余炎と耽溺
その赤い瞳の奥に、まだ燻る炎を見た。そんな気がしたのだ。少し離れれば相手の表情が見えづらくなるような薄暗い部屋の中だけれど、そう見えた。
だから隠神はベッドの上から、「夏羽」と声をかけた。行為の後処理――使い終わったゴムの口を丁寧に結んでゴミ箱に捨てた夏羽は、呼ばれて「はい」と生真面目に返事をして顔を上げる。夏羽は再びベッドの上に乗り上げて、隠神の近くへと来てくれた。従順な犬のような仕草に可愛いなと思いながら、隠神は口を開く。
「……まだシたい?」
そう聞けば、夏羽が目を見開いた。
直後耳まで赤くなって、夏羽はその目を困ったように泳がせる。「いや、その……」と口ごもったのは、隠神の問いへの何よりの肯定だった。そんな夏羽を見て、隠神はふっと口角を上げて笑ってしまう。夏羽の反応の可愛げへの愛しさと、ひどく強い優越感からくるものだった。
今から数年前、怪物屋に来たばかりの頃の夏羽は、交尾どころか恋がなんたるかも知らなかった。相手に与えることはしても、自分の欲望を相手に押し付けようなんてことは絶対にしない。――そもそも本当に出会ったばかりの頃なんかは、自分の欲すらも希薄で、求めていいものなんて思ったことがなかったというような顔をしていた。
大切なものはまっすぐに慈しみ、守り、大切にする。それが隠神が見てきた夏羽だった。夏羽も大人になり、紆余曲折あって隠神とこういう関係になってからも夏羽のスタンスは全く変わらなくて、隠神を尊重し大切にして自分の欲を押し付けなどしない。だからこそこんなふうに体の関係に至るまでには隠神の相当な努力や苦悩や羞恥があったのだが、まあ、それは別の話だ。
とにもかくにも、そんな夏羽が明確に一度事を終えても飽かぬ性欲を隠神に抱き、自分の欲望と彼生来の優しさを天秤にかけて揺れている。求めてもいいのか、迷っている。そんなさまに、どうして優越感を抱かずにいられるだろうか。
「夏羽」
だからそんな彼をもっと誘い込んでやりたくなって、隠神は夏羽の顔を覗き込む。近づいた距離。照明を絞った部屋の中でも、彼の表情がよく見えるくらいの。夏羽の瞳が揺れる。求めていいのか、そのせいで俺に無理をさせてしまわないかと悩んでいるのがその顔に書いてあるようだった。そんな夏羽を見つめて隠神は内心でほくそ笑む。
夏羽の優しい心が、隠神は本当に好きだ。けれど今だけは思う。そんなもの今夜は、俺の前でだけは、早く捨てちまえ。
お前自身が欲しいって言ってるんだろう。
「……隠神さんは」
夏羽が迷ったままの口調で、ぽつりとそう口にする。「隠神さんは、体、つらくないかと」と予想通り隠神を慮る言葉が続くものだから、隠神は目を細めて夏羽に手を伸ばした。その頭を軽く撫でて、「このくらい大丈夫だ」と言ってやる。だいたい本当に、この程度つらくもなんともないのだ。夏羽は隠神の体を本当に優しく扱ってくれるから。
「……、俺はもう一回シたいよ、夏羽」
夏羽の目が再び見開かれる。そして困ったように、けれど嬉しそうに、その表情が小さく綻んだ。「隠神さん」と呼ぶ声に、瞳と同じ熱をみる。
「……あの。もう一回だけ、いいですか」
こちらから誘いをかけたっていうのに、夏羽は律儀にそう伺いを立ててくれる。
「俺も、……まだしたい、です」
ぎこちない言葉。自分の欲を口にすることに慣れていない、ここまで言われてなお自分の欲をぶつけてもいいのかと迷うこの青年がどうしようもなく愛おしい。彼に溺れている自分を改めて自覚する。いつの間にかもう、そんな彼を手放せなくなっていた狡い大人は自分の方だ。
「勿論、いいよ」と許可を出してやる。そうしたら夏羽は嬉しそうな瞳を瞬かせて、近づいた顔をさらに近付けて、唇で唇に触れる。そうして隠神を再びベッドに沈めるその腕はやっぱり、隠神が知るこの世のなによりも優しい手つきをしていた。