ever
鍵を回してドアを開くと、玄関には出迎えるように小さな灯りがつけられていた。室内は心地のいい温度に保たれていて、廊下の突き当たりのリビングからは柔らかい光が漏れている。その光のあたたかさにほっと息を吐きながら、キバナは鍵を閉めてコートを脱ぐ。コートを小脇に抱えながらリビングのドアを開けると、ソファに座っていたダンデが手に持っていた本から顔を上げた。
「あぁ、キバナ。おかえり」
「……ただいまぁ」
ダンデの顔を見たら一気に体に張り付いていた色んなものが解けていく気持ちになる。ダンデは本に手早く栞を挟んでローテーブルに置いた。シックな色合いの表紙のその表紙には見覚えがあった。最近発売されたばかりのポケモンの最新研究、キバナはまだ読めていないのだが、特にダイマックスやバトル論について比重が置かれた本だということで、ジムリーダーたちの間でも話題になっていたのだ。さすがだなとキバナは思わずふっと笑ってしまう。
「スーツ姿久々に見たな。今日は会食だったか」
「そ。会食ってほどかしこまったものじゃないけど、流石にちょっと肩がこるな」
そう言ってキバナは軽く肩を回す。そんなキバナを見て、ダンデは「お疲れ」と笑った。
色んなもの、っていうのは、『ナックルジムリーダーキバナ』としての顔とか責任とか、『大人』としての立ち居振る舞いとか、そういうの。今夜はスポンサーとの食事会があって、それなりに大きな企業の重役の皆々様に対して伝統あるナックルジムの代表として流石に普段のバンダナにパーカーで行くわけにはいかない。今日のキバナはトレードマークのオレンジのバンダナは外して髪の毛は下の方で軽く結わえ、有名なブランドで仕立てて貰ったグレーのスーツに身を包んでいた。
ジャケットのボタンを外してネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ開ける。ボタンが外れるのと一緒に、呼吸が深くできるようになっていく気がした。ソファに座っているダンデに相対して、ソファに膝から乗り上げるような形になる。ダンデは怯むでも照れるでもなく、綺麗な黄金色の瞳でじっとキバナの動きを追っていた。頬に手を添える。そのまま口付ける。見た目よりもずっと柔らかで暖かい感触に触れる度、ダンデも人間なんだよなぁ、なんて感想を抱いてしまう。なんとなく離れがたくて角度を変えてもう一度唇に触れると、ダンデの手がキバナの頭に回って軽く引き寄せられるようにしてまた口付けが深くなった。
ゆっくりと唇を離す。離れる瞬間、ダンデの指が今日は何も付けていないキバナのピアス穴をゆるりとなぞって、静かな興奮がぞくりと這い上がってくる。至近距離で見つめ合って、ダンデの口角が楽しげに上がる。
「ふふっ、酒くさいぜ。結構飲んだのか?」
「ああ。こんな飲むつもりなかったんだけどなー」
「酔ってはいなさそうだけど」
「そりゃまぁ、強いからなオレさま」
「キミをつぶれさせる奴がいたら見てみたいぜ」
そう言ってダンデはくつくつと笑う。キバナは酒にはかなり強いと自負しているし、ジムリーダーたちをはじめ周囲からもそういう評価を貰っている。気持ちよく酔うことはあっても潰れるほど酔っ払ってしまうことはなかなかない。
ふとダンデがじっと観察するようにキバナを見ていることに気付いて、キバナは不思議に思って「……なに?」と聞く。何かついていただろうか。
「いや、すまん、ちょっとじっと見てしまった」
ダンデは少しだけ照れた様子でそう言った後、にかっと笑って続ける。
「スーツ姿、オレは格好いいと思うぜ、キバナ。そういうのも似合うな」
「……ダンデ、お前はまたそうやってさぁ」
曲がりなりにも恋人にまっすぐに褒められて嬉しくならない人間がいるか。不意打ちに照れてしまった自分が少しだけ悔しく、でも同時にダンデの言葉が嬉しいという方が勝った。
――酒はそれなりに好きだし、このグレーのスーツも気に入っている。スポンサーの方々もいい人たちばかりだ。けれど『ナックルジムリーダー・キバナ』としてお呼びを受けたからには普段ダンデやネズたちと飲むような時とは訳が違うし、このスーツの上に乗っかっているのはキバナ個人のものだけではない。だからどうしても肩はこるし、ずっとニコニコと笑っていたので表情筋が疲れた。伝統あるドラゴンジムであるナックルジムのジムリーダーはガラルのドラゴン使いとして最高の誉れであるし、子どもの頃から憧れた世界で好きなことを仕事にできていると思う。けれど、大人の世界ってやつは好きとか楽しいとかだけじゃ回っていかない。大人になるにつれて、責任とか世間体とか、堅苦しいことに時間を割かなきゃいけない時も増えていく。
また吸い寄せられるみたいに唇に触れる。唇は重ねたまま右手をダンデの体の輪郭に沿ってゆっくりと滑らせて、シャツの隙間から手を滑り込ませた。ダンデはほんの僅かに身じろぎをしたが、やはり拒む様子はなかった。ダンデの体温に触れる度、肌で、目で、においで、五感すべてでダンデを感じるたび、今日ずっと体中に貼り付けていた『ナックルジムリーダー・キバナ』がぽろぽろ剥がれて落ちていって、一人の人間としての『キバナ』がむき出しになっていくようだった。不意に腰に手が回されたかと思えば、隙間からダンデの手が忍び込んでくる。素肌にダンデの指が這わされて、その煽るような動きにぞくぞくした。さっきスーツ姿を褒めてくれたばかりだというのに、早速脱がせる気満々じゃねぇか、ダンデ。そう思ってキバナは笑いそうになってしまう。
キスが終わる頃にはダンデの目の奥に『元チャンピオン・ダンデ』でも『オーナー・ダンデ』でもない、キバナしか知らない――これまでもそうだったと思うし、これからもそうであることを信じている――欲の色が揺れていた。
回された手はまだしっかりキバナの腰をホールドしていて、離される気配はなさそうだった。キバナも同じだ。やる気満々だな、お互いに。素肌同士が触れた温度が心地がいい。空いた左手でダンデの紫色の髪の毛に触れて指を絡ませる。太くて少し硬い髪の感触が心地がいい。
「ダンデ」
もう、皆まで言わずとも。キバナが名前を呼ぶと、黄金色の目を縁取る長い睫毛が僅かに揺れた。
寝室に移動して結わえた髪の毛を解き、ベッドに寝転がったダンデの上に覆い被さると先程スーツ姿を褒めてくれた張本人がキバナのシャツのボタンに手をかけて外していく。結局脱がすんじゃねぇかとやっぱりなんだかおかしくて、そして興奮した。あっという間にキバナのシャツのボタンが全て外されて、上半身が間接照明の薄明かりの元に晒される。甲斐甲斐しく脱がせてくれたお礼にと額にキスを落とすと、ダンデは擽ったそうに笑った。額からそのまま目元、頬、首筋と触れるだけのキスを落としていく。こちらもダンデのシャツのボタンを手早く外して、露わになった胸元にまた唇で触れた。左手を滑らせて下半身に触れると、ダンデが小さく息を吐いた気配がした。そこはもううっすらと兆していて、それが嬉しくなって興奮がまた煽られる。ズボン越しに弄るとじわじわと熱を増していくのが楽しくて少しの間それを続けていると「キバナ」と咎めるように名を呼ばれた。すまんすまん、仰せの通りに。
お互いもう腕を通しているだけの状態になっていたジャケットやシャツを取り去って、ズボンとパンツも脱いで一糸纏わぬ姿になる。改めてダンデの下半身の熱に触れると布越しよりもずっと熱くて生々しくてたまらない。手のひらで優しく包むみたいに触れた後、親指の腹で先端に少し強めに触れると、ダンデが「ん、」と小さく声を漏らした。もっと聞きたくなって緩急をつけながら弄ると手の中の熱量が増して、ダンデの息遣いが段々と熱くなっていく。じわりと先走りが滲んで、ぬるついた指先を擦りつけるみたいにまた触れる。熱くなった吐息を零すダンデの口元に唇を寄せて、吐息ごと食らいつくみたいにキスをした。今度は触れるだけじゃなくて舌も口内にねじ込むと、ダンデもすぐに応戦してきた。ざらついた舌同士が触れ合って絡まり合うたび、手の中の熱がまた膨らむことにキバナはまた興奮した。キスに意識がいっているところに下半身に触れる手の力を強めると、ダンデは不意を突かれたようでびくりと肩を震わせる。口を塞いでいなければ可愛い声も聞けたのかな、と思うと少しだけ残念ではあるが、この唇を離す方が惜しかった。押しつけるみたいにキスを深くすると、ダンデも煽るみたいにキバナの歯列を舌先でなぞってくるものだからぞくりとどうしようもなく興奮が背中を駆け抜ける。
呼吸が苦しくなってきて唇を離して、お互いに荒くなった呼吸を整える。ダンデの唇はどちらのものかもはや分からない唾液でじっとりと濡れて赤くなっていた。浅黒い肌と綺麗な紫の髪とその赤色のコントラストにまた興奮を煽られて目に毒だ、なんて思いながらも目を逸らせない。ダンデはキバナを見て、いたずらっぽく笑う。
「どうしたキバナ、こんなものか」
「……おっ前、さぁ」
本当ひどい、ひどい男だ。「そんな煽って、知らねぇぞオレさまは」と煽り返すように言うと「ああ、いいぜ」と笑うもんだからどうしようもない。ダンデも、オレも。
すっかり固くなったダンデの熱の輪郭を確かめるみたいにゆるりとなぞった後、耳元に唇を寄せて「挿れていいか」と囁くとダンデは「ああ」と頷く。ベッドサイドのキャビネットの引き出しからローションとゴムを取り出して、まずはローションのボトルを開けダンデの先走りですっかりぬるついた左手にたっぷりと出す。少し人肌で温めた後、指先を先程よりももっと奥、まだ固く窄まったままのそこをノックするみたいに指先で触れる。ダンデが僅かに身を固くしたのが分かったが、すぐに体の力を抜こうと呼吸を深くしている姿を見て、そのいじらしさに愛しさがこみ上げてきてしまう。できるだけ痛くないようにゆっくりと指を挿入する。まずは一本。慣れてきたら二本、三本、と少しずつ増やしていく。内壁をつつ、となぞって、中指の先がしこりのような場所に触れると、ダンデの体がびくん! と震えた。もう両手で足りないくらいには体を重ねてきたから、ダンデの弱いところは知っている。
「う、キバナ、ぁ」
「イイか?」
聞きながらまたそこに触れて軽く押すと、ダンデは眉根を寄せながら頷いた。人差し指と中指で摘むように触れると、「ぁ、あっ」と声が漏れた。もうだいぶ中も柔らかくなったし、そろそろか、と指を抜く。興奮ですっかり固くなったキバナの自身にゴムをつけて、先程まで弄っていたそこに宛がう。直接的な刺激はほとんど受けていないのにこんなにか、と我ながら笑ってしまうが事実だから仕方が無い。「挿れるぞ」と断りを入れて、ダンデが頷いたのを確認して、ゆっくりと挿入する。もうこの行為もお互いに慣れたとはいえ、どうしたって身体的負担が大きいのは受け容れる方だ。逸る気持ちを抑えてできるだけ丁寧に腰を進める。全部入ってお互いに息を吐いて、キバナはうっすらと汗をかいたダンデの額に口付けをする。ダンデは楽しそうに笑ってくれた。子どもみたいな幼い触れ合いと、繋がった下半身の熱さがアンバランスでくらくらしてしまう。
ゆるゆると腰を動かし始める。先端が先程の場所を掠めると、ダンデの口から甘ったるい声が零れる。そこを意識的に責めると、ダンデの腰が震えた。
「あっ、あ」
少しずつ腰の動きを強くすると、比例してダンデの声が帯びる熱も増していく。後ろがきゅうと締まって、熱くてきつくて気持ちが良くて、気を抜くとすぐにでも達してしまいそうだ。
「ダンデ」
名前を呼ぶと、ダンデの目がまっすぐにキバナを捉える。幾分潤んではいるがその目は相変わらずしっかりと力強くて、何十回何百回見ても新鮮に綺麗だと思うその金色に射抜かれると、頭の中の感情が体中の細胞が考えるよりも早く支配されたみたいにぞくりと震えるのはキバナにとってもはや刷り込みのようなものだった。
十年。だって、十年だぞ、と思う。今やある種の伝説のように語り継がれている十年前のチャンピオンカップ、シュートスタジアムを満員にする観客の熱狂のど真ん中。相対した少年の金の瞳のあまりにもまっすぐな輝きと力強さに射抜かれた瞬間、そのほんの一秒にも満たない時間、うるさいほどの歓声も全部音が消えて時が止まったような世界に二人だけのような錯覚に囚われた。その瞬間が、キバナの人生が大きく――あまりにも大きく変えられた瞬間だったと今になって思う。それは「良くも悪くも」なのかもしれないが、しかし今世はもうこれ以外の人生ならばいらないとさえキバナは思う。
最初はただただ勝ちたかった。ライバルだった。同時にお互いをよく理解し合える無二の親友にもなった。お互い年端もいかない子どもだった頃から、思春期を経て、また新しい感情が生まれてしまった。紆余曲折あって関係性の名前に新しいものが加わって数年。お互いの肩書きもすっかり大きくなった。チャンピオンの門番・ガラルトップジムであるナックルジムジムリーダーとガラル地方最強のチャンピオン、そして今はガラル新名所ともなりつつあるバトルタワーのオーナー。体も年齢もそして社会的にもお互いもう誰が見ても大人になって、周囲の環境もどんどん変わって、社会的な責任とか堅苦しい大人のやりとりとかそういうのも増えていって息苦しい日もある。若くて勢いのある次世代も迫ってきて、時代の変化も感じるようになった年頃だ。あの頃のオレたちも、大人たちにそういう風に映っていたのかな。
あの日から十年が経った。オレたちも周りもすっかり様変わりした。けれど、オレさまを見据えるこの瞳の美しい色と力強さは、ずっと変わらず真正面にある。そして今も飽きもせず、あの頃から変わらず――あの頃よりももっと違う意味ももって――オレはこの男にどうしようもない引力に引っ張られているみたいに惹かれ、焦がれ、求めて止まない。褪せないどころかその引力は強さを増し続けているほどで、自分でも呆れて笑いたくなってしまうくらいだ。
「――好きだ」
聞かせるつもりじゃなくて、思わず零れてしまったと言った方が正しいその言葉に、音になってからキバナははっとする。キバナが内心慌てているなか、ダンデは一瞬驚いたような顔をした後、にっと嬉しそうに笑う。
「知ってるぜ」
そう言って、両手を伸ばしてキバナの頬に触れて「オレもだ、キバナ」なんてその瞳でまっすぐにオレを捉えてくるものだから、もう、ほんと、ほんとにさあ。
大きくて、綺麗で、力強いその金色いっぱいに自分の姿が映っているのを見て、心の中が満たされてたまらない。だって、この十年ずっと、そして今なおガラル中の人々を熱狂させるこの男の視線が今オレさまただ一人に注がれている。なんという優越だろうか。
ずっとこの男に勝つためにやってきた。それがオレの十年間だった。いちトレーナーとして、そしてナックルジムリーダー・“ドラゴンストーム”キバナとして、その人生を全部このダンデという男に捧げたのだ。しかしその目にまっすぐに見つめられると、いよいよオレの全部をもっていかれそうな気持ちになる。もうオレのほとんどはお前でできているというのに、これ以上何を捧げればいいのか分からないほどだというのに。“ドラゴンストーム”キバナとしても、一人の人間としてのキバナも、全部お前に捧げろというのか。ほんの一挙一動、目が合うだけで得そんな風に思わせていることさえきっとお前は無自覚なんだろうけど。でも、それでいいのだとも思う。
全部を捧げるなんていよいよだなと思うが、同時にダンデに全てを捧げられるなら光栄だなとも思うから、もうだいぶキているのかもしれない。だって、もうとっくにオレさまの人生はすっかりお前に塗り替えられているんだから。
吸い寄せられるみたいにまたキスをする。頬に触れた手は弄ぶみたいにすり、と触れて、もっとと強請られているようだった。キバナが口付けを深くすると、重ねたダンデの唇の端がまた柔らかく弧を描いた気がした。