◇ ◇ ◇


 呼吸が苦しくなってようやく唇を離す。至近距離で見つめ合ったその格子の瞳には欲の色が確かに灯っていて、それにぐっと心臓を掴まれるような心地がした。太刀川は何も言わずに、探るみたいに、何かを待つみたいに迅の瞳をじっと見据える。むわりと熱がこもるようなふたりきりの狭い浴室、降り注ぎ続けるシャワーの音。迅は太刀川をじっと見つめ返しながら聞く。
「なに、……やっぱり誘ってるの?」
「そのつもりだけどな?」
 そう言って太刀川は、にまりと不敵に笑う。迅はふっと息を吐いて眉根を寄せる。嫌だったわけでも困ったわけでもない。ともすれば暴走してしまいかねないこの感情の手綱をどう引いてやろうかと、その衝動から気を逸らそうとしたからだ。
「ほんと、あんたのスイッチどこにあるか分かんない……」
 迅が言えば、太刀川は意外そうな顔をして言う。
「そうか? あんだけお前とって、興奮しない方が嘘だろ」
 お前だってそうだろう、と、その格子の瞳が問いかける。脳裏に今日のランク戦のことが思い出されて、その興奮の残滓が目の前の欲を纏った太刀川の姿に重なって。瞬間、ずくり、と常に冷静さや軽さを纏おうとする面の皮の下に隠した興奮が、太刀川のそれと共鳴するように呼び起こされる。
 まるで獣のようだ、と思う。一度起き出してしまえば、手を付けられない厄介な獣。
 そんなものが自分の内側にいるなんて、太刀川とこういう関係になるまで気付かなかったことだ。
(――ああ、もう)
 迅はそう心の中で呟いて、どうにかいなして手懐けようとした衝動、自分の内側の獣、その手綱から手を離す。
 流れ続けるシャワーの音を聞きながら、今度はこちらから太刀川の唇を奪う。太刀川は拒まない。太刀川の手が迅の後頭部に回されて、もっとだと強請るように口付ける角度を深くする。唇を重ねたまま手のひらを太刀川の腰に添えて、そのままなぞるようにゆるりと手を下らせていく。下生えに擽るように触れた後太刀川の自身に辿り着けば、太刀川の唇が小さく震えたのを触れ合わせた唇からダイレクトに感じた。そこはもうわずかに兆していて、そのことにぐっとこちらの熱も煽られる。
 太刀川が、迅によって興奮している。
 そう思えば言葉に出来ないような感情が身体の中を暴れ回るような心地がした。
 ばかみたいに、この人が好きだと思う。
 ずっとそうだ。ずっとそうだった。そのことを何度だって突きつけられる。この恋情を自覚するよりもきっと、もっとずっと前から。あの弧月の一閃をひどくうつくしいと思うようになった頃、太刀川と居ることが楽しいと思うようになった頃、あの頃からもう多分ずっとおれはこの人にとらわれている。
 この人がばかみたいに好きで、この人じゃないと嫌で、この人じゃないと満たされない心の部分が確かに生まれてしまった。それは良いことなのか悪いことなのか、もうわからない。
 大人になったつもりだった。冷静で飄々とした実力派エリートの仮面をうまく被れるようになったつもりだった。なのにこの人の前に立てば、自分自身がどんどんと暴かれていくような心地がする。
 この人が好きで、この人が欲しくて、この人にも同じように思っていて欲しかった。身に纏ったごちゃごちゃとした理想とか建前とか見栄とかを全部剥がされて、剥き出しの迅悠一の、ひどくシンプルで質の悪い獰猛な感情だけが残される。
 いつしか、雨みたいにざあざあと降り注ぎ続けるシャワーの音なんて気にならなくなってしまった。太刀川と触れ合った場所がシャワーの熱よりもずっと熱くて、その温度を追いかけるのに夢中になる。冷えていたはずの体はすっかり指の先まで熱を灯していた。
 唇が一度離れて、迅が次の一手をどうしようか決めあぐねている間にまた太刀川から口付けられた。キスの合間の一瞬、絡んだ視線は欲を隠しもせず高い温度で揺れていて、それに気付いた瞬間衝動のような感情に理性を食らわれてしまう。押しつけられるような唇に、バランスを崩しそうになった背中がまた壁に密着した。手のひらで触れた太刀川の腰がしっとりと濡れているのはシャワーのお湯のせいなのか太刀川の汗なのかもう分からない。太刀川のにおいがシャワーで流れていってしまうことを勿体なく思った。
 呆れるほどに貪りあってようやく唇を離して、互いに荒くなった呼吸を整える。出したままのシャワーの音を久しぶりに耳が認識して、どれほど目の前のこの人に夢中になってしまっていたのだということに気付かされてまた自分に呆れてしまうような心地になった。
「太刀川さん」
 そう、名前を呼ぶ。太刀川の睫毛がゆらりと揺れて、その瞳が迅を見た。その後に言葉はない。けれど言葉にしなくても見つめ合っただけでまるで全部伝わっているみたいなその表情が、嬉しくて気恥ずかしかった。

 まさか風呂場の床に寝転がって貰うわけにもいかず、しかし一旦切り上げてベッドに向かうにはすっかり走り出した熱の温度が高すぎてしまった。どうしようかと困って、太刀川に壁に手をついて貰う体勢になる。迅はその後ろから覆い被さるように肌を重ねた。
 シャワーはこのまま出しっ放しなのは勿体ないと太刀川が言って、一旦止めることにした。急に静かになった浴室の中、互いの一挙手一投足が立てる小さな音がいやに大きく聞こえて、そんな些細なことでも興奮をじわりと刺激される。
 ぽたりと太刀川の髪の毛の先から水滴がひとつ零れたのを合図みたいにして、ゆるく癖のついた髪の生え際、うなじのあたりにキスを落とす。触れて、離れて、そして今度は背中へと口付ける位置を少しずつ下らせていった。
 キスの合間に、その背中を見つめる。少し前まで互いの首を落とさんと容赦なく斬り合っていたくせに、生身のこの背中は傷一つなくすらりと綺麗なままだ。ボーダーに所属してもう随分長くなった迅にとってはそれは今更驚くようなことでも何でもないはずなのに、この人の肌に触れるとき、不意に思い出しては感情を揺らされる。浮き出た肩甲骨をつ、と指先でなぞる。太刀川の生身の肌は意外なほど滑らかで心地がよかった。
 トリオン体にも、生身にも、この人の体に誰より深く自分を刻みつけられるのは他でもない己なのだと思うと、どうしようもないほどの優越感と独占欲が興奮を煽った。
 戦うたび、悔しいほどに強いと思った。普段ぼーっとしているような時はそんなこと思わないのに、戦場を駆けるこの人の姿を誰よりうつくしいと思った。憧憬を抱いて、焦がれた。そんな人に、そうさせられるのは自分であるということ。――言葉ではとても、こんな質の悪い凶暴な感情をうまく表せそうにない。
 倒錯的だなと自分でも思う。けれど、この人に対してしかこんなことを思わないのだから。
 暴れ出してしまいそうな感情を発散させるみたいに、太刀川の肩口にがじりと歯を立てて噛みつく。痕がつかない程度の、痛くないくらいの軽いものだ。太刀川はといえばそんな迅の動物じみた戯れに怒るでもなく驚くでもなく、くっと楽しげに笑っていた。さあ次はどうくる、なんて試されているような気配さえさせて。
 まるでランク戦の時と同じだ。迅がひとつ動けば、太刀川は楽しげにその瞳を細めて、意外だろう手を使ってみせれば嬉しそうな気配を纏って、迅の次の一手を試すような表情で待ち構える。楽しくてしょうがないなんて感情を隠しもせずに。これだから太刀川のことを掴みきれなくて、でもそういうところが迅だってどうしようもなく楽しくてたまらなく好きだった。
 首の付け根のあたりに唇で触れながら、手を伸ばして胸元をまさぐる。指先が胸の尖りを掠めて、そこを押し込むみたいにぐり、と強めに触れると、太刀川が小さく息を吐き出した。
 そこは既に雨に濡れて冷えたからなのか興奮からなのかつんと立っていて、それが後者であればいいと思いながら両手の指を使ってぐにぐにと弄っていく。ここはくすぐったいだけでそんな気持ちよくはないぞ、と前は言っていたのだが、最近では触れられると期待するみたいに腰が揺らめいて呼吸が僅かに乱れていくことに迅は気付いていた。改めて言葉にして確認したことはないけれど、迅が執拗に触っていくことで段々と敏感になってきたのかもしれなかった。
 シャワーで濡れた体は胸元の感触もしっとりと湿っていて滑りが良い。普段であれば舌で弄ったり濡らしたりもするのだけれど、今日は最初から濡れているのを新鮮に思った。
「ん、っ……」
 胸を翻弄する迅の指に、太刀川がもどかしそうな声を上げた。乳輪の淵のあたりを確かめるみたいになぞるだけの触れ方をした後、太刀川が焦れた頃にその中心をぐっと強く押してやる。刺激と言うには弱い感触から急に強い手管に切り替えられて、太刀川が「ッあ」と声を零してびくんと肩を震わせた。迅の手によって与えられる刺激に素直に反応する体を可愛く思って、抱き込むみたいに上半身をぐっと寄せてその背中にまたキスを落とす。しっとりと吸い付くような感触は、シャワーのお湯だけでなく太刀川の汗も確かに混ざり始めているようだった。
「迅」
 しばらくそうしていると、いよいよ咎めるような声が迅を呼ぶ。胸ばかり弄っていないでもっと他のところも触れということだろう。胸だけでいけるところまで気持ちよくなる太刀川を見たい、という気持ちも確かに迅の心の奥の方でちらついていたけれど、あんまり焦らしすぎて機嫌を損ねられるのも良くないしね――なんていうのは言い訳でしかなくて、結局のところ自分の我慢ももうきかなくなってきたからだ。
 もっと気持ちよくなりたい。もっと気持ちよくなるこの人を見たい。そんな欲が迅の心の中で大きさを増して揺らめく。
「りょーかい」
 そう少しおどけて返事をした迅は、より直接的な刺激を与えるべくその手を胸元から下肢へと下ろしていき、手のひらで太刀川の自身に包み込むように触れる。ぴくり、と太刀川が小さく体を震わせた。それを期待だと受け取ったのは、きっと自分の自惚れではないだろうとこれまで過ごした時間によって知っていた。
 最初は優しく、段々とスピードを上げて太刀川のそれを扱いていく。裏筋をつつ、と指先でなぞって、亀頭に親指で戯れるみたいに触れる。時々思い出したみたいにその力を強くしてみたり、鈴口に軽く爪を立てるようにしてやると、太刀川の腰が震えてじわりと先端から先走りが零れ始めた。その迅の指に絡みついて濡らしていくそのぬるついた感触に、こちらの興奮も煽られていく。できるだけ先を予測させないような、気ままな手管を意識しながら太刀川をじわじわと追い詰めていく。
「……、っ」
 太刀川が息を詰めるのと同時に、手の中のものが大きくなるのが分かる。背中がじわりと温度を増して、汗ばんでくる。先走りをわざと音を立てるようにして絡ませると、太刀川が詰めた息を熱い温度で吐息とも嬌声ともつかない声と共に吐き出した。勿体ないな、なんてことを溶けてしまいそうな頭の中で思う。向かい合った姿勢だったら、きっと衝動的にその唇を食らっていただろう。
 触れた肌で、温度で、音で、狭い浴室に充満していく欲の気配で、太刀川が追い詰まっていくのを感じる。他のことなんて考えずに、目の前の太刀川に全部の感覚を向けるこの時間は、たまらないような感情を連れてくる。
「ぁ、あ……っく」
 太刀川の唇から声が零れる。普段ののったりとした、泰然自若を絵に描いたような太刀川からは想像もつかないような、色の乗った声。この声が好きだった。もっと聞きたい、と思う。手の中の太刀川の熱はもうすっかり固くなって、先走りもとろとろとひっきりなしに零していた。太刀川の身体は性感に対してとても素直で、そんなところをかわいく思って、普段とのギャップにくらりと理性が灼かれてしまいそうになる。
 体を重ねるようになって最初の頃は、もう少しかたくなだったように思う。太刀川が迅から与えられる性感を拒まないというところは最初からずっと変わらないけれど、触られて、こんなにすぐに気持ちよさを拾えるというほどではなかった。
 迅と夜を共にしていくうちに、太刀川の体が覚えたことだ。そう気付かされてしまえば、お行儀良く冷静になんていられるはずもなかった。
 ぐ、とより体を隙間なく密着させる。そうすると自然、己の熱を太刀川に押しつけるような形になった。触っても触られてもいないのにそこはもう完全に勃起していて、しかしそれを恥じるような余裕も理性ももう消し飛んでいる。太刀川の尻のあわいにわざと擦りつけるみたいに自身の熱を触れさせると、太刀川の体がびくりと跳ねた。とろり、と手の中の太刀川の先端からまた先走りが零れ落ちる。これは間違いなく、この先への期待、だ。
(もう体が覚えてるんだ、この先のこと)
 そう思って、痺れるような興奮が指先まで染み渡っていく。
「お前な、……~~っ」
 予告なく尻に屹立を押しつけられた太刀川の言葉は、咎めると言うには弱く、呆れるというほどにはあまりに甘やかだった。しょうがないヤツだな、とでも言いたげな、迅の欲を受け止めて受け入れてくれるような、ひどく甘やかすような。その声色に耳がじわりと熱くなる。
 胸の中に生まれた甘くて凶暴な感情を発散させるように、まるで中に入っている時みたいに抽挿を繰り返す。感覚としては、あの熱くて狭い中に入っている時と比べれば全然足りはしない。けれど太刀川の体を好きに使うことをこうしてしょうがないヤツだなんて甘やかしでどこまででも許されてしまって、まだ挿入をしていないのに擬似的にセックスをしているようで、そんなことに気持ちがまた煽られてしまった。
 後穴よりも手前の、会陰の部分を意図的に強く擦り上げると、太刀川が「あ、ッ」と一際高い声を零した。前立腺のすぐ下にあるここは、太刀川の弱い部分のひとつだ。一度腰を引いて、もう一度突き上げるみたいにして擦る。太刀川の体がびくびくと小さく震えて、壁についた手に力が入らなくなってきたのか僅かにずり下がっていった。ぴゅくり、とまた透明な液体が丸い雫を作ってとろりと先端から零れ落ちていく。








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