BEGINNING



 コンコン、と控え室のドアをノックすると、「はい」と快活な声が返ってきた。ドアを開けると、そこには深い赤色の仰々しいマントを纏った絶対王者とそのパートナーであるリザードンの姿。ガラルの、そして今や世界の絶対王者――ダンデのアンバーに輝く瞳が訪問者の姿を認める。そんなダンデの一挙一動に注視しながらも、それをおくびにも出さない飄々とした表情のままキバナは口を開く。
「失礼。邪魔するぜ」
「キミは、ドラゴンジムの」
「キバナさまだ。今日はよろしく、ダンデ」
 キバナがそう人の好い笑みで微笑みかけると、ダンデもにっこりと笑う。
「ああ! 楽しみにしている。キミたちは本当に強いからな」
「そう言われるなんて光栄だな。――まぁ、それで満足するつもりなんか毛頭ないが」
 一呼吸置いて、キバナはまっすぐにダンデを見据えて言う。キバナよりも少し低い位置にあるアンバーが、キバナを見上げてその熱を湛えた視線に応える。交わった目と目の間にばちんと火花が散ったのが見えたような錯覚に陥る。
「オレさまたちは、ダンデに勝つ」
 キバナの言葉に、ダンデはふっと笑う。後ろに控えているリザードンも挑戦的なまなざしをキバナに向けて、小さくぐるると鳴いた。
「勝つのはオレたちだぜ」
 ダンデはキバナよりも体躯こそ小さいはずなのに、ほんの少しでも油断をしたら圧倒されてしまいそうな表情をする。王者の威厳、余裕、自信、とでも言うのか。
 数秒そうしていただろうか。ふっとキバナは口角を上げて、人の好い笑みに戻る。
「まあ、あとはバトルコートで語ろうぜ」
 キバナがそう言うと、ダンデは頷いて「ああ!」と返す。じゃあまた、コートで。そう言ってキバナはダンデの控え室を出て、ドアを完全に閉めた後に、ふうう、と長い息を吐く。

 ガラルの由緒あるドラゴンジム・ナックルジムのジムリーダーになって今年で三年目になる。ガラルのポケモンジムはメジャーとマイナーがあり、その中でも細かく明確な序列が決まっている。序列の中身は単純明快、ジムのトップであるジムリーダーの強さだ。ナックルジムはこれまでもずっとガラルNo.1ジムの座を守ってきたし、キバナがジムリーダーを引き継いでからも一度もその座から陥落したことはなかった。当初はキバナの若さや一見軟派に見える立ち居振る舞いに、ナックルジムのジムリーダーにはふさわしくないのではないかという声も多少はあったけれど、キバナがその名誉や地位を一度たりとも落としたことがない――むしろ引き上げていく姿に、いつしかそんな声も聞かれなくなった。キバナ個人のSNSには多少揶揄や悪意の混じったコメントが書き込まれることもあるが、それは大抵キバナ個人に対してのものなので参考にはしても気に病むほどのことはない。
 そんなキバナがどうしても勝てない相手が二人いる。一人はタイプ相性圧倒的不利なこおりタイプのジムリーダー・キルクスジムのメロン。そしてもう一人が、敗北を知らないガラルの絶対王者・ダンデである。

 今から十年近く前。キバナがまだ少年だった頃、同じくまだ少年だったダンデが当時のガラルトップのチャンピオンを圧倒的な強さで打ち負かし、ガラルのチャンピオンになった。キバナはまだポケモントレーナーになる前。自宅のテレビから流れる試合中継で、その様を見ていた。あの頃はまだ短かった紫の髪の上にキャップを被って、まだ背中にあの重そうなマントを纏わず身軽そうなチャレンジャーユニフォームで。楽しそうに、しかし相手のパーティ構成をしっかり研究していることが分かる的確な指示で、見事な勝利を勝ち取ったのをこの目で見た。見てしまった。あの時から、キバナの人生は一気に変わった。抗いようのない、とんでもない大きな衝動で。
 元々ポケモントレーナーに興味はあったが、キバナはすぐにポケモントレーナーを志した。
 自分と近い年の頃の少年があんな風に鮮やかにポケモンバトルで勝利していく。あまりにも美しく、輝いていて、同時に「こうしてはいられない」という悔しさに似た衝動に突き動かされた。アイツはもうあんなところにいる。じゃあオレは。オレも、早く行きたい。行かなければ。そう思ってからは早かった。
 ナックルシティに縁が深く昔から格好良いと思っていたドラゴンタイプに魅了され、手持ちはドラゴンタイプをベースに、ただそれに拘りすぎずにどんなケースでも柔軟に対応できるようにパーティ構成を考えた。トレーナーを始めたキバナはめきめきと頭角を現し、各地のアマチュア大会では敵なし。数年後にはナックルジムのジムトレーナーになり、いつしか「ドラゴンストーム・キバナ」なんて二つ名まで付けられた。
 その間もダンデはずっと無敗のチャンピオンであり続けた。十年無敗なんて正気の沙汰じゃない。けれどダンデは持ち前のセンスに加え、ポケモンの鍛錬も試合相手の研究も怠らない。元来の天才に、弛まぬ努力まで加わったら並大抵のトレーナーでは敵わない。
(けど、ダンデを十年追いかけ続けてるオレさまだって正気の沙汰じゃないのかもな)
 ダンデが灯したキバナの中の炎は、あれから十年経ってもおさまるどころか一層燃え上がるばかりだった。
 ダンデの試合はいつも鮮やかで、しかし隙がない。トレーナーになって、自分も強くなればなるほどダンデの強さが身に沁みて分かって唇を噛んだ。同時に、どうしても戦いたい、この男に勝ちたいと思った。ダンデを追いかけるほど、キバナは強くなれた。
 ダンデはどんな戦いからも学ぶと豪語し、勝負を本人の意思で断ったことはないという。ただ想像を絶するほど多忙だというチャンピオンは、実際のところ誰でも気軽に試合のできる相手では到底なかった。無名のトレーナーから始まったキバナは、ジムリーダーになってからようやく追いかけ続けたダンデと戦うことができたのだ。
 一度目はジムリーダーに就任してすぐ。ジムリーダー同士のトーナメントに勝ち上がりダンデへの挑戦権を得たが、初めて相対したダンデはキバナのこともしっかり研究してきていて、粘りに粘ったものの結果はキバナからすれば「惨敗」だ。それでも周囲は「ダンデ相手にあそこまで追い詰めるなんて」と言ってくれたが、こっちは十年前から追って追って焦がれて、勿論研究だって十分すぎるほどしてきたからこそ、この試合は悔しくてたまらなかった。
 二度目、三度目はジムリーダーになって二年目。再び勝ち上がってダンデと相対したトーナメントがひとつと、イベント的なエキシビジョンがひとつ。そちらは最初の試合よりもダンデの喉元に迫るような戦いができ、お互い最後の一体になるまで試合はもつれ込んだ。ほんの少しでも技のタイミングや選択が違ったら勝負は分からなかったかもしれない――そう、後日試合を振り返りながら専門家が評していたのをテレビで見た。
 二度目の試合の後、「キミは、強いな!」とダンデは嬉しそうに笑っていた。楽しかったとも口にした。……だがそれまでだ。他の強いトレーナーとだってダンデはそう言うだろう。キバナがダンデに焦がれてる熱量と、ダンデがキバナに対して抱いている感情は、あまりに大きさの違うものだ。
 現に、今だって個人名よりも先に「ドラゴンジムの」が出てきた。ガラルの由緒あるドラゴンジム・ナックルジムはキバナの誇りであるから、それ自体が嫌なわけでは全くない。けれど、ことダンデに関しては。
(――オレを見ろ、ダンデ)
 この十年。オレはオマエしか見ていない。ダンデに呼び起こされた衝動は今も胸の中で暴れている。
 やっとここまで来たんだ。そうこれまでの十年を噛みしめる。――ダンデがきっかけでこの道を選んだこと、ダンデに勝ちたいという思いでここまでやってきたこと、ダンデ本人はおろか他の誰にも言っていない。ずっと「打倒ダンデ」「目標はダンデに勝つこと」と掲げてはきたが、ここまでの強い思いを持っていることまでは言っていない。オレばかりがこんなに熱を燻らせているなんてという悔しさもあるし、何よりそんな重量級の感情論で無理矢理に振り向かせるようなことはしたくなかった。オレとパートナーたちの強さで、ダンデの目をこちらに向けさせたかった。
 キバナの戦いぶりに、ダンデのライバルになり得るのではないかなんて世間の声も少し前から聞こえてくるようになってきた。だが当のダンデはまだキバナを「ライバル」だと呼んだことはない。
 ダンデ。オマエのライバルにまずはなる。オマエから求めて追いかけたくなる存在に、オレはなってみせる。
 シュートスタジアムの廊下、シミ一つない美しい天井を見上げる。試合開始まであと一時間を切った。今回の試合に出場するジュラルドンのコンディションは完璧、頭もすっきりと冴えている。今回もやれることはやってきた。あとは試合で示すだけだ。
 スタジアムで歓声を浴びることが好きだ。激しい試合で観客を沸かせることも好きだ。だけど今日だけは、ダンデとの試合だけは、それは二の次になってしまう。
(ダンデ。このどうしようもない熱と衝動を、オマエもオレに抱けよ。オレとおんなじになればいい)
 その美しいアンバーに、チャンピオンの顔を外した、剥き出しのダンデの色を灯させたい。そのために、オレは今日ここまで来たんだ。
 ――なあ、オレに焦がれてみせろよ、ダンデ!




(2020年7月6日初出)



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