「おい、どーした」
 少し焦ったような流川の声色が愉快に思えた。こんな状況でなければ笑い飛ばしていたに違いないが、しかし今はこちらだって余裕は全然なかった。
「……も、大丈夫、だから」
 花道の言葉に、流川が「なに、」と返す。流川にしては珍しい戸惑ったような声だった。そういえばコイツも多分童貞だもんなあ、なんてことを思う。別に直接聞いたわけではないが、三年間同じ部活にいてあれだけモテていたのにそれらに全く興味をもたず、そういう話も一切聞いたことがなかったので、まあおそらくそういうことだろう。
 短く吐いた熱い息が枕に吸い込まれた。顔を少しだけ動かして、流川に視線を向ける。流川の顔を、花道はなんだか久しぶりに見たような心地になった。
 こちらを見下ろす流川の顔は赤くて、余裕なんてまったくない様子で、ぎらついているくせにぎりぎりのところで我慢しているみたいな、そんな目をしていた。その顔を見た瞬間、ぎゅうと心臓が痛くなる。ひでー顔だ。高校の時にいた親衛隊のコたちが見たらぶっ倒れるんじゃねーの、と頭の隅で思う。
 まあこいつのこんな顔、きっと、オレしか見れねえけど。――他の誰にも、こんな顔を向けるコイツは見せたくはない。花道は熱に浮かされたような思考の中でそう思う。
「そろそろいけると思うから、いい、……って言ってんだ」
 全身が熱い。ずっと心臓がうるさい。そんな鼓動をいなそうとするように、花道は意識的に大きく息を吸って、そして流川に言う。
「てめーの、挿れていいぞ、流川」
 流川の目が見開かれる。その強い視線が、痛いほどに自分に向けられる。恥ずかしい。嬉しい。見ないでほしい。見ていてほしい。相反する気持ちが自分の中で渦巻いてはどくどくと心臓をうるさくさせる。花道は無意識に、シーツを掴んでいた手にわずかに力を込めていた。流川が再び口を開くまでの時間が、いやに長く感じられた。
「……悪いけど、余裕ねー。無理でも途中で止められる自信ねえぞ」
 本当にいいのか、と今更に流川の目が花道に問う。花道は思わずごくりと喉を鳴らす。
 全然怖くないかと言われれば、やっぱり嘘になる。だけど、花道はあえて気丈に流川に返した。その方が、自分たちらしい気がしたからだ。
「……てめーの余裕ねー顔拝めるなんて気分いいな」
「……どあほう」
 花道が少しふざけてみせれば、流川からは聞き慣れすぎた言葉が返ってくる。ずっとムカついていたはずのその言葉が、今は妙に花道にほっと安心のような感情をもたらすのだから不思議なものだった。
 今自分を組み敷いているのは、これから自分を抱くのは、他の誰でもなく流川だ。だったら、なんだって構わなかった。
「この天才に二言はない」
 そう花道が宣言すると、流川はゆっくりとひとつ瞬きをした。そしてその長い睫毛の隙間から、ぎらついた、強い瞳が再び花道を射すくめるように見下ろす。
「……マジで無理だったら殴って止めろ」
 この状況に似つかわしくない物騒な言葉がおかしかった。しかし、それがやっぱり自分たちらしいとも思った。
「は、……分かりやすくていいな。わーった、マジで無理ならぶん殴る」
 そう言ってやると流川はコクリと素直に頷いて、花道の尻から指を引き抜いた後に枕元に用意していたコンドームを手に取った。
 袋を破る音がいやに大きく耳に届いて、押し込めた緊張がまた飛び出してきそうになる。いよいよなのだと覚悟をして、花道は枕に頭を押しつけてその時を待った。
 しかし少し待っても流川は何も言わないし動かないので、あれ、と花道は思い始める。思っていたよりもつけるのに時間がかかっているように思えて、じりじりと焦れた花道はちらりと視線だけで再び流川を振り返った。
「……大丈夫か? つけ方分かるかおい」
「うるせえどあほう」
 今度のどあほうは拗ねたような、投げ捨てるみたいな声色だった。偉そうに言うけどてめーも童貞だろうが、と暗に言われているのが分かる。まあ、それはそうなのだ。正直花道もコンドームの付け方などよく知らない。
 でもまあ、取り出してバッとつければいいだけじゃねーのか、と思う。そういえば雑誌に図解つきで書いてあったような気がしなくもないが、それよりもセンセーショナルな「男同士のやり方」のほうに目を奪われてしまったから、よく読んでいなかったのだということを思い出した。
 雑誌はベッドの下にこっそりと仕舞ってある。キツネがどうしても分かんねーって言うなら、助け船を出してやってもいいが――そんなことを考えていると、後ろからいつもの低い声が降ってきた。
「つけた。……挿れるぞ」
 その言葉と共に、熱いものが尻にぴたりと宛がわれた。瞬間、ぞくりと身体に緊張が戻ってくる。本当に入るのか、という気持ちがまたぶり返してきそうになるが、しかしここまできたらもう、どうにでもなれだ。
「……ん」
 再び枕に頭を押しつけながら頷くと、ふう、と流川が息を吐く音が聞こえた。それから、尻に宛がわれたそれがぐんと押しつけられて、花道の中に入ってくる。
「ッ! ~~ぅ、あ……」
 中をこじ開けられるような感覚。その質量と熱さは先程までそこを解していた指とは全然違うもので、先端が入ってきただけで息が詰まるような心地だった。頭がくらくらとする。
(これが、るかわ、の)
 そう思うと、それだけでさらにかっと体が熱くなる。背後で「ん、」と流川のわずかに上擦ったような声が吐息とともに零れる。
 流川も、感じているのか。気持ちいいのか。そう思うとたまらない気持ちになる。だけど、苦しい。先程よりもずっと大きなものが腹の中に入ってくる感覚に慣れるのに、すぐにいっぱいいっぱいになる。
 大丈夫だ、ちゃんと自分でも解したろ、この天才にこれしき。そう余裕が一瞬で消し飛んでしまいそうな自分を宥めようとする。
「息、しろ。ちゃんと」
 流川に言われて、自分が息を止めてしまっていたことに気付く。天才だというのに不覚だ。
 花道は意識的に息を大きく吐いて、そして吸った。肺に深く空気が届いて、それだけで少しほっとする。――そのタイミングで流川のそれが中に擦れて、思わず堪えようもなく「あ、ッ!」と声を上げてしまったことはいただけないが。慌ててもう一度枕を噛んで声をおさえる。流川は今度は文句は言ってこなかった。
 そうだ、力を抜かないと。変に力が入っていたら入ってくる流川もキツいだろう。しかしこの状況でどう力を抜けっていうんだ、という気持ちになり、うまくできないまま花道は焦れったいほどゆっくりと入ってくる流川を受け止めることしかできない。
(あーくそ、……ちゃんと調べてきたし、本当はもっと余裕でリードしてやりたかったのに)
 それが少しだけ悔しくて、しかしそんな思考も中の熱さと擦られる感覚にすぐに散り散りになってしまう。
「……もーちょい」
 親切のつもりなのか何なのか、流川がそう呟くように言う。それに対する花道の素直な感想は、「まだあんのかよ」だった。初めてだから他に比べようもないが、こんなん初心者が挿れていいデカさじゃねーだろ、という気持ちになる。オレの準備がなかったら無理だったんじゃねーの、やはり天才――だなんて余所事を考えていないとどうにかなりそうだった。
 腹の中にまざまざと感じる流川の温度、その質量。内側から圧迫され、そして愛撫される感覚。ぞくぞくと、何なのかもわからない感覚に体が勝手に震えた。
 怪我をしているわけでもないのに自分の体が自分でままならないという感覚も初めてのことで、混乱して、シーツをぎゅっと握ることでどうにかそれをいなそうとする。後ろから聞こえる流川の荒い息がやけにリアルだった。









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