feathers and fetters



 二人の関係性により深くて大切な名前がついてから、これからオフの日が被ったら二人で美味しいものを食べに行こうという約束を提案したのはキバナだった。それは単純にキバナが恋人としてダンデと色んなところで楽しく食事をしたい、美味しいものを食べるのも好きだし、ということもあった。だがチャンピオン時代は常に忙しなく飛び回っていて食事に全く気を遣わない、味わって食べるということを遠い昔に置いてきてしまったダンデに、世の中にはこんなに楽しいもの、素敵なものが溢れているんだぜということを教えたいという気持ちもあった。
 別に最終的に興味を持たなくたっていいんだけど、でもこの男はチャンピオン業を楽しみながら没頭するあまり拾い忘れたものがあまりに多すぎる。エゴと言われればそりゃ間違いなくオレさまのエゴだ。だけど、選択肢を提示してみることくらい、いいだろ?
 幸いにして、「ゆっくり味わって食事をする」ということを覚えたダンデは――今でも仕事が忙しい時はサンドイッチやカレーを飲むように食べて仕事に没頭してしまう癖はあるが――キバナとの外食をどんどん楽しんでくれるようになった。たまにダンデから「この間スタッフから聞いたんだが、このレストランが美味しいらしいんだ。今度行ってみないか?」と提案してくれるようになったくらいだ。
 付き合い始めてすぐに二人の関係は世間に公表していた。これまでは二人ともプライベートでも求められればファンサービスをどんどんやってしまうタイプだったが、交際宣言と同時に「デートしてる時だけは見かけてもそっとしておいてくれよな」ということを茶目っ気も交えながらキバナがSNSに投稿しておいたおかげか、二人で堂々と食事をしていてもほとんどの人はそっと見守っていてくれた。ガラルの人々はあったかくて優しいな、ということが改めて染みた。
 来週も久しぶりにお互い丸一日オフの日が被ることになって、じゃあどこで食事をしようというのはもはやどちらかが言い出すでもなく自然と「どこへ行こうか?」という話になった。キバナは先日仕事でルリナに会った時に最近バウタウンに海がよく見える美味しいレストランができたのだと聞いていたから、そこに行ってみたい、パエリアが絶品らしいぜ、と言うとダンデも「いいな。ルリナのおすすめなら間違いないだろうし、オレも食べてみたいぜ!」と笑顔で快諾した。

 当日の天気は雲一つ無い快晴、空を飛んで行っても気持ちがよかっただろうけど昨日はキバナは試合、ダンデも強い挑戦者とタワーの昇格試験で戦ったというのでお互いの手持ちも今日はオフだ。ボールの中でゆっくり休ませてやりながら、バウタウンまでは電車で向かうことにした。ダンデはシュートシティから、キバナはナックルシティから同じ電車に乗り込む形での合流だ。「最近はめっきりリザードンかアーマーガアタクシーだったけど、たまには電車で移動するのもジムチャレンジの時を思い出して楽しいな」とダンデは上機嫌に笑った。
 平日ということでランチタイムでも多少席には余裕があり、「よろしければテラス席が今空いているので、いかがでしょうか? 海がとても綺麗に見えますよ」と優しそうな店主に勧められるままテラス席に座ることにする。なるほど太陽の光を浴びて輝く海は確かに絶景だ。美しい海を眺めながら食べたルリナおすすめのパエリアも絶品で、二人で「うまいな!」と盛り上がってあっという間に完食してしまった。

 会計の際店主に美味しかった旨を伝えて、店を出る。店の出入り口の目の前がもう海だ。穏やかな休日の午後、まだまだ時間はたっぷりある。誰もいない海岸というのはなんだか貸し切りみたいで楽しくて、ちょっと寄ってみようかという話になった。
 まだ海開きには早い時期だけれど、今日はそこそこ気温も高い。海に思いっきり入れたら気持ちいいだろうなー、と思いながら砂浜を歩いていると、ダンデが少し先を行って履いていたサンダルを右手に持って、海にくるぶしまで浸かってみせる。
「冷たくて気持ちいいぜ、キバナ!」
「おっいいな、楽しそう」
 オレさまも、と言ってキバナもサンダルを脱いで海に足をつけてみる。ひんやりとした温度が足を包む。この暑い日には海の冷たさがとても心地が良かった。
「おりゃ」
 戯れに、足で軽く水を蹴ってダンデの方にかけてやる。服を濡らさない程度に加減してほんの少しだけだったけれど、ダンデは不意を突かれて驚いた表情をした後、「やったな、キバナ!」とお返しとばかりにキバナよりも盛大に水を蹴った。勿論、キバナに思いっきりかかって服もしっかりと濡れてしまう。
「お前……オレさま加減してただろうが!」
「勝負に加減なんてないぜ」
 ダンデはけらけらと楽しそうに笑う。
「いつから勝負になった!?」
 しかし勝負なんて言われてしまっては、お互いに超がつく負けず嫌い、一度始まってしまえば自分から引くという選択肢はなかった。気付いた頃には二人ともすっかり濡れてしまっていて、「帰りどうすんだよ……」とキバナが肩をすくめた。「……考えてなかったな」とダンデも苦笑する。
 風が吹き抜けて、ダンデのアメジストの髪を揺らす。
「懐かしいな。ヨロイ島で修行をした時は海岸で遊んだりしてたことを思い出したぜ」
 ダンデが海の向こう、遠くを見つめる。ヨロイ島。ガラルの本島からほど近い、かつて無人島だった場所。ダンデと並んで伝説的チャンピオンと語り継がれるマスタードさんが師匠を務める道場があり、かつてダンデもそこで修行をしたのだという。
「師匠がよくみんなを遊びに連れて行ってくれてな。あ、でもこんな風に水を掛け合ってびしょびしょにはなってないぜ」
 そう言ってダンデはいたずらっぽく笑う。
「楽しそうだな。そういえばヨロイ島、オレ行ったことないんだよなぁ」
「行ってみるといいぜ! なんならオレから師匠に伝えておく。自然が多くて修行にもいいし、本島では見ないポケモンも沢山いて、面白いぜ。ホップも近々ポケモンの生態調査に行くって言っていたし、オレも久々に行きたくなってきたな」
 ダンデは軽く伸びをする。
「きっと今も新しい門下生が沢山いて、色んなトレーナーがいて……面白いんだろうな。ヨロイ島だけじゃない、この海の向こうには、もっともっともっと、オレがまだ知らないポケモンや面白いトレーナーが沢山いるんだろう」
 海の向こう、ずっと遠くを見るダンデに、キバナの胸はわずかにざわめいた。
 ガラルは海に囲まれた地方だ。この美しい海を越えれば、別の地方がある。カロスやアローラ、カブさんの出身であるホウエンもあるし、他にも沢山。ダンデはガラル生まれガラル育ちでほとんどこの地から出たことがなく、キバナだってそうだ。ダンデの言う通り、この海の向こうにはまだ見ぬポケモンたちや、強いトレーナーも沢山いるんだろう。キバナも海の向こうをじっと見て、そして目の前のダンデに目線を戻す。
 今日のダンデはオフ仕様のラフな格好で、襟付きの半袖シャツにハーフパンツ。風が吹いて、ダンデのシャツの襟を僅かに揺らす。あの長くて重いマントも、体型に合わせて作られたきっちりとしたユニフォームもない。ただの、一人の男としてのダンデがそこにいる。
「……ダンデは、他の地方に行ってみたいと思うか?」
 キバナは、何気ない風に聞こえるように意識をしながらダンデに聞いてみる。
 いつかの試合の後キバナに「私の地方に来ませんか?」と勧誘をしてくれた、他地方のリーグスタッフだという妙齢の紳士のことを思い出していた。「あなたの実力なら、もしかしたらチャンピオンも夢ではないかもしれません」。そうありがたい評価をくれる彼に、キバナは謝意を述べつつ「だけどオレはここを離れるつもりはないんです」と迷うことなく断った。キバナはガラルが好きで、ナックルシティが好きで、――そして何より、ダンデという存在がいるこの地を、絶対に誰よりも倒したい相手がいる、どうしようもなく目を奪われて焦がれてたまらない相手がいるこの場所を離れるつもりは毛頭無かった。それは他のどんな地位よりも名誉よりもキバナにとって最重要事項だった。
 ダンデもガラルを心底愛していることは知っている。よくよく知っているつもりだ。だけど反面、恋情という愛しくてやっかいなものは、ライバルという絶対的で不安定な執着は、人を悪戯に不安にもさせるものだ。
 目の前でキバナを見つめて目を瞬かせるダンデは、もう重いマントを纏ってはいない。ダンデの世界には今やポケモンとバトル以外も色んなものがあって、世界にはさまざまな楽しいことがこんなに溢れていると今のダンデは沢山知っていて――それを教えた一端はキバナなのだが――身軽で、軽やかで。ふと目を離した瞬間に駆けてどこかに飛んでいってしまいそうだなんてことを思ってしまう。
 ダンデは数秒キバナを見つめた後、口を開く。
「他の地方も見てみたい気持ちはある。だがそれは全部ガラルのためだ」
 抜けるような青色の空を、ココガラが何羽か飛んでいく。よく晴れた平日昼間のバウタウン、ココガラの鳴き声が穏やかにキバナの鼓膜を揺らす。そのココガラを目の端で追うダンデの表情も、愛しいものを見るように柔らかだ。
 何気ないつもりを装って尋ねたはずなのに、ダンデの返答はどこまでも真摯だ。キバナの僅かな心の揺れを見透かしたかのように。
「オレは生まれ育ったこの美しいガラルが大好きだし、守り、大きくしていきたい。ローズさんの意思も継いだつもりだ。オレはオレのやり方で」
 そう言ってダンデは、「それに」と付け加えた。ざぶんと音を立てて、ダンデがこちらへ歩いてくる。急に近付いてきたダンデに驚いていると、ダンデがキバナの目の前に立って、少しだけ低い目線からキバナを見上げてにっと笑う。
「それに、キミがいるこの地を離れるのはあまりにも惜しい。キミがいない場所はきっと物足りない」
 ダンデのアンバーの瞳がキバナを見つめて、細められる。
 あの日のオレと同じじゃねえか、と気付かされて、キバナは頬に熱が集まるのを感じた。あの日のオレと、というか、今だってオレは同じなんだよ。ずっとずっとそうなんだ。
(――同じ、なのかよ)
 ダンデが自分のことをそれなりに好いてくれていることは、流石にこの恋人関係をそれなりの間続けていればもう疑いやしない。だけど、その形がこんな風に同じだって目の前に急に出されると、どうしていいか分からなくなる。動揺して、嬉しくて、どうしようもなくて。
「……ダンデさ、あ」
 オレさまのこと大好きだよな。そう言うと、「ああ。知らなかったか?」とダンデは少し照れたようにはにかむ。その笑顔が太陽に照らされて、きらきらと光る水面よりももっときらきらと輝いているように見えて、もうお手上げだ。遠くで響く波の音を聴きながら、キバナはダンデの手に触れる。海に浸かったままの足は冷たくて、触れ合った手はお互いに少し温度が高くって熱い。上と下で温度があべこべなのに、だけどこの手を、今は離したくはなかった。



(2020年7月18日初出)



kbdnワンドロ05 お題『海』



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