4.


「はい、御剣の分」
 成歩堂が差し出した冷たい缶ビールを、御剣は「ありがとう」と言って片手で受け取る。ローテーブルに置いたつまみは先程コンビニで買ったものと、家に余っていた適当なものの寄せ集めだ。ワイン片手に夜景を見ながら優雅な晩酌でもしていそうな――いや、実際に一人での晩酌はそんな感じらしいが――あの御剣怜侍が、こんなアパートの一室で缶ビールとあたりめやら何やらコンビニの安いつまみで晩酌をしているのが成歩堂には未だになんだか面白い。矢張と三人で飲むときの安い居酒屋も然りだ。それでも御剣は戸惑いはしても文句を言ってきたことは一度もないので、御剣も意外と気に入っているのかもしれないなと成歩堂は勝手に解釈している。
 ソファを背もたれにして、成歩堂も御剣の隣に腰を下ろした。缶ビールのプルタブを引けば、ぷしゅ、と炭酸が抜ける音がする。「それじゃ、かんぱーい」と軽く互いの缶をぶつけ合い、ごくりと一口飲んだ。きんと冷えたビールの冷たさと苦さが喉の奥まで染み渡る。成人したばかりの頃は苦手だったビールの味は、いつの間にか好きになっていた。
「それにしても、まさか来られるとは。びっくりしたよ」
「うム。仕事が入ってしまって本当は行けそうになかったのだが、思いがけず早く終わってな。閉会までに間に合ってよかった。……みぬきくんの、高校最後の文化祭だものな」
「……うん」
 なんだか妙にしんみりとした空気になってしまった。「高校最後かあ」と成歩堂は呟く。みぬきと出会った頃は、まだあんなに小さな少女だったというのに、次の春にはみぬきは高校を卒業し大学生になる。時の流れというのはあまりにも早い。みぬきは既に総合型選抜入試――自分たちの頃でいうAO入試というやつだ――の形で大学受験を終えており、ここからも無理なく通える地元の大学への進学が決まっていた。この家を離れる予定もなく、来年からも何かが大きく変わるわけではないはずなのに、こうして最後をひとつずつ数えているといやに寂しい気持ちが成歩堂の胸に去来するのだった。そしてそれと近い感傷をどうやら御剣も抱いているらしいことを、ビールを傾けるその横顔から成歩堂は見て取った。
 今日はみぬきの高校最後の文化祭で、みぬきはクラスでは模擬店、個人では体育館のステージを借りてマジックショーを開催していた。仕事を終えて閉会ギリギリに文化祭に駆け込んだ御剣はみぬきのマジックショーの時間には残念ながら間に合わなかったが、模擬店には足を運ぶことができて、滑り込みで最後の一個のタピオカミルクティーを購入することができた。御剣とタピオカミルクティーのあまりの似合わなさも、買ったはいいものの初めてのタピオカミルクティーに戸惑う御剣もいやにおかしくて、みぬきと二人でけらけらと笑ってしまったのだった。
 みぬきはクラスのみんなとの打ち上げの後、仲の良い友達とお泊まり会ということで今日はおらず、成歩堂家には成歩堂と御剣のふたりだけである。みぬきは折角御剣が来てくれたのに会える時間が少ないことを残念がっていたが、御剣は自分はまた会いに来るから学校の皆と過ごせる時間を優先してくれとみぬきに諭していた。成歩堂も御剣と同意見だった。
 御剣が行ったときには売り切れていたけどみぬきのクラスで売っていたチュロスも大好評だったとか、文化祭の初日にはみぬきに誘われた牙琉検事もお忍び――と言うには目立ちすぎて速攻で学校中にバレていたが――で来ていてちょっとした騒ぎになっていたとか、成歩堂がみぬきと一緒に回った別のクラスのお化け屋敷が本格的で怖かったとか、体育館でのみぬきのマジックショー公演はチケット即完売の大盛況だったとか、そんな他愛もない話をしながら二人でだらだらとビールを飲む。ああそうだ、マジックショーといえば、と思って成歩堂は御剣に水を向ける。
「そういえば、御剣。今度のみぬきのマジックショーの件ありがとな。わざわざ予定調整してくれて」
 言われた御剣は、「ム」と言って成歩堂を見やる。
「こちらこそ誘ってくれて感謝する。今回は調整ができてよかった。前回は残念ながらどうしても外せない仕事が入ってしまったからな」
「前回……まあ色々とそれどころじゃなくなっちゃったけどな、あの時は」
 成歩堂はそう言いながら、その『前回』のことを思い返して苦笑する。みぬきは事件に巻き込まれ被告人となってしまい、自分はクラインにいて直接裁判に関わることができず、オドロキくんとココネちゃんが奮闘してくれて何とか無実を証明できたけれど今思い返してもヒヤリとして心臓が縮こまる思いだ。そしてその直後にこちらもクラインで大きな事件に巻き込まれ、御剣もみんなも来てくれて――本当に色々あった。あまりにも怒濤の日々がつい数ヶ月前のことだなんてとても信じられない。日本で平和に御剣と安い缶ビールでだらだらと晩酌をしている今との落差を思えばひどく不思議な感じだった。
 互いに何だか思いを馳せてしまって、言葉が途切れた。静かになった部屋の中、成歩堂は手持ち無沙汰になってぼんやりと御剣を見る。
(……言うなら、今だろうな)
 成歩堂はそう思った。今を逃すと時間が空きすぎてもう言えなくなりそうで、ずっと自分の中でもやもやとしたしこりが残ったままになるのだろうと思った。
 これ以上追求しないほうがいいのかもしれないとも思った。プライベートな、結構繊細な話に踏み込むことになるから。だけど、あの時の御剣が苦しそうだったから――心許なくて、まるでひとりぼっちだと思っているような、そんなふうに見えたから――今更この男を放っておきたくないと、あの時のことをなあなあなままにしたくないと思ったのだ。
 成歩堂の視線に気付いた御剣が怪訝な顔をする。「私の顔に何かついているだろうか」と聞くので、「いや、別に」と返す。目と鼻と口がついてる、と返した方がよかっただろうかとちらりと思ったが、今はそういうふざけ方をするタイミングではないなと思ってやめた。
 すう、と成歩堂は小さく息を吸う。缶ビールを持つ手のひらにうっすらと汗が滲んだ気がした。少しだけ緊張しているようだということを自覚したが、そんな自分を無視して口を開いた。
「この間さ」
 と、できるだけ軽い声色になるように意識しながら成歩堂は話し始める。こちらを見た御剣と視線がかち合う。

(後略)

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