(書き下ろし部分)
翌朝目を覚ましてまず最初にやったことはまあ予想通りというか、状況を把握した迅を宥めるということだった。
「まじで、寝落ちとかないでしょ……」
春の朝の柔らかな日差しが差し込む部屋の中、ベッドに座った迅はそう言ってがっくりと肩を落とす。
「いやーよく寝てたな」
「よく寝すぎたね」
結局あの後迅がよく寝ていたので起こす気も起きず、そのまま太刀川も何もせず眠ってこの通りすっかり朝である。
「俺は悪い気しなかったけどな。おまえが俺んちですっかり油断して気持ちよさそうにすやすや寝てんの」
素直な気持ちとしてそう言ってやれば、迅は恥じらうように軽く自分の唇を噛んだ。
「それがおれは恥ずかしいんだって。それに、」
そう言いかけてから迅は口を紡ぐ。言いかけて止められると気になってしまうのが人間の性だろう。太刀川は迅と距離を少し詰めて、肩と肩が触れ合うほど近くに寄る。そうして迅の顔を覗き込むように見つめて、「それに?」とオウム返しして続きを促した。迅は一瞬躊躇った後、観念したように再び口を開く。
「……折角久々に会えたのにさあ」
普段の口調からは想像もつかないくらい、照れて歯切れの悪い様子で言う迅がどうにもかわいく思えてたまらなくなった。その感情に任せるまま顔を寄せて唇に触れる。昨日は結局触れるタイミングのなかった唇は、軽く尖らせていたのに太刀川に触れられれば柔らかく解かれるのが意外にも素直だ。あんまり可愛げがあるので、それに免じて昨夜お姫様抱っこでベッドまで運んでやったことは言わないでおいてやろう、と思う。
「じゃあ、仕切り直しするか?」
太刀川が言うと、迅はぱちくりと目を瞬かせた。
「え?」
そんな迅に、太刀川はにまりと笑って、単語をゆっくり強調するような口調で「たんじょーび」と言ってやる。
「おまえ的には不満だったんだろ? 俺としても結局何もできなかったしな。だから今度、仕切り直そうぜ」
言った後、太刀川は付け加える。
「付き合い始めて最初の誕生日ってやつなんだろ」
迅を見つめてそう言えば、迅の耳がわずかに赤くなる。「……そーいうこと、太刀川さんに言われると威力高いな」と言って口元をおさえる迅は、しかしなんだかんだ、満更でもない顔をしていたのだった。
(中略)
迅によって高められた体がじくじくと熱をもっている。自分の身体の中心、そして奥、から迅によって灯された熱が全身を巡って、この先の期待へと太刀川を疼かせた。
三本含まされていた指がローションでとろとろに蕩けさせられた穴からゆっくりと引き抜かれて、それだけで「ん、っ……」と熱い息が零れた。そんな太刀川を見て、迅がうれしそうでいやらしい顔で口角を上げる。
そうして、迅がローションで濡れていない方の手をヘッドボードに伸ばしかけて――その手を太刀川はぱしりと掴んで動きを阻んでやった。
驚いて太刀川を見る迅に、太刀川は小さく目を細めて笑う。どうやら視ていなかったらしい。
そもそも迅はこういった行為の時は、先を視るのが勿体ないし気を散らしたくないからと言ってできるだけ未来は視ないようにしているのだと以前言っていた。「目の前の太刀川さんに集中しないともったいないじゃん」と言ってからじわりと照れだした迅の可愛げにそのときも口角が上がるのをおさえきれなかったものだが、しかし今夜も視ていないならば好都合だ、と太刀川は思う。
戸惑ったような顔で太刀川を見下ろす迅をまっすぐ見つめて、太刀川は口を開く。
「今日、つけないでしようぜ」
迅はぱちくりと目を瞬かせた後、その意味を理解してかっと耳まで赤くした。
「……は?」
迅の手が目指した先はヘッドボードに出してあったコンドームだ。迅とこういう関係になってから、行為の時には毎回しっかりゴムはつけるようにしていた。勿論病気の予防とかそういう意味もあるが、一番大きいのは受け入れる側である太刀川の体の負担を考えてのことである。中で出した後、そのままにしているとお腹が痛くなるのだと、どこで仕入れた知識なんだか初めて体を重ねるときに迅がいやに真剣な顔で言っていた。以来、迅とセックスをするときは必ずゴムはつけてしていた。
だけど。
「なに言ってんの、つけないと太刀川さんが」
案の定そう言い出す迅に対して、言葉を遮るように太刀川は迅に言う。
「おまえは?」
そう言うと、迅は咄嗟に言葉に詰まったような顔をする。その隙に、太刀川は追い立てるように続けた。
「おまえがしたいか、したくないか。俺がどうこうとかじゃなくてさ。今日、おまえの誕生日の仕切り直しなんだろ?」
「や、……でも」
迅の瞳が小さく揺れる。迷っている。
そりゃあ、生でするというのは魅力的だろう。自分の中の欲望と、こちらへの気遣いとの間で迅がぐらぐらと揺れているのが表情で分かる。……そんな顔をされると、もっとこいつの剥き出しの欲望を引きずり出してやりたいなんて衝動が太刀川の中で疼き出してしまうことをこいつは分かってるんだろうか、なんて思ってしまった。
「なあ」
言いながら、手首との間あたりを掴んでいた手をゆっくりと上に滑らせて手のひらと手のひらを重ねる。迅の手のひらは熱くて、薄く汗ばんでいる。指を絡ませると、迅の目の奥にじわりと熱が増したのが分かった。
もう一押しだな、と心の中で太刀川は小さく呟く。
「俺は明日は防衛任務もないし、日曜だから大学も休みなわけだ」
そう言って太刀川は絡ませた指をきゅっと握る。太刀川よりも少し細いけれど、すらりと長い、太刀川の好きなところをよく知っている手。
この手が与えてくるものはなんだって好きだった。
この男が与えてくるものが、いつだってもっと欲しくて仕方なかった。
「一緒に、もっと、気持ちよくなろーぜ? 迅」
目を細めてにまりと口角を上げて、挑むように、あるいは遊びに誘うみたいに太刀川は迅を見つめる。太刀川の言葉を受け取った迅がぎゅっと眉根を寄せてから、観念したみたいに絡ませられた手を強く握り返してきた。
「……そんなに煽って、知らないからね」
いつもより低い声に、迅の欲が伝わってくるようでたまらない。そんなことを言われて太刀川の胸の内に浮かぶのは怯むなんて気持ちではなく期待と高揚ばかりだった。
薄明かりの中で、迅の青い目がぎらついた獣じみた熱を灯して太刀川を見つめる。条件反射のように、ぞわりと興奮が背中を駆ける。
この男がこんな風に、自分の内側にいつだって隠したがるわがままな欲深さを、ひどく温度の高い熱を剥き出しにする瞬間が太刀川はたまらなく好きだった。――そう教え込んできたのは、在りし日、スコーピオンという新しい武器までつくって太刀川に勝ちたいと挑んできてみせた迅自身だ。