解け、満ちる

Kneel跪け
 亜双義が放ったそのCommand命令に、思考よりも早くバンジークスの身体は動いた。ぺたりと床に座り込めば、綺麗に磨かれた大理石の床の冷たさを服越しに感じる。人には到底見せないこんな姿を彼に晒していることも、身体が自分の意志すら介さずその命令に忠実に従ったことも、バンジークスには衝撃だった。そして、それをこの心は今確かに歓びと感じていることも。
 バンジークスが動揺と戸惑いで固まってしまっている中、亜双義はそんなバンジークスを静かに見つめていた。その漆黒の瞳にこんな姿を見つめられていることに羞恥も感じているのに、目を逸らせない。これが、Subの“本能”というものなのだろうか。バンジークスがそんなことを考えていると、亜双義が一歩近づいてきてバンジークスに向けて手を伸ばす。その一連の仕草がまるでスローモーションのように見えた。
「……Good boy良い子だ、バロック」
 普段は呼ばないファーストネーム。亜双義の見かけより大きな手が、バンジークスの頭をそっと撫でた。まるで幼子にするようなその仕草に、しかしバンジークスはぞくぞくと痺れるような、どうしようもないほどの幸福を感じてしまった。
 こんな。こんな姿を晒して、子どもにするように褒められて嬉しくてたまらないなど。バンジークスは僅かに残った理性でそんな己を猛烈に恥ずかしく思った。床につけた手をぎゅっと強く握りしめる。そうしていないと、この僅かな理性すらも簡単に持っていかれてしまいそうで恐ろしかった。
 合意の上の行為だ。しかし、バンジークスにとっては彼のためになるならという思いで頷いたことだった。自分ばかりがこんなに容易く満たされて、師として、年上として、あるまじき醜態を彼に晒すなど――。
 俯いたバンジークスは、ふと視界に影が落ちたことに気が付く。亜双義が屈んだのだ。間近でバンジークスを見下ろす亜双義の瞳の奥には、静かだが確かに、バンジークスと同じ興奮の炎が揺れていた。そして、「良いんですよ」その唇から零れた言葉はそんなバンジークスを肯定するものだった。
「今は、貴方はオレのSubなのですから」
 そう、鋭く真っ直ぐな彼の瞳に見つめられ、辛うじて握りしめた理性すら持って行かれてしまいそうになる。今の私は、この男亜双義のSubなのだ、と自覚させられ抱いたのは紛れもない興奮と高揚。ずっと、長い間満たされなかった乾いた器が急激に満たされるような。指先が震えるほどの幸福に、バンジークスはもう、身を任せるという選択肢しか持ち合わせていなかった。



(2025年4月29日初出)





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