ブランニューワールド sample





 まるでまったく新しい世界かのようだった。
 一面の白は昇ったばかりの朝の光を受けて輝いて、目に痛いと思うほどだ。迅は思わず目を細める。真っ白な街は休日の、しかもまだ朝の早い時間ということも相まってか驚くほど静かだ。さく、さく、と雪を踏みしめる二人分の足音と、迅が右手に持ったコンビニのビニール袋が擦れる音が耳にいやに大きく届く。
 歩きながら、半歩前を歩く太刀川の背中をぼんやりと見つめた。太刀川の住むアパートがあるこの辺りは同じ市内とはいえ迅の生活圏ではないから、道には若干不安がある。だから太刀川の歩く方に迅もそのまま従って歩いている。
 昨日の夜はいくら喋っても足りないという風にあれこれ言葉を交わしていたはずなのに、今はお互いに何も言わないのが心を妙にそわつかせる。いや、分かってる、この人はきっと別に何か深いことを考えてるわけじゃない。おれが喋らないから、何も言わないだけだ。そうは思っても喋ってもいないと変に手持ち無沙汰で、頭の中であれこれと埒もないことを考えてしまう自分にいやにじりじりと焦燥のような感情を覚える。
 吐いた息が白い。生身の指先が冷たい空気のせいでかじかんでいた。手袋を持ってくればよかった、と少しだけ後悔する。普段換装して過ごしてばかりいるから、生身で感じる気温の変化にはつい疎くなってしまうのだ。
 だったら今も換装してしまえばいいのではと頭の隅でちらりと思うけれど、今朝はさすがにそんな気分ではなかった。これ貸してくれた太刀川さんにも悪いし、と思って、少しでも暖をとりたくて借り物のマフラーに鼻を埋める。息を吸うと太刀川のにおいがわずかに香って、ようやく墓穴だということに気付いてマフラーの下で迅は思わず唇を引き結んだ。しかしおかげさまで、自分の体温を緩く閉じ込めた顔回りは先程よりも少しだけ暖かく感じる。
 ここ、三門市では雪が降ること自体が珍しい。ましてこんなに積もるほどの大雪なんて稀だ。迅は生まれてからずっと三門市で暮らしているけれど、ここまで雪が積もったのは十九年間生きてきた記憶を辿っても心当たりがなかった。道路も、家の屋根も、公園も、雪を被ってあれもこれもが白に染まっている。ありふれた風景が雪を被るだけでまるでまったく違う街、あるいは新しい世界のように見えるのがなんだか不思議なように思えた。
 しかし、驚くほどに人がいない。みんなまだ寝ているんだろう。おれだって太刀川さんがお腹が空いたと言い出さなければこんな朝早くに連れ立って出かけたりなんてきっとしなかった。
 玉狛の方も雪が積もっているはずだ。それはもう未来視で昨日のうちに知っていた。今日は昼前くらいからみんなで雪かきをすることになるだろう。だからおれも早く帰らないとと思うのに、だけどつい、この人と離れがたくなんて思ってしまって今だ。おれ、ちょろいよなあ、と思って呆れる。こんな風に自分が判断をつい、わざと鈍らせてしまう相手なんてこの人以外にいなかった。
 太刀川の吐いた息も白く染まって、高く青い空にじわりと溶けて消えるのを見ていた。
 世界に二人だけになったみたいな、きんと冷えた、静かな朝だった。


 ――昨日。太刀川と初めて体を重ねた。
 三門市では数十年ぶりに、雪がかなり積もるだろうという天気予報は数日前から出ていた。朝の天気予報ではお天気キャスターのお姉さんが何度も大雪が降るので気を付けてくださいねとアナウンスしていた。その予報通り昨日は夕方から雪が降り出していたし、迅自身もこの雪が予報通り明け方まで降り止まず、すっかり積もる未来はすでに視てよく知っていた。夜になればその雪の勢いも激しくなり、帰るのが大変になるだろうということも。ボーダーとしても早い段階から、今日任務のない隊員には早めに帰るようにというアナウンスがされていた。
 それは重々承知していた。しかし迅の足はランク戦ブースに向いていた。太刀川が今日もここにいることを、未来視で知っていたからだ。
 別にわざわざ今日じゃなくてもいいと言われればそうだろう。しかし迅もこのところなにかと忙しく、久しぶりに太刀川と心ゆくまで戦えるチャンスがあるのは直近ではこの日くらいだったのだ。
 理性では自分だってわざわざ今日にしなくてもと思うのに、太刀川とランク戦ができるかもしれないと思えば、気持ちが疼きだす自分がそんな大人ぶったつまらないことを言う自分を簡単に切り捨てた。ランク戦ブースに顔を出せば、迅の姿を見つけた太刀川がまるで子どもみたいに嬉しそうにわくわくと目を輝かせる。未来視で視たものと重なったその表情に、そうだこの顔が見たかったのだと、外の雪のことなんてすぐにどうでもよくなってしまった。
 ブースの中に入ってしまえば、あとは文字通り時間を忘れた。夢中になってり合って、ようやくブースの外に出た頃には外がすっかり暗くなっていて驚く。真っ暗な窓の外で、白い雪が風に吹かれて強く舞っている。ランク戦ブースも流石に閑散としており、任務もないのにこんな時間までランク戦に夢中になっていたなんて知られたらきっと忍田あたりには相変わらずだなと呆れられてしまうだろう――高校生の頃だって、主に太刀川が夏休みの宿題をそっちのけで迅とランク戦ブースにこもって忍田に怒られていた、なんていう懐かしい記憶もある。
 二人並んで窓の外をなんとなく見つめていた。時間が経つほど雪は勢いを増すばかりだ。本部から玉狛は遠い。自業自得だし後悔はしていないとはいえ、どうしたもんかな、と少しだけ思っていると、太刀川が口を開いた。いつもと変わらない、低くてのったりとマイペースな、太刀川らしい声だった。
「この雪の中玉狛まで帰るの大変だろ」
 迅が太刀川の方を見る。太刀川はまだ窓の外を見ていた。その姿の上に、未来視がばちんと重なる。それに咄嗟に何も言えずにいる間に、太刀川が迅の方に顔を向けて続けた。にまりと悪戯っぽく笑って、「俺さ、大学生になってから一人暮らし始めたんだけどな」と得意気に前置きをして。
「うち、本部から近いし、泊まってくか?」
 太刀川を見つめながら、迅はゆっくりと目を瞬かせる。太刀川の瞳が楽しげに揺れている。その瞳の奥にはまださっきまでのランク戦遊びの残滓の熱を宿しているようだった。先程の未来視はもう視界からは消えているけれど、瞼の裏にはまだそれが残っているようで、迅は静かに、長く息を吐いた。
 本当は、換装すれば雪なんて関係ないし、本部への出入り口は玉狛のあたりも含めて三門市内のあちらこちらに張り巡らされている。本部には仮眠室だってあるから申請すればそこに泊まることだってできることも当然知っている。だけどそれを言わずに、いつものように軽やかでつかみ所のないような、なんでもない顔をして頷いた。さりげない仕草で迅は換装を解く。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」









close
横書き 縦書き