君ありて幸福 sample

 リカルドの首都・エリントンから飛行機で十数時間。西の大陸の一国に手配した今回の拠点にモクマたちが辿り着いたのは、もう時刻も深夜にかかろうかという頃だった。冬の夜の空気はきんと冷え、その分澄んだ空には月と星が密やかに瞬いている。
 今回チェズレイが手配した拠点は閑静な住宅街――というよりも別荘地といったところだろうか――の中にある一際大きな家だった。空港から待機していてくれた構成員くんが運転してくれた車を降りて玄関までの短い道を歩く間、二人分の足音とキャリーバッグの車輪が地面に擦れる音が深夜の静かな街に響く。
 しかしそれ以上に、モクマはじわりと昂った自分の心臓の音が彼に届いてしまっているだろうかということを考えていた。
 この国で働いてもらう構成員の皆には近くにアジトを手配しているから、この家に帰るのはモクマとチェズレイの二人だけである。背後でここまで運転してくれた構成員くんが運転する車が走り去っていく音がする。つまり、ここから先は二人きりというわけだ。
 アンティークで重厚な玄関のドアには、見た目とは裏腹に最新式のセキュリティが施されているようだった。鍵を出さなくともチェズレイがドアに触れれば鍵は開き、「どうぞ」と恭しくチェズレイが空けてくれたドアに「ありがと」と笑ってモクマは家の中に入った。人感センサーがついているらしく、モクマが玄関に足を踏み入れただけで玄関に柔らかな明かりが灯る。
 チェズレイも玄関に入って、ドアが閉まる重い音。その直後、ガチャリとオートロックの鍵が締まる音を聞く頃には、モクマはチェズレイの腕を引き噛みつくようにその唇に触れていた。
 触れた唇は、モクマと同じくらいに熱かった。そして柔らかい。久しぶりに、何にも遠慮せずにこれをたっぷりと味わって良いのだ――と思うとそれだけでぞくぞくとしたものがモクマの体の表面を駆けていく。
 気持ちが良くて、もっと、と唇を開いてねだろうとするとこちらから舌をねじ込む前にチェズレイの舌が伸びてきた。それを拒む理由など何もなくて、唇を絡ませて互いの口の中を深く貪っていく。上顎を嬲るように舌でなぞられると、思わず腰がひくりと小さく震えた。いつの間にかチェズレイの腕に抱きしめられていたから、密着したチェズレイにもそれはすぐに伝わったらしい。フ、と唇でチェズレイが機嫌良さそうに小さく笑った気がした。
 久しぶりの深いキスに、それだけで冬の寒さで冷えていた体はすぐに熱くなる。チェズレイといやらしいキスをして、抱きしめられて、すぐそばにチェズレイの見た目よりずっとあたたかな温度といつもの彼の上等な香水のようないいにおいを感じて、それがパブロフの犬のようにモクマにどうしようもないほどの興奮を連れてきた。興奮して、期待して、気持ちが良くて頭がくらくらする。
 次第に息が苦しくなってきて、一瞬だけ唇が離れる。それに思わず寂しいと思ってしまったが、すぐに今度はチェズレイからキスをされた。
 またキスはすぐに深くなって、チェズレイの舌に翻弄されて体の力が抜けそうになる。抱きしめられていたはずが、互いに唇を押し付け合うようにしていたから気付けばモクマは壁際に追い込まれていた。そのおかげで膝から崩れ落ちることはなかったが、モクマの体がブレた拍子にチェズレイの太股に自分の下半身が擦れて、それが直接的な快楽になって「ッん、……!」とモクマは口の端からくぐもった声を零した。耳が熱くなる。既に自分の下半身がすっかり頭をもたげていることがチェズレイにバレてしまった――まあ、これだけ興奮しておいて今更か、とモクマはすぐに思い直す。そうしたら今度はモクマの下腹部あたりに熱くて硬いものがチェズレイから押しつけられて、思わずびくりとモクマの体は震えた。それが何か、考えるまでもない。押しつけられたそれはモクマのものと同じくらいに昂っていた。
 そのことに、モクマは笑ってしまいそうになる。
 チェズレイも同じくらいに興奮しているということへの嬉しさ。この青年がこんないやらしい振る舞いを覚えたことへの高揚。モクマの昂りを知って、自分も同じように昂っていると示してくれた相棒の律儀さ。そのすべてがモクマをたまらない気持ちにさせたのだった。

 エリントンの五つ星ホテルでの心霊現象の調査――久しぶりのチームBONDとしてのミッションのため、そして自分たちの世界征服という途方もない旅路の休暇も兼ねて、ルークの家に皆で滞在させてもらったのがここ一ヶ月のことだった。無事に事件も解決し、ミカグラが誇る歌姫・スイちゃんのショーも堪能し、ルークの家を後にした自分たちは世界征服の旅を再開するべく、チェズレイがいつの間にやら目星を付け拠点の手配までしていた西の一国へと飛んだ。
 ルークの家で四人暮らしをしている間は、ルークとアーロンが居ない時に隙を見て軽い親愛のキスを交わすことくらいはあったが、それ以上の性的な接触は一切していなかった。
 チャンスは全く無いわけではなかったし、やろうと思えば外にホテルを取って思う存分イチャイチャ、なんてこともできただろう。触れたいという思いが全く湧き上がらなかったわけではない。けれど、ルークもアーロンも聡い二人だ。自分たちがそういう関係ももっていることは察してはいるだろうし、そこは立ち入らないでくれる彼らだろうが、そういう空気を四人暮らしの中に持ち込むことは何となく憚られた。
 しかしそんな理由以上に、単純に、気の置けない四人での暮らしが楽しかったのだ。
 なんだかんだと定期的に集まるタイミングはあったものの、こんなに長い時間を四人だけで過ごすというのはDISCARDの一件が終わってから初めてのことだった。毎日が賑やかで楽しく、貴重なこの時間をめいっぱい堪能したい気持ちの方がモクマにとって大きかったのだった。
 チェズレイも同じ気持ちだったのだろう。ふと二人きりになった時に視線を交わして、手や唇を軽く触れ合わせることはあれど、あの期間の自分たちはそれで満足していた。同道してからこっち、こんなに長い間他の誰かも含めて暮らすようなことはなかったから、珍しいそういう距離感を互いにある種楽しんでいた節もあったくらいだった。

 ようやく唇が離れて、互いの唇の間を唾液の糸が伝う。は、とモクマは熱い息を零してからチェズレイを見上げると、チェズレイも息を荒くしてその白い頬を赤く染めていた。唇が唾液でじっとりと濡れて赤くなっているのがどうしようもなく扇情的で、ずくりと下半身が重くなる。
 ああ、どうしよう、――たまらない。
 一ヶ月間、隅に置いていた情欲が一気に体の内に蘇って暴れている。それがどうにも楽しくて、モクマは唇の端を上げてチェズレイの好きな表情を作って彼を誘い込んでやる。モクマが彼の前でしかしない表情だった。
「がっついとるねえ、お互いに」
 モクマの表情を見て、彼も素直に煽られてくれたらしい。その宝石のような美しい紫の瞳が色を濃くして、熱っぽく揺れる。
「そうですねェ。……一ヶ月ぶりですから」
 そう言ってチェズレイもまた、モクマの前でしか見せない欲に濡れた表情で笑う。
 ――この一ヶ月間、無理をしていたつもりはない。過度な我慢をしていたわけじゃない。自分たちがしたくてそうしていた。しかし、いざ二人きりになったらどうだ。
 また相棒との旅路が始まる。久しぶりにまた二人きりの生活に戻る。また彼の隣で、いつでも彼に触れていい、そんな二人旅に戻るのだ。ルークとアーロンと別れてチェズレイの隣に立つとその実感が湧いてきて、同時にこの一ヶ月間ほとんど思い出さなかったはずの彼に対する情欲も蘇ってきた。
 それは飛行機に乗っている間、構成員くんが運転してくれる車に乗っている間。エリントンを発ってからの十数時間、ずっとチェズレイの隣にいるうち一度目を覚ましたその思いはじりじりと燻り、膨らんで、ようやく完全に二人きりの空間に辿り着いた頃にはそれはすっかり手が付けられないほどの熱に成長してしまっていたのだった。
 荷解きもまだなのに、とか、長旅で疲れているだろうから今日はもう休んだ方がいいだろう、とか。理性はそう言うのに、そんな聞き分けの良い言葉を吐くことを感情が拒む。
 今すぐベッドに行きたい。チェズレイの体温をもっと感じたい。チェズレイも同じ事を思っているということは、その瞳に灯った同じ温度の熱をみれば分かった。そのことにモクマはひどく興奮し、そして喜びを覚えた。
 いつだってきちんとしたこの相棒が、長旅を終えて家に着くなり、他の何を差し置いてもモクマに触れたいと望んでいる――モクマとセックスをしたいと思っている。そのことに、優越感を覚えずになんていられないだろう。
 このままこの可愛い男をベッドに連れ込んで、受け入れて、一緒にぐずぐずになって俺の中で可愛がってやりたい。そう衝動のように強く思うのに、生憎と長旅明けで準備などする暇もなかった。すぐに受け入れることができないこの身体をもどかしく思う。
 小さく熱っぽい息を吐いて、モクマはチェズレイのコートの端を掴む。幼子が甘えるような仕草になってしまったとやってから気付く。そんなモクマを見て、「モクマさん」と呼んだ相棒の声は、この一ヶ月の間も数えきれないほど呼ばれたはずなのに、随分と久しぶりに呼ばれたような気がした。
 一ヶ月ぶりの、明らかに熱を滲ませた声。その声に、またモクマはたまらなくなる。
「……、シャワー浴びてくる」
 モクマが言うと、チェズレイは目を細めて妖艶に微笑む。
「ええ、私も。……ベッドでお待ちしています」



 チェズレイが手配する家は、いつも信じられないくらいに広い。
 今回の家も二人暮らしには十分すぎるほどに広く、浴室も二つあった。最近はある程度慣れてきたとはいえこの広さには気圧されるが、浴室が二つあるというのはこういう時にありがたかった。順番にシャワーを使うよりずっと時間短縮ができ、少しでも早く触れ合うことができるからだ。――もしかしたらチェズレイはこういうことも見越して、浴室が二つある家を選んでいるのかもしれない。
 そんなことを頭の隅で考えながら手早く体をきれいにして準備も終えて、脱衣所にいつの間にやら用意されていたバスローブを着てベッドルームへ向かう。
 ドアを開ければ、同じくバスローブ姿のチェズレイが既にベッドの上に座ってモクマを待っていた。その長い髪は後ろの低い位置で一つに結わえられている。モクマの知る限り、チェズレイは荒事を前提にした潜入の時と、あとはセックスの時にだけこうして髪を縛る。
 チェズレイが顔を上げてモクマを見る。視線が絡む。その瞳に灯った温度は、先程よりももっと熱い。
 いつもは涼しい顔ばかりをみせる彼が、その顔に浮かべたぎらついた情欲をもはや一切隠さない。BONDの他の面々と居るときには、いや、ほかの誰と居るときにも決して見せない表情――モクマにしか見せない表情だ。その顔を見ただけで、まだ触れてもいないのにモクマはぞくぞくと興奮した。
 今この瞬間のこの男が、自分だけのものなのだと実感する。それはこの一ヶ月、みんなと一緒に居るチェズレイばかりを見てきたからこそ余計にモクマに背徳的な興奮を連れてきた。
 それが表情に出ていたのかもしれない。モクマを見つめたチェズレイは、さらに熱っぽい視線でモクマを絡めとる。暗黙の了解のようにモクマが部屋の電気を落とせば、ベッド横の間接照明だけが部屋を淡く照らした。あたたかいオレンジの明かりがチェズレイの輪郭と、きれいに整えられた広いベッド――これからすぐに自分たちのせいでぐちゃぐちゃになってしまうだろうが――を優しく浮かび上がらせる。
 その光が照らすもとへ誘われるようにモクマはベッドの上に乗り上げ、「チェズレイ」と呼んだ。その声に素直にチェズレイが近付いてきて、「モクマさん」と先程よりももっと甘い囁くような声が耳を揺らす。チェズレイの手が頬に触れて、キスをされて、そのまま優しくベッドに押し倒された。
 互いの口の中を貪るようなキスを交わしながら、手袋を脱いだチェズレイの、細くて長い素手の指がモクマの鎖骨のあたりをそっと撫でる。撫でる、なんて優しいものじゃなく、明らかに意図を持った愛撫の動きだった。
 チェズレイの指が肌に触れるだけで気持ちがいい。指はすぐにバスローブの中に侵入してきて、モクマの着衣を乱れさせていく。片手でモクマの胸元をまさぐりながら、もう片方の手がバスローブを留めている腰布をするりと解く。随分と器用なことだ。――最初の頃はものすごく初々しかったのに、すっかりいやらしくなっちまって。モクマは熱に浮かされた頭の隅でそんなことを考えて笑いそうになる。初々しかったかつてのチェズレイも、いやらしくなった今のチェズレイも、どっちだってモクマにはたまらなかった。
 そんなことを考えていたのがチェズレイにはバレていたのだろうか。ほんの少し油断した瞬間、モクマの唇から離れたチェズレイが今度ははだけた胸の先端をべろりと大きく舐め上げてきて、その感触が痺れるような快楽を呼んでモクマは思わず「アッ、」と上擦った声を零した。その反応に、こちらを上目遣いで見たチェズレイがにやりと妖しい笑みを浮かべる。
「フフ、……こちらでの快楽を忘れていらっしゃらなかったようで安心しましたァ……」
 満足げな声で言うチェズレイに、モクマは苦笑した。
「忘れられんて、あんなしつこく開発されたら……」
 冗談半分、本気半分でのモクマの言葉に、満更でもない様子でチェズレイが目を細める。
 最初は胸を触られてもただくすぐったいくらいで、頑張って触ってくるチェズレイが可愛いなと呑気に観察する余裕すらあったというのに。こうと決めたことにはまっすぐで、周到で、努力を惜しまないこの男によって年月をかけてすっかり体をつくりかえられてしまった。――それも悪くない、と思っているのだからどうしようもない。先程舐められた方とは逆の乳首をチェズレイが指で捏ねてきて、「んぁ、……っ」とまた甘えたような声を零してしまう。腰が疼く。そんなモクマの反応をチェズレイが嬉しそうな顔で見つめているのに気付いてしまえば、この男のいじらしさにまたどこまでも甘やかしたくなってしまった。
(本当に、かわいいやつ)
 じわりと体の中に染みわたっていくような愛おしさ。その気持ちのままに、モクマはチェズレイの髪をあやすように撫でてやる。
「お前に触れられたこと、覚えてるから。全部。安心しなよ」
 そう言ってやれば、チェズレイはぱちりとその目を瞬かせる。その仕草や表情が、いやに幼い子どものように見えた。そうして続けた言葉もまた、まるで途方もない約束を願ってみせる子どものようだった。
「ずっと?」
 軽く首を傾げてみせながらそんな言葉を口にしたチェズレイに、モクマはふっと笑う。
「ずっと。……まあ、おじさんの記憶力がもつ限りは……」
 モクマが最後は少しふざけた調子になってしまうと、チェズレイは呆れたような表情になって「あなた、そうやってはぐらかすところ、悪い癖ですよ」と言う。しかし言葉とは裏腹にチェズレイは上機嫌なままで、本気で気を悪くした様子はなかった。
 チェズレイが再びモクマの胸元に舌を這わせる。少し弄られればそこはすぐに芯をもって、そんなところをぎゅっと強く押し込むように愛撫されたり反対側を指できゅうと優しく摘ままれたりすればたまらなかった。
「っ、~~ぅあ、あっ、んん」
 触れられる度に、開きっぱなしの口から嬌声が零れる。もどかしく甘い快楽に腰が疼く。今触れられているところは違うのに、すっかり快楽の回路が繋がってしまった体はチェズレイに胸を愛撫される度下半身を熱くさせた。
 もっと触って欲しい気持ちと、より直接的な刺激が欲しい気持ちが頭の中でぐずぐずに混ざり合う。そうこうしている間にチェズレイの手がモクマの脇腹を撫でて、その形を確かめでもするようにねっとりとした動きで腰をなぞった。その感触だけでモクマはぶるりと震えてしまう。
 敏感になった体はチェズレイが触れるだけで気持ちが良くて、そして腰に触れる手の熱に、挿入されながら腰を強く掴まれる瞬間の感触を思い出してしまって、モクマは大きく息を吐く。吐き出した自分の息は熱く、湿っていた。
「チェズレイ……、ッ、あ」
 名前を呼んだ直後、乳首を柔く噛まれてその刺激に声が震える。わざとだ。したり顔をしたチェズレイがモクマを見上げて、「気持ちいいですか?」と分かりきった問いを投げてきた。それもモクマの胸元からほとんど顔を離さず聞いてくるものだから、唾液でべとべとに濡れた胸がチェズレイの熱い息に触れて、それだけでもぞわりと快楽がモクマの肌を撫でていく。
「きもちい、けど、さあ」
「けど?」
 チェズレイがそう聞き返してくる。その間にもチェズレイの手はモクマの体を柔らかい手つきで撫でてきて、「ン、っ」とモクマは小さく声を零した。気持ちいいのに、肝心なところにはあえてまだ触れようとしない彼の手がもどかしい。モクマに触れるその手が、その熱が、どれだけモクマに快楽を与えてくれるか自分はもう知っているからだ。
(でも、手じゃなくて、もっと――)
 その先を想像して、こみ上げてきた生唾をモクマはごくりと飲み込んだ。それだけじゃなく、あらぬところも疼くような心地になってしまう。ああもう我慢ができないと思って、モクマは膝を立ててチェズレイの股間を違わずぐいと押し上げてやった。
 敏感な場所への急な刺激に、チェズレイが「ッア!」と声を零して眉根を寄せる。触れたそこはもうすっかりと固く、そしてひどく熱い。その声も顔も可愛くて、相棒を少しだけ出し抜けたようで楽しくて、そしてまだまともに触っていないチェズレイのそれが自分の痴態でこんなにも勃起していることが嬉しくて、モクマはへらりと締まりの無い顔で笑う。







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