染まりゆく
「ソニア、久しぶりだぜ!」
最近博士の肩書きを冠すようになった研究熱心な幼馴染みに、頼まれていた他地方の最新の研究論文を渡すためにポケモン研究所の扉を開く。と、当の幼馴染み――ソニアは普段よりも少しぼさついた髪をして、ダンデの姿を見るなり目をぱちくりとさせこちらを凝視してきた。
「……? 何かオレの顔についてるか?」
怪訝に思ったダンデがそう聞くと、ソニアの第一声。
「ダンデくん、そんな服持ってたの……!?」
折角来てくれたしとソニアが淹れてくれた紅茶を一口。気にしなくて良いんだぜ、と返したけれど、「なんか集中力切れちゃったし。ここんとこだいぶ根詰めてたから、ちょうどいいから私も休憩にする」とソニアは大きく伸びをした。
「ダンデくん、今日はオフなんでしょ?」
「ああ、そうだぜ。この後は予定もないから、今育成途中のポケモンたちの調整でもしようかと思っていたんだ」
「そう。まぁ、ちゃんと休みはとれてるみたいでよかった」
ソニアも自分の分の紅茶を飲んだ後、モンスターボールの形をしたかわいらしいクッキーをひとつつまんで口に運ぶ。
「いやー、でも、びっくりしちゃった。ダンデくんワンシーズンにつき同じ服しか持ってないのかと思ってた。夏は赤いTシャツとショートパンツ」
「流石に同じ服だけではないが……」
からっとした言い草はソニアのいいところでもあるが、それにしてもばっさり斬ってくる。しかし、正直否定しきれないのも事実。仕事の時は、これまではチャンピオンユニフォーム、今はバトルタワーオーナーの燕尾服という決まったコスチュームがあるし、私服を着る機会自体が多くない。数少ない私服も考えるのが面倒だしその方が楽だからという理由で、ほとんど同じようなものをまとめ買いして着ていた。
ダンデは改めて今日着ている服を見る。オーバーサイズ気味のゆったりとしたシャツではあるが、襟がついているからだらしのない印象はない。柄も大きくデザインされているものの色使いは派手ではないし、パンツはすとんとしたシルエットでシンプル、トップスと近い色合いに揃えてある。ついでに伊達眼鏡のおまけ付きだ。全体的に遊びもありつつまとまった印象で、雑誌で見るような「おしゃれ上級者のスナップ」のような服装だった。その上、バトルには勿論向かないが、街を歩くには動きやすく涼しいので快適という機能性もバッチリだ。
自分ではこの格好はとても気に入っている。が、ソニアの言う通り、正直これは全くもって自分で選びそうにはない。アイテムも組み合わせも全部、自分の頭からは出てこないものばかりだ。
「これは、キバナが選んでくれたんだぜ」
「キバナさんが?」
きっかけは数週間前のこと。
バトルタワーの事業も軌道に乗ってきてダンデの仕事量も少し落ち着いてきた頃、キバナと休日に遊びに行かないかと言われた。キバナとはライバルであると同時にいい親友関係でもあるが、チャンピオン業が忙しかった頃は完全プライベートで遊ぶということは久しくしていなかった。キバナと遊べるのは、なんだかまだお互いに少年だった頃のようでわくわくした。場所はシュートシティ。最近できたのだというレストランでちょっといいランチを食べて、ショッピングをして、最近話題の映画でも見に行こうという話をしていた。普通の若者みたいな休日だ。まあ、映画だってポケモンに関するものだし、結局ずっとポケモンの話をしているんだろうが。キバナとは同じ熱量でポケモンの話ができるので楽しかった。
だが。朝意気揚々と家を出ようとして、支度をし始めたところで問題にぶち当たった。
「――さすがに、ちょっといいランチをするにふさわしくない格好なことは分かるが」
待ち合わせ場所に到着したダンデはぼそぼそと言う。キバナはそれを聞いて吹き出した。
「いや、ごめん、格好を笑ってるわけじゃなくて、ダンデがあんまりしおらしいから」
ダンデの格好は、無地の赤いTシャツにストレッチの効いた動きやすいパンツ。変ではないだろうが、ガラル最大の都市シュートシティでちょっといいランチをするのにぴったりな服でないことくらいはわかる。仕事での会食なんかはユニフォーム等の仕事着、もしくはローズさんが用意してくれていたし、最近までほとんど毎日仕事着ばかりだったから忘れていた。こういうときに合う私服がない。
「別にまぁドレスコードのある店とかじゃないし、相手オレさまだし。服の好みは人それぞれだから、好きなもの着てるなら否定は毛頭するつもりはないけど……」
そこまで言って、キバナは少し考えるような仕草をする。そしてダンデに向き直る。
「よりTPOに合う服、自分に似合う服を着たいってんならさ」
キバナがにっといたずらっぽく笑う。
「オレさまにちょっと任せてみない?」
――そしてその日は二人で目が回るくらいの服屋を巡った。キバナは楽しそうに、でもてきぱきと何着もダンデに服を選んでくれた。自分ではおよそ選ばないような、でもおしゃれでかっこよく、ダンデもいいなと思う服を的確に。そうして日が暮れる頃には、沢山の紙袋と共に何パターンものダンデの私服コーディネートが出来上がっていた。
ちなみにオレの服なんだから支払いはオレがするぜ、と申し出ると「遅くなったけどバトルタワーオーナー就任祝いってことで」と返され最後まで財布を出すことができなかった。どこまでもスマートな男だ。
事の顛末を聞いて、ソニアは納得したように大きく頷く。
「へえ! キバナさん流石だね。ダンデくんに似合うのもよくわかってる」
ソニアの言葉を、ダンデは心の中で反芻する。
――そうか、この服はオレによく似合っているのか。
数週間後にまたキバナとオフが被ったので、再び遊びに行く約束を取り付けた。今日もキバナの全身コーディネートだ。夏でも涼しい素材のロングカーディガンにワンポイントが可愛らしいシャツに細身のパンツ、変装も兼ねた伊達眼鏡にシンプルなブレスレット。これまで服は着られれば良いとさえ思っていたのに、キバナが選んでくれた服を着ると、格好良いスタイリングにわくわくと気持ちが高揚する。服ひとつでこんなに気分が変わるんだと、キバナが教えてくれなかったら知らなかった。
ダンデが迷子になるといけないから、というキバナの指定により、待ち合わせはダンデの住むマンションのエントランス。ダンデが自動ドアから出てきて、キバナの目線がダンデに向けられる。そして、キバナは花が咲くみたいにぱっと嬉しそうに笑った。
「おっ、オレさまのコーディネート着てくれてるんだ」
柔らかな垂れ目を細めて笑うキバナがかわいらしい。着てきてよかったという嬉しさと、あまりに嬉しそうな顔をするからどこかそわそわと気恥ずかしい気持ちとが同時に襲ってきて、ダンデは心の置き所に戸惑った。
(……なんだ、これ)
戸惑った気持ちは、「じゃ、行くか」というキバナの言葉で霧散する。出入り口に向かって歩き始めたキバナを慌てて追いかけた。
その日は先日時間がなくて見られなかった映画を見て、最近美味しいと評判のレストランで昼食、その後は天気が良いからと腹ごなしの散歩がてらのショッピング。そうしているうちにあっという間に夜になって、夕飯の後はキバナのおすすめだという隠れ家風のバーに立ち寄った。有名人も数多くお忍びで通う店らしく、人も少なくゆったりとした店内は静かに時間を過ごすのにぴったりだ。ガラルNo.1ジムリーダーと元チャンピオンで現バトルタワーオーナーの来店、ということをマスターは気付いていたのかその表情にはおくびにも出さなかったが、店の一番端、奥まっていて他の席からは特に見えづらい席に案内してもらった。
マスターのおすすめを頼んで出てきたカクテルは上品で美しい見た目をしているが、アルコール度数が高いのだという。一口飲んでみると、仄かに甘くてとても飲みやすいがなるほどアルコールは強い。
店内には静かなジャズが流れている。落ち着けるいい雰囲気と、二人で一日一緒に過ごした高揚感、そして少し入ってきたアルコール。それらの全てが少しずつ背中を押して、隣で同じカクテルを飲んでいるキバナに、あの日からなんとなく頭の中でふわふわと漂っていた疑問をぶつけてみる。
「キバナ」
名前を呼ぶと、「ん?」と返してこちらに顔を向けてみる。そのターコイズブルーは柔らかく穏やかだ。
「……どうしてキミはオレに似合うものが分かるんだ?」
そう言って、ソニアにも褒められたぜ、と付け足す。
文脈が突然すぎただろうか、ダンデの言葉にキバナは少し驚いたような顔をする。そうして、キバナはへにゃりと嬉しそうに笑う。その表情に、今朝の姿を思い出して、あの瞬間のそわそわが少しだけフラッシュバックする。
緩む口元を押さえるその姿は上品で、スタジアムで相対する時の獰猛な様子からはおよそ想像できない。けれどどちらもキバナという男なのだ。
「そうなんだ。そう思ってくれたなら、嬉しいな」
噛みしめるみたいにそう言った後、キバナは「似合う物が分かる理由、ね」と呟く。数秒の沈黙の後、キバナはダンデの方に再び顔を向ける。そして目をまっすぐに合わせてから、キバナは口を開いた。
「……ダンデが好きだから」
「……は」
思いもかけなかったその言葉に、ダンデは咄嗟に何も返せなくなる。キバナの表情は穏やかでとろんと甘くて、けれどその美しいターコイズブルーは逃がさないようにまっすぐにダンデを射抜く。
好き、って、どういう意味だ。ライバルとして、親友としての「好き」なのか――いや、でも今の温度は、表情は。いや、そんな、まさか。でも。もしライバルや親友としての意味だったとしたら、「ありがとう」とからっと返すのが最適解だったろうに、出遅れてしまった。頬に熱が集まるのが分かる。
「その反応、……少しは期待していい?」
キバナが口角を少し上げる。ほっとしたような、嬉しそうな、そんな表情だった。その表情に、ダンデの胸がまたざわざわとかき乱される。
「ライバルとして、親友として――だけじゃないぜ。この『好き』は。反応を見るに、ダンデも薄々察しただろ」
キバナの手がダンデの頬に触れる。言葉は格好つけているくせに、その手はほんの少しだけ震えていた。それに気付いた瞬間、もうどうしようもなかった。
「好きだから、ずっと見てきたし、どんな服がダンデに一番映えるかも分かる」
そう言ってキバナは一瞬言葉を切る。バーの他の音は遠ざかって、全神経がキバナに向けられるようだった。キバナが小さく息を吸う、その音さえダンデの耳には鮮明に届いた。
「下心、あってごめんな。……オレさまの色に染まっていくダンデを見るのが嬉しかった」
そう言われて、全身がかっと熱くなる。あ、だめだ、これは。もう。急速に自覚する。目の前の、美しくて優しくて狡い男が、触れた震える手が、そこから伝わる体温が愛しくて仕方が無い。どうして今まで気付かずにいられたんだろう。
いつの間にかオレはキバナに染め上げられてしまっていたらしい。身に纏う服も、気付けば、それ以外も。
kbdnワンドロ04 お題『私服』