いびつな欠片、朝のひかり

 神様など、信じたことはなかった。
 神頼みはしなかった。神様を信じてもいなかったし、自分の行く道というものは神に頼るのではなく自分の力で手にするものだと、当然のこととして幼い頃から思っていたからだ。その思いは今でも変わったわけではない。けれど――



「おーい、御剣」と少し遠くから声がした。
 御剣がすっかり聞き慣れたその声の方を見やれば、最近ようやく見慣れてきた水色のニット帽に無精髭の男が雑踏から少し離れたところに立っていた。その隣からも「御剣さーん」と子どもらしい高い声で呼ばれる。笑顔の少女がニコニコとこちらに向けて手を振っていた。
 御剣は二人の方へと足を向け、人波をどうにか縫って二人の前に辿り着いた。御剣を見上げたみぬきは花が咲くように笑って、「御剣さん。あけましておめでとうございます!」といつもの快活な声で言う。御剣は少しだけかがんで彼女と視線を合わせ、「あけましておめでとう、みぬきくん」と返す。
 挨拶を交わした後、みぬきがそのまま何かを期待するようにこちらを笑顔のまま見つめてくる。一瞬考えた後、御剣は「ああ」とその理由に思い至った。
 御剣はポケットに手を入れて、準備してきていたポチ袋を取り出す。ひらがなで「おとしだま」と書かれた、女の子が好みそうな小さなイラストの入ったかわいいポチ袋だ。「お年玉だ。きみの好きに使いたまえ」と言ってみぬきに差し出すと、やはり正解だったらしい。みぬきは嬉しそうにそれを両手で受け取って、「ありがとうございます、御剣さん!」と先程よりさらに明るくなった声で言った。
 お年玉を渡す、という行為は慣れていないが、こうわかりやすく喜んでもらえるのなら悪い気はしないものだ。そう思いながら立ち上がった御剣が成歩堂の方を見ると、成歩堂が意味ありげな視線をこちらに寄越していたので「……キサマにはやらんぞ」と言ってやると「なんだ、残念」なんて飄々とした顔で言ってのける。
 しかしそれも本気ではないと御剣は分かっていた。弁護士バッジを剥奪されてから、成歩堂は御剣を積極的に頼ろうとはしてこなかった。金銭面の施しなど、冗談のようなお年玉だろうと受ける気もないだろう。ただの軽口同士のやりとりだ。そう互いに知っている。
 御剣が吐いた小さな息が、冬の朝のきんと冷えた空気をわずかに白く染める。
「……あけましておめでとう、成歩堂」
「うん。あけましておめでとう、御剣」

 御剣が、成歩堂親子――そう言うと未だに不思議な感覚があるが――とこうして正月にともに初詣に訪れるようになったのは昨年からのことだ。誘われたのは成歩堂側からだった。
 曰く、御剣さんももしお正月に時間があるなら一緒に、と。みぬきが言い出したことらしい。
 確かに、みぬきのマジックショーを見に行ったり、たまに成歩堂の家で三人で食事をとったりといつしかこの二人と御剣は浅からぬ関係性とはなっていた。しかし、正月は一般的に一家団欒で過ごすものと言われることが多い。御剣もそれは尊重したいと思っていたから、いくら近い友人といえ「家族」ではない自分がそこに混ざることは少しばかり躊躇われた。
 しかし、御剣とて正月に何か予定があるわけでもない。――帰るべき家も、御剣はもうもたないのだ。だから、「御剣がよかったらだけどさ。もし気が向いたら来てやってよ」と成歩堂に言われ、少し考えてから、御剣は了承の返事を出したのだった。
 それが去年の正月の約束の話。そして今年も同じように誘われ、御剣は同じように、少し考えてから頷いた。

「それにしても、昨年も思ったが初詣というのはこんなに混雑するものなのだな……」
 列なのかなんなのかもわからない人混みの中に混じってしばらく。ようやく賽銭箱が見えてきた頃、御剣はそう呟く。
「まあマシなほうなんじゃないかな。近所の神社でもこれだから、有名なとこだともっとすごいと思うよ」
 成歩堂の返事に、そういえば正月にテレビでそういう光景を見たことがあるような、と御剣は思い出す。世の中、こんなに多くの人が初詣に行くのだと改めて少し驚かされる。御剣は昔から、初詣に行く習慣はなかった。行きたいとも特に思ったことはなかった。なぜなら御剣は神頼みをしようだなんて発想をもたなかったから、神に祈るために参拝するということに意味を見出せなかった。
 望むものは自分の力で手に入れることこそが自分の道だと信じていたから、自分が神様に願うべきことなど、何もないと思っていたのだ。
「あ。順番、次ですよ!」
 みぬきの声に御剣は顔を上げる。みぬきの言うとおり、列は少しずつ進んで次が自分たちの番だった。前の人たちが順番を終えて立ち去って、三人で賽銭箱の前へ進む。
 用意していた小銭を賽銭箱に投げ入れ、二礼二拍手。初詣や神社への参拝の類の経験は薄くとも、知識は頭に入っている。手を合わせるところまではしたものの、さて何を願ったものか。昨年もここで御剣は困ることになったのだった。まあ、心の中で願ったことが神に届くなどそんなことはあり得ない。それは分かっているから、形式だけでも良いのだろうけれど。
 一度目を閉じる直前、御剣は隣に並ぶ成歩堂とみぬきを横目でちらりと見た。既に目を閉じて何かを願っているらしい二人の姿を見つめ、御剣は少し考える。
 ――神に祈ることなど何もない。すべては自分の手で掴めばいいし、掴めるものだ。
 どんな運命が立ち塞がろうと、そうなのだと。自分はそうやって信じて生きてきたけれど。
(……)
 御剣は手を合わせたままゆっくりと目を閉じる。そして数秒。
 もう一度目を開けて隣を見やれば、成歩堂はもう御剣と同じように目を開けていた。みぬきはまだ目を閉じてなにやら願っている。声をかけずにしばらく待って、みぬきが目を開けて「終わりました!」と成歩堂と御剣にに言ったのを合図に、三人は賽銭箱の前を後にした。

「ずいぶん長かったけど、何を願ってたんだい、みぬき」
 戯れのように聞いた成歩堂に対して、みぬきは自分の口の前に人差し指を立てていたずらっぽく笑う。
「ナイショ! そういうの聞くのルール違反だと思うよ、パパ」
「ルール違反だそうだ、成歩堂」
「おまえそんなルール知らないだろ、御剣」
 初詣初心者のくせに、と成歩堂が言うと「えー、でもパパだって最近までお作法とか分かってなかったでしょ?」とみぬきに突っ込まれてしまう。そう言われてぐうの音も出なくなってしまった成歩堂に御剣は肩をすくめる。成歩堂が言い負かされる姿を見るのは、やはり悪い気分ではない。
 石畳の上に三人分の影が落ちる。ここに着いた時にはただ冷たく感じていた空気も、太陽が昇り日の当たる場所では少しだけあたたかさも感じるようになってきた。今日は冬晴れという言葉が似合ういい天気だ。
 境内をなんとなく歩いていると、美味しそうなにおいが漂っていることに御剣は気がついた。どうやら屋台が多く立ち並ぶエリアに来たらしい。こちらもなかなか賑わっている。友人や恋人同士のような人々もいるが、見渡す限り多数派はやはり家族連れと思われる人々だった。
(……家族、か)
 そんな空間の中に紛れている自分が、なんだか不思議な感覚だった。

 もちろん、自分たちは血の繋がった家族などではない。成歩堂とみぬきは今でこそ家族であるが、ほんの数年前まではまったくの他人同士だった。御剣に至っては、この二人とは家族でもなんでもない。ただの友人同士の間柄である。それも、成歩堂とすら御剣は長い間疎遠な時期もあったのだ。
 それでも、自分たちは不思議な縁で今ここにいる。
 ここに辿り着くまでの時間が、幸福なものだけでなかったとしても。――時に、それぞれが運命というものに翻弄されながら辿り着いた場所だとしても。

「あ、たい焼きだ! いいなあ」
 屋台を眺めていたみぬきが、そのひとつに目を留めてぱっと目を輝かせた。その屋台に少し近づいて、そして彼女は成歩堂のコートの裾を掴んでせがむ。
「パパ。みぬき、たい焼き食べたい!」
 せがまれた成歩堂は苦笑しながらも、「うーん、わかったよ」と頷いてみせる。
「一個ね。ぼくも久々に食べようかな、たい焼き」
 この男は存外、娘に甘い。御剣にとってそれはこの数年で分かった面白い発見だった。そんな光景を少し離れた場所から御剣が眺めていると、みぬきは今度は御剣の方を振り返る。
 日なたにいるみぬきの嬉しそうな表情が、冬の太陽に照らされて光る。
「御剣さんもどうですか?」
 御剣は日差しの眩しさに少しだけ目を細め、それからみぬきに向かって頷き、屋台の方へ歩き出す。日なたに出るとやっぱり眩しいように思う。
 けれどそれを嫌なものとは御剣は思わなかった。
「うム、そうだな。私もひとつ頂くとしよう」
 御剣がそう返事をすると、彼女は自分のことのように嬉しそうに「やったあ」と笑う。それから屋台の前へと駆けていったみぬきは、どの味を注文するかを至極真剣に悩み始めたのだった。




(2024年12月29日初出)
mixi2 二次創作字書きコミュ内ワンライ 第0回【神社の参拝】





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