greedywolves
小さな頃から力が強かった。
元々力が強い上に、加減をするのも下手だった。だから、小さな頃親に買い与えて貰った数少ないおもちゃなんかも力加減を見誤って壊してしまうことが多かった。好きだからこそ、めいっぱいの力で触れてしまって、それが良くなかったみたいだ。
保育園の頃に好きになった女の子がいて、こっちを見てほしくてちょっかいをかけたら、軽く叩いたつもりの手の力が強すぎて泣かせてしまったことがある。目の前で泣く好きな子を見て、そのときにオレは幼いなりに反省したし後悔した。
迎えに来てくれた時に先生からそのことを聞いた母親が、帰り道で花道に伝えてくれた。「女の子は大事にしなさい」、「好きな子のことは特に大切にしてあげなさい」。そしてもうひとつ、しゃがみ込んで花道と同じ目線になって、花道をじっと見つめて「花道の手は誰かを傷つけるための手じゃないでしょう?」と。いつも優しい母親が、あんなふうに静かだけれど強い口調で花道に言ったのは、あれが最初で最後だったように思う。
母親はその少し後にこの世を去ってしまったのだが、そのときの記憶は今も花道の中に強く残っている。
単純で短気な性格は変わらなかったゆえに、小学校ではガキ大将、中学に上がってからは不良の道に進んで、この手でたくさんの人を傷つけてはしまったのだが――この目立つ頭と性格のせいか、とりわけ中学に入って以降ケンカは向こうからふっかけられることの方が多く、気付いたらこうなっていたという感じなのだが――「女の子を大事にしなさい」という教えは花道の中でずっと生きていたし、好きな子のことは大事にしなければとずっと思ってきた。
いつか誰かと付き合ったら、その子のことをめいっぱい大事にしよう、と。
見下ろした流川が目に大粒の涙を溜めていて、花道ははっと我に返った。
汗だくの真っ赤な顔。乱れた髪。荒い呼吸。今にも零れ落ちそうな涙。
やってしまった。そう、さっと指先は血の気が引くのに、普段はすかした顔ばかりする流川のそんなあられもない姿に、心臓が痛いほどに興奮してしまった。そんな自分に混乱する。吐き出した自分の息は、ふたりきりの部屋の中で獣みたいな音を立てた。
花道の家の薄い布団の上、白いシーツに広がった流川の黒髪と赤い顔の色が、照明を絞った薄暗い部屋の中でもいやに鮮やかだった。目に毒だ、と思うのに、目を逸らせない。罪悪感と興奮がない交ぜになって、どうしようもない。そんなふうに一言では言い表せない感情を抱くのも、花道にとって慣れないことでどうすればいいのか分からなかった。『恋』は何度も、数え切れないほどにしてきたはずなのに、流川に対して抱く感情はこれまでのどの恋とも全然違って、花道はこの感情を自覚してから何もかも初めてみたいに戸惑うことばかりだった。
紆余曲折――本当に紆余曲折あって流川とそういう意味で付き合い始めて、体も繋げるようになってからしばらく。こういう行為は、受け入れる側のほうが負担が大きい。それは分かっている。だから、せめてできるだけキツくないようにと気をつけていたつもりだった。相手がいくら流川だとしても、それは。
――好きな子のことは特に大切にしてあげなさい。
そんな母親の教えが、久しぶりに花道の頭を過る。
これが自分の中で大事な感情だと自覚をして以来、ちゃんと、大事にしたいと思っていた。バカみたいに恥ずかしいし、部活の時間や学校で会ったときは相変わらず喧嘩をしてばかりだけれど、それでも心の底では思っていたから。それに、『自分だけ』のむなしさは、これまで何度も敗れてきた恋愛でよく知っていた。自分だけじゃ、恋愛は意味がないんだって。
だからとりわけこういう行為をする時には、できるだけ流川の反応を見ながら自分だけ先走りすぎないように気をつけていたつもりだった。だけど今日はなんだか、盛り上がっているうちにその箍が外れてしまった。流川の腰を掴んでいた自分の手の力が強すぎることに気付いて、慌てて力を緩める。流川の腰、ムカつくくらい白くてきれいな肌には花道の手の痕がうっすらと赤く浮かんでいた。それにすら興奮しそうになってしまった自分に戸惑う。目の前の男が自分のものなのだ、と思わされてしまって、それに興奮するなんて、やっぱり自分は変になってしまったんじゃないか。
隣にいられたら、笑い合えたらそれで幸せ、そんな淡い想いが花道の中の『恋』だったはずなのだ。
「わ、……るい」
花道がそう口にすると、流川は驚いたように目を見開いた。その拍子に、目元にたっぷりと湛えていた涙がぽろりと一筋零れて落ちる。豆電球のオレンジ色に照らされたその涙の筋が淡く光っていた。
自分が涙を零したことに気付いたらしい流川は、わずかに眉根を寄せて鬱陶しそうに自分の指でそれを拭う。その仕草も、普段――バスケをしている時の姿とは比べものにならないほどに緩慢なものだった。
「……てめーが謝るなんて明日は雪か」
「テメ、ッ……!」
オレの心からの謝罪をそんなふうに、と条件反射で頭に一瞬カッと血が上る。しかし流川は花道の言葉をの続きを遮るように、鋭い口調で花道に言った。
「好きにしろ」
口調は強いが、まだ整わない荒い呼吸で。潤んだ熱っぽい目のまま。そうして流川は、自分を組み敷く花道をまっすぐに見上げる。
「痛くねーし、キツくもねーから。てめーに加減されるほうが気持ちわりぃ。オンナノコ扱いすんな。てめーごときに壊されるほど、弱くできてねーんだよ」
そう言った流川は、シーツを掴んでいた腕を不意に上げた。と思ったらその腕は花道の首に回って、ぐいと強い力で引き寄せられる。花道に負けないほどの強い力で、バスケをするために鍛えられた、うつくしいシュートを放つそのたくましい腕で、抱きしめるというよりは押さえつけるといったほうが近いんじゃないかというような格好で、流川は花道の耳元で囁く。まるで悪魔の囁きみたいな、低くてどこか澄んだその声で。
「てめーの好きにしろ、桜木」
――好きな子と登下校をして。それで手なんて繋げてしまったら最高で。一緒に居られることが幸せで。
そんな恋愛を、ずっと夢見てきた。それで自分は満足だって、そう心から思っていたはずなのに。
見ているだけじゃ足りない。一緒にいるだけじゃ足りない。手を伸ばして、自分のものにしたい。相手の全部を欲しいと思う。きれいだと思うところも、想像するだけで赤くなってしまうような恥ずかしいようなことも、全部だ。
いくら手に入れても、もっともっとと飢える獣のような。そんな衝動が自分の中に眠っていたなんて、流川という男に出会うまで、自分はひとつも知らずに生きてきたんだ。
指先まで痺れさせるような、頭を茹だらせる衝動。堪えることなんてできずに再び流川の足を抱え上げて腰を押しつけるように動かすと、流川が「ッ、あ」と声を上げた。流川は普段、行為の時にあまり声を出さない。元々そういう性質なのか、我慢しているのかは桜木にはまだ判断がつかなかったが、しかしどちらにせよ流川が、こんなふうに上擦った声を零すのは珍しいことだった。
その声にまた、たまらなくなる。まともなことなんて考えられそうにない。流川を気遣うためにぎりぎりのところで残していた余裕も、全部蹴っ飛ばされてしまう。
入口近くまで引き抜いて、一気に奥まで貫く。そのままバカの一つ覚えみたいに何度も腰を動かすと、流川が小さく「っ、ぅ……あ」と切れ切れの声を零した。腰を引くたびに中がきゅうと強く締まって、花道を離すまいとするようなその動きに心臓が痛くなる。搾り取られてしまいそうだ。バスケと睡眠以外のことになんてひどく無頓着、他のものに執着することなんてないように思えるこの男が、こんなふうに花道にしがみついて、離すまいと、あるいは花道の全部を奪ってやろうと強請るように中を締め付けてくる。そんな強欲さも流川らしさのように思えるのに、同時にそれが自分に対して向けられていることに、どうしようもないほどに興奮してしまった。
一言では言い表せない感情が花道の中に高波のように沸き起こっては、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、出口を探すそれは全部今は興奮と欲の形になって花道に返ってくる。
たっぷりと使ったローションの水音と、肌がぶつかりあう音、布団の下で古い畳が軋むような音。あとは獣みたいな荒い息が二人分。狭い花道の部屋に響く濃密で淫猥な音が、耳からも互いを犯していくような心地だった。
花道に揺さぶられるままになっている流川を見下ろせば、先程拭ったはずのその黒い瞳は再び涙をいっぱいに湛えていた。
「ぁ、……っ、あ、ッ」
流川の喉仏が震えて、また声が零れる。普段の低く淡泊な声音からは想像なんてできないような、上擦って、わずかに震えて、欲に濡れた声。それにたまらなくなって、その声ごと奪うみたいに花道は流川にキスをした。合わせた唇、流川の息も、口の中も全部が熱い。キスをしながらも腰の動きは止めない。中を擦る度組み敷いた体が震えて、くぐもった声は全て花道の口の中に吸い込まれていった。
こんなところでも互いに負けず嫌いなのか、それとも強欲すぎるのか、こちらが舌で触れると同じだけの強さで流川からも舌を押しつけられ、絡ませられた。それが気持ちよくて、少し悔しくて、もっと欲しくて、夢中になる。それしか知らない生きものみたいにばかみたいに互いの唇を貪って、息が苦しくなってようやく唇を離す。ふと腹のあたりのぬるつきに気付いて視線を下にやれば、互いの腹の間で擦れた流川の性器はすっかり張り詰め、先走りをとろとろと零していた。バスケをするため、そのためだけにひたすらに鍛えられた流川のきれいな腹筋が、自身が零したいやらしい液体でひどく濡れている。期待をするみたいに、その中心で勃ち上がった流川の性器はふるふると震えている。
手を伸ばして濡れた腹筋を指先でなぞると、愛撫というにも弱い刺激であったにも関わらず、流川の体はびくりと大袈裟に震えた。
顔を上げる。流川と目が合う。ひたひたに涙で濡れたその目が、花道を見つめた。
コートの上ではひどく鋭くて意志の強いその瞳が、今は熱っぽく潤んで、だけど燃えるようなその奧にある強い光は変わらずに花道を射貫く。
その目が、花道だけを見ている。
いま、流川の瞳に花道ひとりだけが映っている。
そう思えばもうダメだった。
この男に勝ちたいと。認められたいと。誰よりもいちばん、自分だけを見て欲しいと。そう願った瞬間から自分はきっと何かおかしくなってしまったように思う。
嬉しくてたまらないのに、もっと欲しくなる。いくら手に入れてもまだ足りなくて、この尽きない欲に怖くなった。大事にしたい。この男がの全部が欲しい。相反するように思える欲求が自分の中で同時に膨れ上がって、もうぐちゃぐちゃだ。
こんな感情のこと、この男に出会わなければきっと一生知らずにいられた。
張り詰めて辛そうな前に触れると、それだけで流川の体がびくりと大きく震えた。そのまま握り込んで扱いてやる。もう力加減とか、どこが流川の好きなところだからとか、そんなことを気にしている余裕は自分の中にはなかった。
もっと見たい。もっと良くしたい。もっと一緒に気持ちよくなりたい。そんな思いで、ラストスパートを駆け上がっていく。前を扱いた刺激で流川の中もきつく締まって、こちらも「ん、ッ」と思わず声を上げてしまう。
「……ッ、ルカワ、っ」
名前を呼ぶと、長い睫毛が水滴を纏って瞬いた。黒だとばかり思っていたその瞳の色が、透明な灰色であることに今更に気が付く。
胸の中で濁流のように渦巻く感情は、うまく言葉に変換されなくて、喉のところでつかえる。好きだとか、愛してるとか、そんな分かりやすい言葉が浮かぶことには浮かぶのだけれど、それだけで今自分の中を支配するこの思いの全てを表せる気はしなかった。だから、うわごとみたいに繰り返しその名前を呼んだ。ルカワ。高校に入学して、バスケに出会ってから今に至るまで、花道の心の深いところにずっと居座り続けている男。
そうしていたら首に回されたままの流川の腕に再び強く力が込められて、抗いようもなく引き寄せられる。どこにそんな力を残していやがったんだというくらいの馬鹿力でホールドされて、だけど言葉はなく、耳元で流川の限界ぎりぎりの荒い息の音がした。それにぞくりと花道の背中が震える。流川の息も花道に負けず劣らず、飢えた肉食獣みたいに熱かった。
加減なんてできないままに奧を突きながら性器も同時に扱いてやれば、流川の限界もすぐに来た。すぐそばで息を詰める気配の直後、「……ッ、あっ」という小さな上擦った声と共に手の中の性器から白濁が吐き出される。同時に中も一際強く締め付けられて、抗いようもなく花道も弾けた。
柔らかくて熱くてきつい、流川の内側で精を吐き出すわずかな背徳感とそれを遙かに上回ってしまう快感は、何度経験しても慣れない。一人で生理現象の処理のために射精するのとは全く違う。目の前がちかちかとスパークするようで、頭が一瞬真っ白になって、さっきまでいろんな水音やら肌がぶつかって擦れ合う音やら喘ぎ声やらでうるさかった部屋の中は水を打ったように静かになる。はあ、とようやく吐き出した自分の息の音がいやに大きい。
気持ちいい。そう思って頭がふわふわする。
だけど、まだ足りない、と思ってしまった。
いつもだったらどうにか自分の中に押し込めるその欲望を、今日は上手く飼い慣らすことができない。ぐ、と身じろぎをするのと一緒に腰を緩く動かすと、花道と同じようにぼんやりとしていた流川の体がそれに反応するようにぴくりと小さく震えた。そのさまに、自分でも笑えるほどに欲情してしまう。
先程の流川の言葉が、頭の中で反響する。
――てめーの好きにしろ。
自分の箍を外してしまうことが、怖い。だけど到底全てはぶつけられないと思っていた自分の欲望を許されてしまったこと、好きな相手――流川に自分を受け入れられてしまったことが、どうしようもないほどに、嬉しい。
一瞬躊躇う。だけど口からは、気付いたら言葉が滑り落ちていた。流川を真正面から見下ろす。自分が今どんな顔をしているのか、自分では分からなかった。きっとひどい顔をしているのだろうけれど、取り繕う余裕もありはしない。
「……もっかい」
花道の言葉に、ぼんやりとしていた流川の瞳の焦点が再び花道に合う。
その目の奧にみたのは、嫌悪でも恐怖でもなく、確かに期待の色だった。
◇
(あいつマジで好き勝手しやがって……)
少し熱いくらいの温度のシャワーを浴びながら、流川はまだ怠い自分の腰を軽くさする。桜木の家のシャワーは流川の家よりも少し熱い。というか、細かい温度調整が効かないらしい。そのへんは家主に似ているのかもしれない、なんてバカなことを思う。
あの後、結局何回ヤったのか。多少のストックはあったはずだったゴムもローションも使い切ってしまったから、次に来るときに買っておかねばなるまい。明日は部活が休みとはいえ、なかなかに羽目を外してしまった。
そう思いながらも、後悔はひとつもしていない自分がおかしい。やたらに煽ったのは自分のほうである。桜木はしっかりそれに乗せられてくれたわけだ。
もう一回を強請った桜木の、欲を隠すことを止めたぎらついた目を思い出せば、今も肌の表面が小さく粟立つ。興奮した。ひどく。
あの目がずっと欲しかった。
付き合い始めてそういうこともする関係になってから、普段の態度はこれまでと変わらずとも、こちらに触れるときの桜木のらしくもない優しい手つきに内心でずっとモヤついた気持ちを抱いていた。それが桜木なりの優しさだということは、分かる。だけどそうじゃねーだろ、とも思っていた。流川が知っている桜木は――桜木のおそらく本質の部分は、コートの上にいるときのあの熱の塊みたいな躍動と負けん気と欲望と執念、そういうところだと流川は思っていたからだ。それは流川がバスケットボールを通じて桜木という男を知ったせいなのかもしれないが、しかしそれが間違っているとも自分は思わなかった。
てめーはそうじゃねーだろ、しかもオレ相手に。
桜木が恋多き男だった、ということは付き合い始めた後に桜木の友人――いわゆる桜木軍団と呼ばれるやつらから聞いた。流川自身も、桜木が入部当初から現マネージャーである赤木晴子に熱を上げていたことを見てはいたし、女に対してとにかく弱いところも知っていたから納得感はあったが、それでも予想以上のその恋愛遍歴、というか失恋遍歴に流石に驚きはしたものだった。それを知ってから、桜木のその『恋人』としての流川への態度に苛立ちに似た思いを抱くことがさらに増えた。
嫉妬だ、といつからか気付いた。嫉妬していた。桜木が今まで好きになった女たちに。その目と心をこれまで奪ってきたやつらに。そいつらと同じになんてされたくなかったし、同じ分だけを与えられても満足なんてできるはずもなかった。
桜木花道の内側にあるもの、あいつ本人が見せたがらない、隠したがっている本音も欲望も、どろどろしたものだってあるのなら、それら全部。
全部を自分のものにしたかった。
バスケ以外に対して自分がこんなにも執着して、欲しいと思うものがあるなんて思わなかった。だけどもう誤魔化しようもないほど、自分の中の桜木に対する感情が膨れ上がっていることを自覚していた。
てめーが全部渡すなら、こっちだって全部くれてやる。
だってとうに奪われている。気付かないうちに、心の深いところまでを。
そのくらいの思いを持っていることを、果たしてあの男は自覚しているのか。好きだなんて甘ったるい言葉では言い表せないような感情だ。だけど、多分これを何かに当てはめるのなら、きっと恋というやつなのだろう。
シャワーを止めて、タオルで軽く体を拭った。体についた汗やらなにやらの互いのあらゆる体液は排水溝へ流れて落ちる。小さく吐き出した息の音はまだ少し熱くて、浴室に余韻のように小さく響いて消えていった。