唯一で特別なきみへ sample




 誕生日というものに対して、特別な感慨はなかった。
 ただ何年か前に自分が生まれた日というだけで、別に何かをしたわけでもないのに祝うというのが自分にとってはよく分からないものだったというか、ピンとこなかったのだ。幼稚園や学校で、誕生日会をしたなんていうクラスメイトの話を聞いても全然羨ましいとも思わなかった。
 勿論、その日になれば家族は毎年祝ってくれて、おめでとうという言葉とプレゼントをくれた。バスケを始めてからは誕生日に貰うものはバスケ関連一色になり、新しいバッシュやボールなどを買ってもらえるのは嬉しかった。あとは、おせちと一緒に自分の好物やケーキがテーブルの上に並んだ。
 それ以上でも以下でもない。自分にとって一月一日というのはそういう日だった。
 ――そんなことを言ったら、桜木に「オメーはやっぱり冷徹キツネだな!」と怒られた。付き合い始めて間もない、高校二年の冬のことだった。
 何の話の流れでそうなったのかは忘れたが、いつものように部活帰りに二人で帰っていたときに誕生日の話になった。そういえばいつだと聞かれて日付を言えば、「……いや、この間じゃねーか!」と桜木は頭を抱え「言えよ!」と流川に向けて怒った。別に隠していたわけでもなんでもなく、言うきっかけもその必要性も感じなかったから言わなかっただけだったのだが、桜木にとっては違ったらしい。流川が誕生日なんてそんな重要なものかと話せば桜木はさらに眉間に皺を寄せ呆れたような顔をした。
 誕生日はちゃんと祝うものだろ、親御さんや家族がそんだけしてくれてんだから感謝の気持ちを持て、そうくどくどと説教された最後に、「……来年はオレにもちゃんと祝わせろよ」と桜木が言った。
 誕生日を祝う意味というのはやっぱりまだピンとこないままだったけれど、それでもその言葉と、ぼそりと気恥ずかしそうに言った桜木の表情を見たときに心がふっとあたたかいものが湧き上がって、その気持ちのままに流川は素直に頷いた。
 その翌年に桜木は本当に誕生日に家の近くまで尋ねてきて――誕生日だし、正月だし、お邪魔するのも何だか気が引けるとこんな時ばかり妙な遠慮をみせた桜木は電話で流川を近くの公園に呼び出してきた――金がねーからちゃんとしたプレゼントとかは用意できなかったけどよ、と言いながら祝いの言葉をくれた。そして桜木が持ってきていたボールで1on1をして、ひととおり終えてもなんとなく互いに離れがたくて、桜木が「こんなことすんの、今日だけだからな」と恥ずかしそうに言って誰もいない公園の大きな木の陰に隠れて触れるだけのキスをくれた。
 高校三年、流川は春からのアメリカ留学が決まり、桜木はいったん日本での進学が決まっていた、そんな冬のことだ。
 一月一日という自分の誕生日はいつだって冬休みまっただ中、その上正月だから、学校もクラブも部活もいつも休みの日だ。だから、当日に家族以外の誰かに祝われた記憶というのはなかった。しかしそれを不満に思ったことも一度もなかった。
 それが自分にとってのいつもの誕生日だったのだ、桜木と付き合うようになるまでは。
 あの年、寒空の下尋ねてきた桜木の、きっと寒さのせいだけではない赤い顔を見たときに、気恥ずかしそうな顔をしながらも手渡してくれたおめでとうの言葉を聞いた時に、人生で初めて誕生日を祝われることを嬉しいと思った。
 そのことを今でも流川は、誕生日になると思い出すのだ。



 テレビの中では最近人気の歌手が歌声を響かせている。アメリカで人気の年越し番組だ。軽快な音楽も張りのあるパワフルな歌声も、しかしすっかり眠気が降りてきている流川にとっては子守歌のようなものだった。
 瞼が落ちてきて、あーもうねみい、と思った流川は横にいる桜木の肩に凭れた。自分と同じほどの体躯の男は、渡米してからも少し身長が伸び二メートル弱の身長となった流川を受け止めてもびくともしない。そのことをまどろむ意識の中で嬉しく思った。
 肩に完全に頭を乗せて目を閉じかけると、狭くなった視界の端で桜木の顔がこちらを向くのが見えた。それに構わず、流川はそのまま目を閉じる。
「もーちっとなんだから、起きてろよ」
「んー……」
 顔を見なくても、桜木は今呆れたみたいな顔で笑っているのだろうと声色で分かる。すぐそばで聞こえるその声が心地よい。流川は眠気に任せて生返事だけ返したまま桜木に体重をかけるが、桜木はそれを拒まなかった。だから流川は、そのまま桜木に凭れて目を閉じる。
 やべ、このままマジで寝そう。桜木には今日くらい起きていろと言われたから頑張ってこの時間まで起きていたが、普段はずっと早い時間にベッドに入っている流川はそろそろ眠気がピークを迎えようとしていた。先程桜木に付き合って久々に少しだけ飲んだ酒のせいもあるかもしれない。流川にとって酒は、旨い代わりに眠気を連れてくる飲み物だった。
 まあそれでもいいか――と思っていよいよ睡魔に身を委ねかけたところで、「あ、ほら」とすぐそばから桜木の声が聞こえる。
 その声に重い瞼をどうにか開くと、桜木はこちらを横目で見ながらテレビの中を指さしていた。その指が指す先を視線で緩慢に辿ると、番組ではどうやらライブパートを一時中断して新年に向けてのカウントダウンが始まったらしい。画面の中にはキラキラと派手な色の数字と、派手な服を着た楽しそうな人々の様子が映っている。こちらのカウントダウンというのはとにかく賑やかだ。パーティ好きのアメリカ人らしい。
 流川がぼーっと見ているうちに、画面の中の数字がどんどんカウントダウンされ、あっという間に残り一桁となる。画面の中の声も、いよいよといった風に大きく盛り上がっていた。
 ファイブ、フォー、スリー……と聞こえる英語のカウントダウン。
 トゥー、と聞こえた時、桜木が動いた。急に支えを失った流川は眠気で油断していたせいもあって一瞬そのままソファに倒れ込みそうになったが、肩を掴んだ大きな手によって倒れ込まずに済む。
 ワン、という声と共に、その手は流川の頬に添えられる。両手で強く掴まれ、抵抗する暇もない。まあ、もとよりそんな気は更々ないのだけれど。
 その手の感触と、頬にじわりと伝わる慣れ親しんだ温度に眠気が覚める。ぱちりと大きく目を開けると、流川の視界いっぱいに映ったのは桜木の顔だった。
『――ハッピーニューイヤー!』
 その言葉が耳に届くのと同時か、もしくは一瞬だけ早く、唇に唇が触れた。
 熱くて柔らかい、もう何百回と重ねてきたその感触に、今度こそ流川の眠気は吹き飛んだ。そのまま舌で唇の隙間をなぞられて、思考より早く本能みたいに口を開く。そうしたら遠慮なくねじ込まれた舌に、こちらからも舌を絡ませた。
 ざらりとして弾力のある桜木の舌の感触に、触れた瞬間体にあっという間に熱が灯るのが分かる。舌を押しつけ合うみたいに絡ませて、それにぞくりと肌の表面に痺れるみたいな興奮と気持ちよさが駆ける。何度味わったって新鮮に興奮させられる味だ。その最中にテーブルの上に放っていた携帯電話が短く電子音を鳴らしてメールの受信を知らせたような気がしたが、そんなことは今の流川にはどうだってよかったから無視をした。
 もっと、と思ってこちらから口付けを深くしようとして――しかしその唇は流川の追撃から逃れるみたいにあっさりと離れていってしまった。期待した瞬間離れていった熱に当然流川は消化不良のような気持ちになって、じっとりと不満を滲ませた目で桜木を見てしまう。しかし喉元までせり上がった文句は、見つめ返してきた桜木の眼差しの機嫌の良さに寸でのところで引っ込んだ。得意気で、しかし、その奧に柔らかさの滲んだ薄茶色の瞳がまっすぐに流川を見つめる。
「たんじょーびおめでとう」
 その眼差しと一緒に、その言葉を渡されて、胸の中にあたたかいものが広がる。それは流川が他で感じたことのない、不思議なあたたかさだった。





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