欲しいものは自らの手で掴みに行く主義なもので」
「いやあ、お前さんらしいね」
 そんな話をしながら玄関まで歩いていく最中、チェズレイがふとモクマの手を取った。モクマが見上げると、チェズレイはふっと微笑みを返す。先程の涼しい声色とは裏腹に、手袋越しのチェズレイの手はあたたかい。
 ――本当、可愛いところがある男なんだから。
「確かに、星に願うよりお前さんと叶えに行った方が早そうだ」
 モクマの返事に、チェズレイの目が満足げにひかる。そんな反応を返す相棒を見て、モクマも目を細めて笑うのだった。



(2024年7月7日初出)





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