It might be something like eternity
ふと目が覚めて、肩口にわずかな寒さを感じた。眠るときは気にならなかったのだが、夜中の間に気温が下がっていたらしい。少し前まではこの薄手の毛布でもしっかり被ると暑いくらいだったのに、日本の四季での気候の変化は英国よりも大きいことを改めて実感する。あんなに蒸し暑くて仕方の無かった夏は過ぎ去り、気が付けば秋も深まっていた。このままあっという間に冬を迎えるのだろう。時が過ぎるのは早いものだとバンジークスはまだ寝起きでぼんやりとした頭で思う。
部屋の中は薄暗い。まだ夜中だからか、それとも日が昇るのが段々と遅くなっているせいか、どちらにせよまだ起きるには早い時間であることは確かだった。そのうえ、今日は休日だ。時計を見て時間を確認することもなく、バンジークスは落ちかけていた毛布を肩まで被り直してもう一度夢の世界へと身を委ねようとした。
と、目の前で眠っていた彼がもぞりと動き、長い睫毛が小さく揺れる。開いた瞼から漆黒の瞳が覗き、ぱちぱちとその目を瞬かせてからバンジークスの方を見た。
「すまない、起こしてしまっただろうか」
バンジークスが小さな声でそう言うと、亜双義は「いや」とすぐに否定する。それから亜双義は「朝は少し冷えるな」と言って目尻を穏やかに緩めた。寝起きのせいか、彼の声色は普段より少し甘い。亜双義はいつもバンジークスよりずっと早起きなので、寝起きの彼の姿はバンジークスにとっては貴重だった。もう一度その瞳を瞬かせてからバンジークスを見つめた亜双義は、再び口を開く。
「寒いなら、ベッドの端じゃなくオレの近くに来るのはどうですか」
そう言って小さく笑い、亜双義はバンジークスを待つようにその腕をこちらに伸ばした。彼の表情の柔らかさに、バンジークスの心臓が小さく音を立てる。こちらが気恥ずかしくなるような甘い誘いだ。しかしバンジークスは、誘われるままにゆっくりと亜双義の方に体を寄せた。大の男が並んで眠っても余裕のある大きなベッドの上で、二人の距離が窮屈なほど近づいていく。近づいてきたバンジークスに満足するように亜双義は口角を上げ、伸ばしたその手でバンジークスの肩に触れた。亜双義の手のひらは、先程まで被っていた薄い毛布よりもずっとあたたかい。亜双義がバンジークスを軽く抱き寄せる。距離が近づいたことで、触れているところも触れていないところも、亜双義のあたたかな体温を感じていた。
前世での弟子・亜双義一真と再会し、そしてこうして同じ家に暮らすようになって少し経った。互いのプライベートな時間も尊重したいという思いからそれぞれの個室を持ってはいるが、今日のように同じベッドで眠る日も少なくなかった。それはセックスをするかしないかに関わらずだ。相手の存在や体温を側に感じながら眠りにつくことそのものをバンジークスは、そしてきっと亜双義も、日常の中でのささやかな幸福に感じていた。
先程よりずっと近い距離で亜双義が満足げに微笑む。薄暗闇の中で見つめたその表情があまりに美しく見えて、バンジークスは目を奪われる。美しい男だと、バンジークスは思う。それは容姿の話もそうだが、彼の中身、真っ直ぐで高潔で、厳しくも芯の部分は優しい魂の在り方そのものをバンジークスは美しいと思っていた。それは前世からずっと、バンジークスにとって掛け替え無く大切にしたいと思うものだった。
――〝今〟に辿り着くまでに、長い長い月日を経た。前世では自分の中に生まれた感情に向き合うことすら避け、心の奥底の本音を伝え合うことができぬまま生涯を終えた。
何の運命か、再び生を受けた己は前世の記憶を持っていた。皆が持っていないものをなぜ私は持って生まれてきたのか、そこに意味など本当はないのだろう。けれど、もしかしたら、前世での心残りの強さゆえに未練がましく手放すことが出来なかったのかもしれないと、バンジークスは時折そう思わずにはいられなかった。
バンジークスは、この前世の記憶があって良かったと思っている。身を切られるような苦しい過去もある。だが、それと天秤にかけてもこの胸の内にあってよかったと思えるような思い出や、出会いや、人の優しさを沢山受け取ってきたと思えるからだ。そして何よりも、彼と過ごした日々が、彼という存在が自分の中に在り続けたことがバンジークスにとっては嬉しかった。手放さずにいることができてよかったと思う。
(……もしも、仮に。前世の私の未練が記憶を手放させなかったのだとしたら)
彼と再会して、このような関係になって、バンジークスはまた時折考えるようになっていた。
こんなふうに前世での記憶を引き継ぐことがあると、バンジークスは自分自身の経験によって知っていた。けれど、それがそう何度も起こるとは限らない。現に、前世のバンジークスはその前の生の記憶はもたなかった。
寝間着の布越しに亜双義の体温を感じていた。その心地良い温もりに抱かれながら、バンジークスはぽつりと呟く。
「……来世でも、私は、覚えていられるだろうか」
目の前の彼のことを、過ごした日々を、このあたたかさを。彼が私にくれたものすべてを。
零れ落ちた言葉にバンジークスは自分でも少し驚いて、しかしそれが自分の中で反響するように染み渡っていく。忘れたくないと思った。目を逸らし続けた想いがこのような形で報われて、かつての未練はなくなったはずなのに、また私は遠い未来でこの記憶を手放すことすら恐れている。随分と強欲になったものだと自分でも思う。
目の前の亜双義が驚いたように目を丸くした。そんな彼の表情に、バンジークスは慌てて「すまない」と言おうと口を開きかける。変なことを言ってしまった、と反省した。しかしバンジークスが言葉にするよりも早く、亜双義の手がバンジークスの手にそっと重ねられる。その長い指がバンジークスの指に絡んで、小さく握られる。まるであやすような優しいそれにバンジークスが再び亜双義を見ると、すぐ目の前の亜双義はじっとバンジークスを見つめていた。夜明け前の暗い部屋の中でも、彼の目はいつだって真っ直ぐで眩しく光って見えていた。
「大丈夫だ」
と、亜双義はバンジークスに言った。
「まあ、保証なんて無いがな。だがもし貴方が忘れてしまっても――仮にオレすらも忘れてしまっても、オレはきっと貴方を見つけるだろうし、何度でも貴方を口説き落としてみせるさ」
亜双義の言葉に迷いは無かった。そのさまに、もしかしたら彼も既に同じように考えたことがあったのかもしれない、などと自惚れ混じりの考えがバンジークスの頭に過る。彼曰く、どうやら私と彼は似ているらしいから。
「オレは、一度これと決めたものへの執着は強いんです。バロック、貴方はよく知っているでしょう?」
亜双義が悪戯っぽく微笑む。その表情を、バンジークスはひどく愛おしく思った。気付けばバンジークスもふっと口元を緩めていた。細めた瞳で亜双義を見つめる。
「そうだな」
バンジークスはそう言って、先程よりももう少しだけ亜双義の方に体を寄せる。彼の温もりや香りをすぐそばに感じることが、胸の高まりと安心をバンジークスにもたらした。
(あたたかいな)
そうバンジークスはもう一度心の中で呟き、そして目を閉じた。