雨にワルツ



「――はい、そうですか。わかりました。じゃあ」
 電話を切ると、静かになった部屋の中に響く雨音。大きな窓に打ち付ける雨粒は、先程よりも一層勢いを増しているように感じられた。それは自分の気分のせいもあるのかもしれないから、本当のところはよくわからない。
 先程の電話はローズさんからで、今日予定していた仕事が雨で中止になったという連絡だった。今日はまだトレーナーではない子どもたちにポケモンバトルの楽しさを伝えるべく、トークイベントに加えレンタルポケモンを使ったちょっとした子どもポケモンバトル大会がシュートシティの広場で青空の下行われるはずだった。チャンピオンになったばかりの昨年も行われたイベントだったのだがとても楽しく、バトルがほとんど初めての子どもたちだからこそ予想のつかない手も生まれたりして勉強にもなるし、何より「ガラルのみんなで強くなりたい」という夢を掲げるダンデにとってはバトルの楽しさを小さな子どもたちに教えられるのは嬉しかった。だから今年も楽しみにしていた……のだけれど。
 ダンデも一週間前から天気予報を多少気にしてはいたものの、日に日に高くなっていた降水確率には抗えず、天気予報大当たりの大雨だ。この天候では開催しようもない。野外イベントの宿命である。
 ガラルは雨が多い地域だ。バトル時の戦略として使われる雨は別だが、ダンデは雨は好きではない。こうして楽しい予定がだめになってしまうから。
「……今日一日暇になっちゃったなぁ、リザードン」
「ぱぎゅあ」
 ベッドにぼすんと寝転がって呟いた自分の言葉は雨音にかき消されてしまいそうだったけれど、リザードンにはちゃんと届いてくれたようで返事をしてダンデの側に歩いてきてくれる。リザードンは優しいな。笑いかけると、リザードンが頬をすり寄せてきた。
 チャンピオンになってから引っ越してきたシュートシティの一等地の広い広いこのマンションはローズさんが選んでくれたものだ。あまりに広くて綺麗で自分には分相応だと思ったが、「チャンピオンは忙しいですから、アクセスの良いところでないとこちらも困ります。流石にハロンタウンから通うのは厳しいでしょうし。それにセキュリティがしっかりしているところでないと」とオリーヴさんが淡々と説明してくれて、「それにポケモンたちを放すなら広い場所が必要でしょう」という言葉でダンデはひとまず納得した。
 始まったチャンピオン業は想像以上に忙しく、部屋は寝に帰る場所に近かった。ダンデは忙しく飛び回ることは好きだったし、チャンピオンとして求められることも嬉しかったからそれは全く苦では無かった。だから普段はそんなにこの部屋の広さを意識することも少なかったが、こうして突然時間が空くと何をして良いのか分からなくなるし、この広くて綺麗な部屋の中が無性に寂しくて、ぽっかりと心の中に空白が生まれてしまったような気持ちになってしまう。
 何をしようか。部屋の片付け? は、そんなに片付けるほどこの部屋に物はない。やっぱりバトルの研究かな。最近のエキシビジョンの録画も溜まってしまっているから、それを見ながら研究するのもいい。それから――。
「ふあぁ」
 大きなあくびを一つ。ダンデは朝は強い方だが、最近も何かと忙しくて少し普段よりも睡眠時間が減っていた。だから起きたばかりだけれどちょっと眠いのかもしれない。そのまま目を閉じてみる。今日は一日予定はないのだ。……こんなの何ヶ月ぶりだろう。緩やかに上ってくる睡魔に、ダンデは身を委ねた。



 ピンポーン、という音がした気がしてダンデはゆっくりと目を開ける。
(……? 誰か来た? それとも夢?)
 まだ頭がぼんやりとして、夢と現実の境目が曖昧だ。今日誰かが来るなんて予定はなかったはずだけど。宅配も頼んでいないし、やっぱり夢だろうか。そう思ったところにもう一度インターフォンが鳴らされる。
(夢、じゃない!)
 ダンデは慌てて大きなベッドから飛ぶように降りてリビングまで向かう。誰だろう。考えてみたけれど心当たりは無い。インターフォンのモニターを覗き込んで、ダンデは思わず「えっ」と声を上げた。眠気が一気に吹き飛ぶ。通話ボタンを押す。
「――キバナ!?」
『おぉ、よかった、いないのかと思った。よぉダンデ』
 キバナはサイズの大きいいつものパーカーを着て、垂れた目を細めてにっと笑う。その笑顔が何だか無性に嬉しくて、ダンデは自分の胸がそわそわとと高鳴るのを感じた。
「急に来るからびっくりしたぜ――あ、とりあえず開けるから入ってくれ!」
『ありがと』
 解錠ボタンを押して、通話は一旦途切れる。少し待った後に玄関のチャイムが鳴らされて、ダンデが勢いよくドアを開けると、先程はモニター越しだった笑顔が目の前にあった。
「よぉダンデ、久しぶり」
「久しぶり、だな。そういえば」
 久しぶりだ。キバナに言われてそういえばそうだったと思い出す。スタジアムで対戦相手として相まみえることはあっても頻繁ではないし、プライベートで遊ぶこともお互いに忙しくて最近は全然できていなかった。お互いに新米チャンピオンと新米ジムリーダーの身だ。
「最近忙しそうだったもんなー。まあオレさまもジムの方でやること沢山あってバタバタしてたけど」
 あ、傘ここに置いて良い? と傘立てを指差しながら言われてダンデは頷く。キバナの傘からは大きな雨粒がたっぷりと滴っていて、外の雨の激しさを思わせた。
 傘を傘立てに置いて、ダンデはキバナをリビングに案内する。キバナがこの部屋に来るのは初めてでは無いが、回数は数えるほどだ。一人とポケモンだけの暮らしには大きすぎるくらいのソファに二人で座ると、キバナが話し始める。
「オレさまは今日元々オフだったんだけど、買い物しに外歩いてたらローズさんがいて、電話してるの聞こえちゃったの。今日の仕事なくなったんだって?」
「! ああ」
「だから、ダンデも珍しく暇してるんじゃないかと思って、来てみた」
 キバナはそう悪戯っぽい笑みを浮かべる。「暇に慣れてないだろ、ダンデは」と図星を突かれてダンデはぐうの音も出ない。去年のジムチャレンジで出会ってからだからまだ付き合いはそこまで長いわけでは無いが、キバナはとにかく観察眼が鋭い。
「バトルコートの予約とかもしてないからバトルはできないけどさ。まぁたまにはこういうのも」
 言いながらキバナはカバンの中から本を何冊か取り出す。分厚い本から、薄くて小さい本までさまざまだ。その中にはガラルの文字でない文献も混ざっているようだった。
「最近ナックルの図書館に入ったポケモンの生態の研究書とか、他の地方のポケモンの論文とか、ダンデの意見も聞きたくって。ダンデも好きだろ? こういうの読むの」
「……ああ、好きだぜ!」
 まだまだ未知の部分の多いポケモンの研究について学ぶのもダンデは大好きだ。本の表紙を見ているだけでもわくわくと胸が高鳴る。――だけど、それ以上に。
「だろ? じゃあ今日の予定は決まりだな!」
 にっと楽しそうにキバナが笑う。ダンデはそれが嬉しくて。久しぶりにキバナと遊べる、沢山ポケモンの話ができる、それが嬉しくてわくわくしてたまらなかった。
 雨粒はまだ勢いを弱める気配無く窓を打ち付けている。だけどその雨音も、この広い部屋の寂しさも、いつの間にかダンデは全く気にならなくなっていた。







「――はい、はい。ではまた日を改めて。調整して連絡します」
 窓の外は暗く重い雲と、打ち付けるような強い雨。朝からとてもじゃないけど気軽に外には出られそうも無い悪天候だ。キバナがスマホロトムを操作して電話を切って、こちらに戻ってくる。
「中止になったのか?」
「ああ。また日程を調整し直すことになったから、今日は一日オフだわ」
 キバナはそう言って小さく伸びをする。キバナは今日は仕事の予定があったが、この大雨で延期になったらしい。
「そうか。今日、雨すごいもんな」
 窓の外を眺めてそう言うダンデを、キバナはまじまじと見る。
「……どうかしたか?」
「いや、なんか楽しそうな顔してんなって思って」
 きょとんとした顔のキバナを見て、ダンデは思わずふふっと笑う。その笑顔を見て、キバナはまた疑問の色を深くするけれど、ダンデは気付かないふりをして口を開く。
「――そうだな。雨は、結構好きだぜ」
 雨で予定がなくなるのは好きではないけど――でもそうしたら君と過ごせる時間が増えるから、楽しいんだぜ。そこまでは口にしなかったのは、不思議そうな顔をしているキバナがなんだか可愛く思えて、もう少し見ていたかったからだ。



(2020年6月20日初出)



kbdnワンドロ02 お題『雨』



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