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「――こちら迅。防衛任務終了したよ。バムスターが何体か出たけど、特筆すべき事項は無しかな。このまま玉狛に戻るよ。うん。おつかれー」
 本部に任務終了報告の通信を入れて、迅は「よっ、と」と言いながら真っ二つにしたバムスターの上からひらりと降りる。夏頃は深夜の任務を終える頃は朝の光が眩しかったけれど、めっきり寒くなった今ではようやく空が薄明るくなってきたところだった。次の防衛任務シフトの部隊に引き継ぎも終わったので、迅はあとは玉狛へ帰るだけである。
(まだ人出が足りてるとは言えないからしょうがないけど、二連続深夜シフトはさすがに生活リズム崩れちゃうなぁ~)
 なんて軽口を心の中で言ってみる。もう本部との通信は切っているので、これは完全に独り言だ。
(ま、実力派エリートは引っ張りだこだからしょーがない)
 それでもごくごく少人数で戦ってきた昔に比べれば、格段に戦力という面でも気持ちの面でも楽になったことは確かだった。
 今のボーダー本部ができて防衛任務をシフト制で行うようになってから、基本的に防衛任務は隊単位、もしくは即席のチームを組んで行っている。しかし迅は一人で防衛任務を任されていた。それだけ戦力として信頼されているのだと思えるのは、純粋に嬉しいことであるし身も引き締まる思いだった。
右手に握ったトリガーが、それを改めて実感させる。右手に持ったままの風刃を、迅は改めて眺めた。
 今は遠隔斬撃は起動していないので、見た目や性能は孤月に近い。その刃は弧月やスコーピオンよりも軽いが、リーチの長さや使い勝手には迅はどこか懐かしさを覚えていた。スコーピオンを開発する前までは、迅も長いこと孤月を使っていたからだ。かつては攻撃手用トリガーは孤月しかなかったため、このブラックトリガー〝本人〟――最上さんも孤月を使っていたことを懐かしく思い出す。最上さんに剣術や戦い方の指導を受けた日々のことも。
(最近はスコーピオンのリーチや自由な使い勝手に慣れてたけど、ちょっとずつ思い出してきたかな)
 最上さんに体なまってるとか思われないようにしなきゃなー、なんて声に出さず迅は呟いて苦笑する。
 少しずつ昇ってきた朝日が眩しくて、迅は目を細める。今日は日曜だから、帰ったらのんびり寝よう。そんなことを思いながら、迅は玉狛の方へとのんびりと歩を進めた。

 風刃を手にして数ヶ月。秋だった季節はすっかりコートもマフラーもなしでは出歩けないような寒い冬になり、気付けば新しい年も迎えていた。換装を解けばすぐさま肌に突き刺さるような寒さが襲ってきて、迅はぶるりと小さく震える。
 警戒区域を出て、角を曲がってそのまま道なりに歩く。迅が小さい頃はそれなりに栄えていた大きい通りだけれど、早朝ということもあって――そして警戒区域にほど近い場所ということも重なってか、歩道を歩く人は迅以外に誰もいなかった。たまに車がぽつりぽつりと横を通っていくくらいだ。しんと静かで人の気配がしない道を歩くのも、今ではすっかり慣れたものだった。
 高いビルが途切れて、右側の視界がぱっと開ける。眩しい朝日と共に迅の視界の端に映ったのは、警戒区域の真ん中に大きく静かに構える白いボーダー本部の建物だった。警戒区域の外からでもよく目立つその建物は、いつの間にか三門の風景に当たり前のもののようになっていた。迅はそれを視界に捉えて、ちらりと見て、しかしふいと視線を正面に戻してまた玉狛へとまっすぐ歩を進める。
 少し前だったらこのまま――は流石に朝が早すぎるので、一旦玉狛で休憩したとしても、昼にはまた本部に向かっていただろう。目的地は考えるまでもない。個人ランク戦ブースだ。防衛任務や会議などの上からの呼び出しが無い限り、日曜日ならまず間違いなくあの人もその場所に居るだろうし、向こうだって迅のことを待ち受けていただろうから。遅いぞ迅、早く戦(や)ろうぜ、なんてその底の見えない格子の瞳をわくわくと揺らしながら。
 小さく、は、と息を吐く。一瞬真っ白に染まった空気が、じわりと霧散しては何事もなかったかのように透明に戻っていく。
 風刃を手にしてから迅がボーダー本部に不必要に寄りつかなくなった理由は、周囲にはへらへらと笑って「ランク戦攻撃手アタッカー一位目指せなくなっちゃったからね~」なんて嘯いている。それも完全に嘘というわけではないが、正確ではない。本当のところは、太刀川に不用意に会ってしまわないため、あの日々を実感を伴って思い出してしまわないため、だ。
 風刃争奪戦の前夜――太刀川と最後のランク戦をして、そして太刀川の肌に深く触れた日、を最後に迅は太刀川とは意図的に距離を置いている。こういう時自分の未来視のサイドエフェクトは便利というかなんというか、本気を出せば太刀川の行動を予測して、不用意に会わないように動くことがそれなりの高い精度でできてしまうのだ。
 本部には会議や何やかんやで呼び出された時くらいしか行っていないし、学校も同じとはいえ学年が違うから少し気を付ければ直接顔を合わせなくて済む。だいたい、同じ学校に通うようになってから太刀川の時間割までは知らなくとも休み時間の行動パターンはある程度は分かっているのだ。――太刀川と気まぐれに昼休みを一緒に過ごした屋上にも、あの日以来足を向けていない。
 思い出したくない理由は簡単だ。嫌だから思い出したくないなんてわけじゃ、決して、断じてない。寧ろその真逆だ。あまりに鮮やかなその日々は、思い出したらまた手にしたくなってしまうから。自分の中の飢えに気付いてしまうから。
 あの日々を失ってでも、この風刃を獲ることを決めたのは自分だ。何度あの日に戻ったって、自分はきっとこの決断をしただろうと迅は思う。
ブラックトリガーになって持ち主が決まるまでに長い時間がかかったのも、適合者が沢山いておれが選ばなくても問題ないように選択肢を残してくれたのも、最上さんが遺してくれたギフトだったのかもね――なんて)
 そんな風に感傷めいて思うのは、流石に自分らしくもないかななんて苦笑する。自分以外に適合者が沢山居る、それこそ最上さんのことをなにも知らない人たちが適合していることを知った時、面白くないとまるで子どもが言う我儘のように思ったのも正直なところだ。しかし、こんな風に思い直せる程度には自分も少しは冷静になれてきたのかもしれないと思う。
 風が迅の前髪を揺らす。頭上を、一羽の鳥が風の吹く方へ向かってばさりと飛んでいった。迅は何となくその様子を目で追っていったが、すぐにその鳥はどこか遠くへ見えなくなってしまった。
 もう戻らない覚悟をしたのならば、どうにか蓋を被せた感情をそのまま忘れ去ってしまいたかった。思い出して、平然としていられるほど自分は無感情ではいられない。強欲で脆い、ただのひとりの人間だ。
 太刀川に触れるとき、自分がどこまでも人間であることをまざまざと思い出させられ、そして思い知らされるようだった。
 実力派エリートという自負はあるし、このサイドエフェクトの希少性や重要性も理解しているつもりではあれど、人より無条件に優れているだとかまさか人を超越した存在であるだなんて驕ったことはない。
しかし太刀川と苛烈に戦う時、太刀川と馬鹿話をする時、太刀川に焦がれる時、太刀川の生身の肌の熱を知る時、何よりも自分がただのひとりの人間であることを痛いほどに思い出させられるようだった。自分の中にこんな、人間くさくてぐちゃぐちゃと理屈では説明のつかない感情が眠っていたのかと驚かされた。
 ――太刀川の前では自分は一番ひとりの男としての迅悠一で在れたような、久しぶりにそんな風に呼吸ができたような気がしたのだ。
 気ままに、のんびりとといった歩調で迅は歩いていく。交差点を渡れば、川が見えてきた。この川沿いを道なりに行けば、そのうち玉狛支部の建物が見える。
(楽しかったなあ)
 迅は心の中で、するりと零れ落ちるようにそう呟く。
 そうだ、あの日々は、どうしようもないくらいに楽しかったんだ。








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