all year round 2 収録「dear my eternal states」sample
髪にまだ残っていた雨粒が流れて、顎を伝っていく感触がした。それはすぐに落ちていったので、また足元の水たまりを広げたことだろう。互いにびしょ濡れで、濡れた体をまともに拭いもしないまま玄関で何度も唇を合わせている自分たちを頭の隅で客観視してまた愉快な気持ちになる。
迅の手が腰に回って、濡れたシャツ越しにその手で撫でられた。水を吸ったシャツは冷え始めていて、その重くて冷たい感触の向こうに熱い迅の手を感じた。雨に濡れた服が張り付いて体も冷え始めているだろうから、余計にその温度を鮮明に感じたのかもしれない。迅の温度を、気持ちいいなと思った。
もっと。もっと触れられたくて、触れたかった。期待と興奮がじわりと迅の手が触れた場所から立ち上る。
呼吸が苦しくなってきてようやく唇が離れて、視線が絡む。迅の目は先ほどまでの涼しげな色はすっかりなりを潜めて、欲を灯した高い温度で揺れていた。
今触れたままの手も熱いが、この目の方がよっぽど熱い。灼かれてしまいそうだ、と思って、気持ちが充足する。その充足した気持ちはすぐに期待に変わった。
「迅」
呼べば、返事の代わりのように迅の手は腰から背中にゆっくりと滑る。シャツとズボンの隙間に煽るように指を這わせられて、これからの行為を暗に示してくるようなその手つきのいやらしさにぴくりと小さく体を震わせた。そうしたら目の前の迅の目の青色が興奮にまた濃くなったのを見て取って、それにこちらもつられるように興奮させられる。
「ここで?」
別に玄関でするのは構わないが、と思いながら聞けば、迅はあっさりとかぶりを振る。
「びしょ濡れのままじゃ風邪引いちゃうでしょ。とりあえずお風呂」
「ま、そーだな」
確かにそれはそうだと思って太刀川は頷く。場所は別になんだっていいし太刀川だって早くしたくて焦れる気持ちはあったが、風邪を引くのは本意ではない。太刀川の答えに迅は「うん」と言って太刀川の体から手を離した。迅の温度が離れていくと、肌寒くなってきたのを鮮明に感じられる。このまましたらまあ、明日には風邪っぴきコース一直線だろう。
ようやく靴を脱いで玄関に上がった迅がこちらを振り返る。
「……行こ?」
その声色に迅も焦れているのだと伝わってきて、ふ、と口角が緩みそうになる。その楽しい気持ちと共に、「りょーかい」と言って太刀川も靴を脱いでようやく玄関に上がった。
濡れて重くなった服を洗濯機に放り込んで、二人揃って浴室に入る。熱いシャワーを揃って浴びると、じわりと体に体温が戻ってくる感覚がした。どうやら思ったよりも体は冷えていたらしい。浴室の中にはすぐに薄く湯気が立ち上って、ざあざあとシャワーの音が響く。お湯で再び張り付いた前髪をかき上げると、先ほどとは違う温かい雫が腕を伝って落ちていった。
ちらりと横の迅を見て、ふと思いつく。シャワーの角度的に太刀川の方に多くお湯が降り注いでいるから迅もちゃんと浴びているのかと思ったのが半分、もう半分はただの悪戯心だ。
「迅」
そう呼んで、浴室の上の方に掛けていたシャワーヘッドを手で持つ。そして迅が返事をする前にそのお湯の吹き出し口を迅の方に向ければ、お湯は見事に迅の顔に直撃して迅は「うわ、……っぷ!」と間抜けな声を上げた。それがおかしくてけらけらと笑っていると、顔からぼたぼたと湯を垂らす迅からじっとりとした目線が送られる。
「油断も隙もない……」
「いやあ、ちゃんとシャワー浴びてるかと思って」
「ってのは半分で、あとはただの悪戯でしょ」
「お、さすがだな」
「普通に感心しないでよ」
太刀川の反応に迅はおかしくなったのか、しかめていた表情を緩めて喉を鳴らして笑う。そんな迅の顔を眺めていたら、あっさりと手からシャワーヘッドを奪われてシャワーのお湯を止められてしまった。油断も隙もないのはどっちだよ、と愉快な気持ちになっていると、そのまま迅は蛇口を反対に捻って浴槽の方にお湯を溜め始めた。
湯船にも入るつもりなのか? と、そこでようやく気が付く。まあ湯船に入った方が温まるだろうけれど。しかし迅だって待ちきれないという顔をしていたから、ざっとシャワーを浴びてすぐにベッドに行くつもりなのかと思っていた。
そんなことを考えていると、手の中のシャワーヘッドをフックにかけ直した迅がこちらに向き直る。太刀川を再び見つめた迅は、先ほど玄関で見た熱を再びその青い目の中で揺らしていた。
フリーになった迅の手が耳の後ろに触れて唇を奪われる。すぐ迅の舌が誘いをかけるように太刀川の唇のあわいをなぞってきたので、こちらだって拒むつもりは毛頭ないから、迅の舌を受け入れてすぐこちらからも舌を絡ませた。
玄関でしたものよりももっとしつこく、じっくりと、明確に性感を煽ろうとする動きで口の中にくまなく触れられる。焦れったい速度で迅の舌が太刀川の口内をなぞると、快感の予兆みたいな、ぞくぞくとした疼きが背中を駆けた。
迅のもう片方の手が再び腰に回され、ぐっと体を引き寄せられる。布越しじゃない直接の迅の手の感触が肌に触れる。先ほどよりもずっと熱くなった手が腰を撫でてきて、その熱さと手つきのいやらしさに興奮した。もっと欲しくて、迅の首に腕を回して体をこちらからも自然と擦り寄せるような形になる。その拍子に互いの中心が不意に擦れて、もう互いに同じくらい興奮して昂ぶり始めているのがその感触で分かって笑いそうになってしまった。
キスの合間の熱い息が、浴室の中にむせかえって溶ける。飲み込みきれなくなった唾液が口の端を伝った。浴槽にお湯が溜まっていく音に混じって聞こえる、互いが立てる淫猥な水音が浴室にじわりと反響する。
迅の手が腰から下って、尻の割れ目をつつ、となぞった。まだ固く閉ざされているそこを焦れったいくらいの速度で指先が掠めて、そうして遊ぶようにその周りにくるくると触れられる。それだけなのに迅の手をすっかり覚えている体は期待を拾ってぞくりと小さく震えた。それに迅が気付かないはずもなく、迅の唇が機嫌良さそうに笑むのを重ねたままの唇から感じ取る。
貪り合うような深いキスにたっぷりと体温を上げられてから、唇が離れた。そうしたら唾液に光った迅の赤い唇の淫靡さがまず目に入って、しかしそれに負けないくらい迅の顔も火照って赤くなっている。少しの間荒い呼吸のまま見つめ合った後、太刀川はくるりと体をねじって、湯気で曇った鏡の横にある棚からボトルを手に取った。シャンプーやら何やらの奥にひっそりと隠れていたボトルは、太刀川が持つとたぷんと中身が重く揺れる。
「ほら」
それを手渡すと、迅は口の端を緩めたまま苦笑する。
「太刀川さんって、ほんと話が早すぎるよねぇ……」
太刀川から渡されたボトルを迅は軽く掲げるように眺めて、中身を小さく揺らす。手の中におさまるサイズの容器の半分くらいまで減っているそれはローションである。勿論、そういうことのための。
事前に太刀川が自分で準備するときにたまに使うため風呂場に持ち込み始めたのだが――迅はいつも、しなくていいと言うのだが、あんまり意固地に言われると逆に覆して驚いた顔や拗ねた顔を見たくなってしまうのだから困りものだ――たまに風呂場でこんなふうに盛り上がったときにも役に立つので、結局ここに常設のような形になっている。
「褒めてんのか?」
「いやー、褒めてるって。積極的なのは嬉しいよ」
「ならよし」
迅はボトルの蓋を開けて、中身をとろりと手に垂らしながら言葉を続ける。
「おれが欲しいってことでしょ?」
にまり、とわざとらしく欲を隠しもしないぎらついた目を細めて迅が言う。煽ってますと言わんばかりに振る舞う迅に、こちらの気持ちも高揚する。
未だに変なところで照れたりすることも多いくせに、気分が乗ってきた時の迅はこうやってわざとらしく煽ったり意地悪ぶったりと調子づく。性質が悪いやつとも思うが、そういうところも間違いなく迅の気に入っているところのひとつなので、こちらだって楽しくなるばかりだ。
「ああ」
こんなこと、誤魔化す必要もない。今更恥ずかしがることもない。肯定して、迅の首に腕を絡めた。太刀川の言葉に迅の方が少しだけ照れたようにはにかんだ後、ローションで濡れた指を太刀川の尻に滑らせた。柔らかいとは言いがたい膨らみの間、先ほど掠めた場所を迅の指はすぐに見つけ出す。「いれるね」という言葉と共に、指先がつぷりと埋められた。
覚え知った迅の指が、自分の内側に入ってくるのが感覚として分かる。何度したって最初だけは感じてしまう圧迫感を、長く息を吐いて逃がした。立ったままだから加減が難しいが、できるだけ体の力を抜くように意識する。圧迫感とか違和感とかに気を取られて体を硬くしてしまうと入るものも入らない。幸い、体を思い通りに使うのは得意な方だった。
ローションの滑りを借りた迅の指は、丁寧な動きを保ったまま奥へと進んでくる。入口を柔らかく拡げながらも、中の太刀川の弱いところを的確に指で擦られて短く声が零れた。その度迅は機嫌を良くして、迅の指がさらに太刀川の性感を煽るように動く。つう、と内壁を優しくなぞられると、背中がぶるりと大袈裟に震えてしまう。太刀川の体が受け入れる体勢になってきたのを敏感に感じ取った迅は、少しずつ指の動きを強くしてくる。
自分の中を自分以外のものに好きに犯されるこの感覚を、無抵抗に受け入れてしまう自分を客観視するといつもなんだかおかしく思った。こんなこと、迅以外には絶対に許せないだろうなと思う。いくら他人に対してこだわらず寛容だと言われる自分と言えど、流石にこんなことを許せるのは、自分の身体をこうして全部委ねてしまえるのは、この男以外ありえない。
時々調子に乗って意地悪なこともあるが、根底は優しく、太刀川の『気持ちいい』とそれ以外のラインを見極めるのが誰より上手い。きっと今となっては太刀川自身よりも。これが体の相性がいいということなのかもしれないし、長年ランク戦でバチバチに戦り合ってきた経験値がそうさせるのかもしれない。あるいは、迅が元々ありあまるほど持っている洞察力と優しさのおかげか。まあ、その全部なのかもしれない。
圧迫感や違和感は気付けば消え去っていて、迅の指はもう太刀川に『気持ちいい』だけを与えてきた。いつの間にか増やされた指で内側を愛撫されると、吐き出す息の温度も上がっていく。前立腺のしこりにくにくにと遊ぶように触れられて、「ぁあ、……ッ!」と上擦った声が抑えようもなく口から零れて浴室に反響した。