never ever

 あれ、と思わず声が出そうになった。だってそれは、この家の中でどこか浮いていたというか、家主――御剣の持ち物として相応しくないように思えたからだ。
 リビングのローテーブルの隅に置かれた、爽やかな色をした可愛らしい小瓶。おそらく香水だろう、と成歩堂は思う。自分はまったく縁が無いので、瓶に横文字で書かれたブランド名なのか商品名なのかはよく分からなかった。とにもかくにも、それがテーブルの隅で、窓から差し込む朝日に照らされてやたらと存在感を放っている。
 昨夜からきっとここにあったのだろうが、気がつかなかったな。そう成歩堂は思うが、昨夜はみぬきが友達の家に泊まりで遊びに行っていたので久しぶりに帰宅を気にせず酒を飲んで互いに酔っ払っていたし、そんないい気分のままこの家に来てベッドに雪崩れ込んだのだから、それは見落とすかと苦笑しながら思い直した。
(御剣の趣味……じゃないよなあ)
 香水のことなんて成歩堂にはさっぱり分からないが、なんとなくイメージとしてこれを御剣が自分で選んで買ったようには思えなかった。だから、おそらく貰い物なのだろうと予想する。こんなところにぽつんと無造作に置かれているのもその証左であるように思った。
 香水の贈り物、ねえ。
 そう成歩堂が心の中で呟いた時、ガチャリとリビングのドアが開く。その音に顔を上げると、ドアのところに立っていた御剣と目が合った。先程、ほとんど同時に起き出した御剣に家主だからと先に洗顔を譲ったので、顔を洗った御剣が洗面所から戻ってきたのだ。
「すまない、待たせた――」
 言いかけた御剣が、はたと言葉を止める。成歩堂がローテーブルの前に何故かしゃがみこんでいることと、その目の前にあるものに気がついたのだろう。よく頭の回る天才検事局長殿……でなくとも、そこから何が推測できるかは簡単な問いだった。
 御剣は一瞬固まって、それから眉間のヒビを爽やかな朝に相応しくないくらい深める。短く息を吐き、困ったような顔をして御剣は再び口を開いた。
「……言っておくが、浮気ではないぞ」
 言ってから御剣は大股でずんずんとこちらに歩いてきて、目の前に来たと思ったら成歩堂と同じようにしゃがみ込んだ。視線の高さが同じになる。わざわざ話すのにしゃがみ込む必要はないのだが、立ったままだとさすがに高圧的になってしまうと思ったのだろう。
「仕事の付き合いでの貰い物だ。いらないと伝えたのだが……向こうが強引で、断るに断れなかった。あまり好みの香りでもないから、どうしようかと困っていたのだ」
 そしてその姿勢で丁寧に弁明してくる御剣を見て、成歩堂はいやに目の前の男をいじらしく思ってしまった。
「……別に、わざわざ言わなくても勘違いしないよ」
 だから成歩堂はふっと口元で笑って、御剣にそう返してやる。
「もし浮気してたとしたら、オマエはぼくとこんな、、、ことできるヤツじゃないだろ」
 わざと、暗に昨夜の情事を匂わせるように言ってやればそれは正しく伝わったようで、目の前の御剣は「ム、……」と言葉に詰まってしまう。その頬にほのかに朱がさしている。まったく、昨夜ぼくの上でさんざん可愛げのない振る舞いをした男とは思えない。そう心の中で軽く詰ってやるが、まあ、成歩堂自身もそれはそこまで気にしているわけではないのだ。
 御剣は手の上に顎を乗せ、なんとも言えない表情で成歩堂を見た。
「……それはどう受け取ればいいのだ」
 かけられた言葉を、信頼ととればいいのか、それとも不器用さを揶揄われたととればいいのか、御剣は考えあぐねているらしい。法廷に立てばとことん真実を追究するため迷わないその瞳は、人間関係、こと恋愛関係においてはすぐにこんな風に困って揺れる。
 そういうところだよ、と成歩堂は笑ってやりたい気持ちもあったが、ここで変に拗ねられるのも本意ではない。
「素直に喜べよ。信頼してるんだって」
 だって、この男に対してはこんなふうにどこまでも信頼を預けられるのだということが、成歩堂は心から嬉しかったりするのだ。



(2025年2月1日初出)
ミツナルワンドロワンライ 第12回【香水】





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