蜂蜜の月の夜



 シュートシティの夜でも煌々と輝く夜景とは違う、静かな夜が窓の外には広がっている。長い空の旅を終えてこちらに到着してすぐにあちらこちらとバトル施設を中心に視察したから、流石に少し体は疲れを覚えているようだ。しかし生で初めて見るものばかりで本当に楽しくて、わくわくしてたまらなかった。
 なかなかタイトな旅程ではあるが、やはり思い切って遠いホウエンまで出張を決めてよかった。素足に畳の感触は慣れないが案外心地が良い。眠る前に、とスマホロトムを呼んで、キバナの電話番号を呼び出して貰う。かけた電話はすぐに繋がった。
「キバナ、お疲れさまだぜ。そっちはどうだ?」
 労りの言葉もそこそこにすぐにそう切り出すと、キバナはいつもの飄々として穏やかな声色で答える。
『お疲れ、ダンデ。全部滞りなく片付いたぜ』
「そうか、よかった!」
 キバナが直々に処理したのだ、ダンデは何も心配はしていなかったがそうキバナの声で聞くと改めて安心する。ダンデの声色が明るくなったのを受けてか、キバナは電話の向こうでふふんと得意げに笑った。
『このキバナさまをもってすればな。……それにしても行きたかったなー、ホウエン出張』
 キバナはそうぼやく。キバナの残念がる表情が目に浮かぶようで、ダンデは苦笑した。
「今回は、タイミングが悪かったな」

 バトルタワーとリーグをより良く、より面白くするための知見を得る為に他地方のバトル施設やリーグを視察することは前々からダンデは考えていた。しかしバトルタワーを開業しリーグ委員長の座についてからしばらくは仕事に慣れることにだいぶ頭と時間を持って行かれ、その後はどちらも大盛況で仕事に追われる日々でなかなか遠方までの出張が現実になることはなかった。
 しかし最近はタワーも新しいリーグも軌道に乗って、少しは時間を捻出できるようになってきた。そして今年のジムチャレンジも先日無事に終わり、少し時間のできたタイミングで今度こそ出張を実現させようということになったのだった。
 前々から、リーグのエキシビジョンとしてマルチバトルを導入してはどうかという案があった。ダブルバトル及びマルチバトルの発祥はホウエン地方だという。向こうにもバトルに特化した施設があるというし、是非一度行ってみたかった。その話をジムリーダーたちとの飲み会で何気なくしていたところ、向こうのジムリーダーやリーグ委員会にも知り合いがいるというカブさんが「ぼくで力になれるかは分からないけど、ちょっと聞いてみようか?」と橋渡しをしてくれたおかげでスムーズに話が運び、今日の出張に至ったのだった。
 ダンデ一人で行ってもよかったのだが、ダンデは同行者にキバナを推薦した。理由は、ガラル地方の中でジムチャレンジで唯一ダブルバトルを採用しているジムリーダーであること、またガラルトップクラスの実力者でありバトルタワーのバトル面に関しての相談にも度々乗ってもらっていて、その度に的確な返しをしてくれるダンデにとってバトルという面においてこれ以上に信頼の置ける人物はいないという判断だった。その話をするとキバナは目を輝かせて「勿論行きたい」と二つ返事で返してくれたのだった。
 お互いに忙しい身、どうにか二人と同行する数名のスタッフ分のスケジュールを捻出して今日を迎える……はずだったのだが。
 出発直前にワイルドエリアと宝物庫でちょっとしたトラブルが起きた。とんでもなく重大、というほどではないようだったが、そこそこ面倒事になっているようだった。ナックルジムのジムトレーナーたちは自分たちで処理できるからキバナさまは気にせず出張へ行って下さい、と言ったそうだが、実力もあり責任感の強いキバナは自分がいた方が事がスムーズに運ぶと判断したのだろう。しかも出張先は飛行機で十数時間かかる先だ。キバナは自分の街のために残ることを選んだ。そう申し出たキバナに対して、ダンデが断る理由などなかった。

「バトル施設やリーグ、こちらのバトル文化については後で報告書にも纏めるから、キバナにも渡すぜ。本当に面白かったな、来てよかった」
『サンキュー。だよなぁ、こっちとはまた全然違うみたいだもんな。文献や映像では見たことあるけど』
「ああ。キバナにも見て欲しかったしキバナの意見も聞きたかったが仕方が無いな。また来られるようにこっちでも調整をしてみるぜ、少し先にはなってしまうかもしれないが」
 そう言ってダンデは一度言葉を切る。
「――と、ここまでがリーグ委員長兼バトルタワーオーナー・ダンデとしての報告だぜ」
 ダンデは空を見上げる。星々が淡い光を灯す夜空、その遠い遠い向こうのガラルに居る彼の姿を思い浮かべる。
「カブさんの言っていた通り、こっちは文化も街並みも全然違うな。人も気さくだし、食事も繊細な味で美味しい。景色も美しくて、……本当に心から楽しかったが、キバナと来られたらもっともっと楽しかっただろうなと、キバナとこの地を一緒に見たかったなと思った」
 こんなにキバナと物理的に遠い場所に来ることはなかなかない。こっちが夜なら向こうは朝なのだろうか。なんだか不思議な感じだ。本当は今も隣に居るはずだった彼のことを、こうしてプライベートな時間になるとつい考えてしまった。己の護るべき街、愛する街のことを迷わず選んだ彼のことを心から信頼し、敬愛していることは本当だ。だが、それとこの心にあるほんのわずか、寂しさに似た感情は不思議なことに両立する。

 この出張は始めからかなりタイトなスケジュールを組んではいたが、宿や食事、僅かな空き時間にどこに行くかなどは二人で決めた。それはリーグ委員長兼バトルタワーオーナーとガラルトップジムリーダーとしてではなく、ただのダンデとキバナ――世にありふれた、ただの恋人関係の二人としてだ。
 仕事のパートナーとして信頼してキバナをこの旅に推薦したのは間違いなく本心からで、そこに下心などなかった。それは誓って言える。ただ、その合間にわずかにだけ与えられたプライベートの時間は仕事を取り払ってただのダンデとキバナとして楽しむことくらいは、許されたっていいだろう?
 お互いに忙しい身だ、なかなかじっくり旅行にも行く暇も無いからとこの機を楽しもうとしていたのだけれど、生憎叶わなくなってしまった。それを残念に思う。
(――こうしてバトル以外の色んなことも積極的に楽しむということ、オレに教えてくれたのだってキバナなんだぜ)
 そして、キバナとだから、この旅もきっと何倍も楽しくなったろうと思うのだ。

「……これこそいつになるかは分からないが、プライベートでもいつか来よう。旅行デート、だな。キバナと色んな場所に行って一緒に沢山のことを楽しむのは、きっと今日以上に何倍も楽しいだろうと確信したんだぜ」
 そう言うと、電話の向こうに一瞬の間が生まれる。案外照れ屋のキバナは今頃顔を赤くしているだろうか。しまったな、テレビ電話にすればよかった。きっと可愛い顔をしているだろうに、勿体ないことをした、とダンデは少しだけ後悔をする。
 そしてキバナが口を開く。
『……いいな。絶対行こう。なんならハネムーンっていうのもアリじゃないかと思うんだけど、ダンデはどう思う?』
 キバナ、一段飛ばし……いや、何段も飛ばしちゃいないか? そう思ったけれど、なんだかすごく幸せで、おかしくて、ダンデは笑ってしまった。なあ、結婚を考えているなんて初耳だったんだが。
「ああ、名案だな!」
 そう言うと、電話の向こうでキバナが笑った気配がした。
「――帰ったら、ちゃんと顔を見てプロポーズしてくれよ?」
 そうだ、こっちでサプライズで指輪を買って帰るのもいいかもしれない。そんな時間あったかな、と明日のスケジュールを頭の中で確認する。キバナが驚いた後少し悔しがる顔を想像すると、楽しくて仕方がない。
『望むところだ、ダンデ!』
 キバナが笑いながらそう返すものだから、なんだかバトルみたいだなと思って、でもそれもまたオレたちらしいなと思い至ってダンデはまた笑った。



(2020年9月5日初出)



kbdnワンドロ08 お題『お出かけ・旅行・デート』



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