遠き白銀の路をきみとゆく
ダンデが強い志を持って急遽開催したガラルスタートーナメントも、無事に第一回が終了してしばらく。涼しくて過ごしやすいくらいだった季節は通り過ぎ、ガラルもすっかり冬景色になった。次の年の足音も迫ってきて、ナックルジムも例に漏れずあれやこれやと事務関係を中心とした年末仕事に追われてバタバタとした日々を送っていた。
年末で仕事に追われるのはバトルタワーも同じのようで、それなりに遅い時間に仕事関係のメールを送ったところすぐに返ってきたものだから私用のスマホロトムから電話をして「オマエいつまで働いてんだ」「キミこそな!」なんて何の意味も生まれそうにないやりとりをし合う。
そんな日々をどうにか乗り越え、年の瀬が目前に迫ってようやく仕事のゴールが見えてきたという頃。昨日よりも少し早く帰宅し、夕飯も風呂も終えポケモンたちとのんびりと過ごしていたキバナのもとにダンデから電話がかかってきた。「おつかれ」と労りの挨拶を交わし合った後、念の為「今、タワーからかけてるんじゃないよな」と確認したところダンデは「流石にもう帰宅して今は自宅でゆっくりしているところだぜ」と苦笑する。
そんなことより、とダンデは口を開く。
「キバナ、ナックルジムも冬期休暇は取得するよな?」
突然の質問にキバナは目をぱちくりと瞬かせた。
「冬期休暇? ああ、日程は例年通りだけど」
ナックルジムも通常の企業と同様、冬期休暇を貰うことにしている。ジムチャレンジもオフシーズンだし、年末年始はジムを閉めてキバナもジムトレーナーやスタッフ皆もそれぞれに帰省するなり自宅でのんびりと過ごすなり、とそれぞれの休暇を過ごす予定だ。
「その時期って何か予定あるか?」
「いや? 特には」
キバナがとんとんと質問に答えていけば、じゃあ、とダンデが少し弾んだ声になって言う。
「キバナ、キミと行きたいところがあるんだ」
びゅおお、と一段と強い風が吹いて雪の粒がキバナの頬を掠める。冷たい風が容赦なく体にぶつかってきて、防寒具の隙間やどうしても曝け出さざるを得ない顔や耳などをきんと冷やしてくるものだから、キバナは思わずぶるりと大きく体を震わせてしまった。
「さっ、む?」
「ああ、寒いな!」
キバナが大きな声で文句も込めてそうぶつけるも、ダンデはまるで気にした風もなくそれ以上に大きく快活な声で返してくるものだから余計にキバナはフラストレーションが溜まってしまった。
「ああ、寒いな! ……じゃねーよ真冬にカンムリ雪原かよやっぱもっとあったろ、せめて来るにしても夏とか! オレさまが寒がりなの知ってるだろ?」
きゃんきゃんと生まれたてのワンパチのように吠えてしまうのも仕方の無いことだ、という免罪符を自分で自分に与えることにする。
だって――この真冬に、ガラルで最も極寒を極めるとも言われるここ、カンムリ雪原の奥地をわざわざ探検しに行くなんて正直言って正気の沙汰ではない。
しかもダンデは、キバナがかなりの寒がりであることを昔からよく知っているはずだ。何の仕打ちだこの野郎、なんて言ってやりたくもなる。剥き出しの耳が冷たい。カンムリ雪原駅に到着した時点でピアスを外しておいてよかった、ピアスなんてしていたらそこから凍る、なんてキバナは思う。
「ガラルスタートーナメントを急遽開催した関係で他の仕事が詰まってしまってな。しかも年末もというのも重なって仕事が怒濤のようで、どうにもゆっくり休みが取れそうなのがバトルタワーの冬期休業期間しかなさそうだったんだ!」
そう、なんなら笑いながら言うダンデにキバナは唇を噛む。いや、分かる。バトルタワーオーナーとガラルリーグ委員長を兼任するようになってまだようやく一年経つくらいのダンデが日々目が回るほどに忙しいことも、その上ダンデがあれやこれやと思いついたことはやらずにはいられない性格であることも分かる。分かっているつもりだけども。しかし分かることと、このふつふつと行き場のない感情がおさまるかどうかということはまた話の違うことだ。
「おっま……このワーカーホリックめ!」
キバナがそう言うと、ダンデはわざとらしく肩をすくめてみせる。
「キミだって人のことは言えないだろう!」
ダンデの言葉に、先日の電話のことを思い返してキバナは咄嗟に切り返すことが出来なかった。自分自身もここしばらくは毎日大分遅くまで仕事をしてしまっていた自覚はある。しかしダンデには及ばないだろうとも思う。こっちはちゃんと休みは規定通り消化してるからな。ナックルジムも忙しいは忙しいがホワイトだ、と言ってやりたい。
ざくざくと雪山用のブーツが真っ白な雪を踏みしめて、二人分音をたてた。ダンデの足跡を追うようにキバナの足跡が白い雪の中に刻まれていく。宿として借りたロッジを出てしばらく歩いて辿り着いた、今日の雪中渓谷の天気はよりによってあられだ。フリーズ村の周辺は幸い晴れていたためまだ頑張れば耐えられる寒さだったが、奥地に進むにつれ段々と天候が怪しくなり、しかしずんずんと進んでいくダンデについて雪中渓谷まで進んだところこの有様だ。この地であられはさすがに相当厳しい。びゅう、とまた強い風が吹いて、少し前を歩くダンデの長い紫の髪をばさばさと靡かせる。正面からぶつかってくる風とあられにキバナが目を細めたところで、ダンデは言葉を続ける。
「カンムリ雪原のことは書物でも知識としては知っていたし、少し前に調査に来ていたというソニアやユウリたちからも話には聞いていたんだ。ガラル地方の中でもこちらにしかいないポケモンたちや、この地に残る数々の伝説のこと、そしてマックスダイ巣穴などの面白い場所のこと」
ダンデはキバナの方を見て、にっといたずらをする子どものように口角を上げる。
「だから、来てみたいと思ったら気持ちが抑えられなかった。悪いな!」
「……全然悪びれてない奴の言い方だな!」
キバナが返せば、ダンデはおかしそうに、そして誤魔化すようにはははと笑った。
そんなやりとりをする二人の横、十数メートル遠くを白い何かが駆けていくのを視界の端で捉える。見つけてすぐ、そちらの方を見るのは二人同時だった。
「アブソル!」
「だな、生では初めて見たぜ!」
先程まであーだこーだ言い合っていたことも忘れて、二人で目を輝かせてしまう。そんな自分に気付いてはっとして、キバナは結局こうなんだよなと自分で自分に苦笑した。
カンムリ雪原駅に着いてからここまで、何だかんだと言いつつもこちらにしかいないポケモンを見つけては一緒に驚き、心を弾ませた。ルージュラ、アマルス、ブーバー、デリバード、ニドラン、などなど。書物や他地方の映像でしか見たことのなかったポケモンたちが目の前にいて、自然の中で当たり前のように生活している。それはキバナにとってとても嬉しくわくわくして仕方の無いことだった。
特にドラゴンタイプの使い手としては、ドラゴンタイプのポケモンであるチルットやチルタリスを見つけた時は子どものようにはしゃいでしまい、思わず彼ら、もしくは彼女らの邪魔にならないようにそっと自分のスマホロトムに頼んで何枚も写真を撮って貰った。そんなキバナの様子が面白かったのか、ダンデににやにやと笑われてしまったのは少しばかり恥ずかしかったけれど。
(いやまあオレも少なからず楽しんでるところはあるけど、けども)
結局のところキバナもダンデに負けず劣らずポケモンのことが本当に大好きだし、初めての場所を自分の足で歩き回って冒険めいたことをするのも大好きなのだ。こうして自分のまだ知らない場所を、出会ったことのないポケモンたちに出会いながら旅するのはジムチャレンジ時代を思い出して懐かしくて、わくわくする気持ちも正直なところとても大きい。
(けど、――流石に寒すぎるだろうが!)
キバナはそう心の中で吠えた。結局、最後はその結論に辿り着くのだ。
しかしそんなことを考えているうちに、歩く速度がうっかり遅くなってしまっていたようだ。前を歩くダンデの背中がだいぶ遠くなってしまっていて、白い雪の粒に霞みかけている。キバナははっとして、慌てて慣れない雪の中、足を取られないように気を付けながら早足でダンデの背中を見失わないように追いかける。そうやって一人で好きなように突き進んでいくから迷子になるんだよこの野郎、なんて文句を心の中で垂れながら。普段ならいざ知らず、このあられの降る雪山で迷子捜しは流石に御免被る。
「キバナ、洞窟が見えてきたぜ!」
ずっと先の方、傾斜があるので少し上の方からそんな楽しそうなダンデの声が降ってくる。
「オマエ、絶対まだ進むなよ! 洞窟の中なんて迷いやすいことこの上ないからな?」
キバナはダンデがいる方を見上げてそう大きな声で返した後、雪山を登る足をさらに速めたのだった。
キバナとダンデが付き合い始めてから――どこか遊びに付き合うとかの付き合い、ではない。紛う事なき、恋愛としてのお付き合いだ――早いもので数ヶ月が経つ。告白はキバナからで、それに数週間の返答待ちを経てのダンデのOKという形で晴れて二人は恋人同士という新たな関係性を手に入れた。
これまで人とそういったお付き合いをしたことがないといい、興味の対象も長らくポケモンとポケモンバトル、あとは数少ない趣味であるキャップ集めと筋トレくらいしかなかったというダンデなので、デートの場所の選定やエスコートはこれまで専らキバナの担当となっていた。オシャレなカフェでのランチや夜景の見えるちょっといいレストランでのディナー、キバナの行きつけのメンズファッションのセレクトショップでのショッピング、今話題の映画の鑑賞。ダンデは楽しめるのだろうかと少しだけ心配はあったものの、キバナの行きたい場所に行ってみたいと言い、そして意外と言ったらいいのかそのどれもをとても楽しんでくれているようだったのでキバナは密かにほっとしたものだった。
これまでデートの行き先を決めるのはほとんどキバナだったから、今回ダンデから行きたい場所があると聞いた時はとても驚き、嬉しかったのだ。ダンデがそうやってキバナとのデートに積極的になってくれたこと、自分から行きたい場所をピックアップしてくれたことが、何か次のステップに進めたようでキバナはとても嬉しかった。
――まあ、蓋を開けてみればこんな色気も何もない場所だったけれど。
(ダンデって、ほんとダンデだよな、知ってたけどな!)
山を登り、洞窟を抜け、ぱっと広がった景色は再び雪景色だ。白くて細い木々が点々と生えて、その間を縫うようにモスノウが何匹も優雅に飛んでいた。そして雪の上にはユキハミも何匹も居る。白い世界の中、どこか神秘的にも思えるその景色をキバナとダンデは見つめた。
「すごいな、こんなに集団でいるのは初めて見るぜ」
ダンデは驚いたように言う。キバナもその光景に目をぱちくりと瞬かせながら、「だな」と同意した。
モスノウやユキハミはガラルでそれほど珍しいポケモンではない。キバナにとってはモスノウといえば同じジムリーダーであるメロンのパートナーであるというイメージも強く、見慣れたポケモンのひとつだ。しかし野生でここまで集団で生息しているのはキバナも初めて見る。
「カンムリ雪原は四季を通して寒冷だというし、こおりタイプのモスノウやユキハミたちにとってここはとても過ごしやすい場所なのかもしれないな」
そう顎に手を当てて考えるような仕草をしながらダンデは頷く。
ダンデといえばポケモンバトル、はガラル中の人間がイメージするところだと思うが、この男はバトルだけでなくとにかくポケモンという生きものが大好きで仕方がないのだ。ポケモンに関する書物もジャンルを問わず読むし、こうしてポケモンの生態を見るのも好きなようだ。研究者の道を選んだホップと、そういうところは似ているのかもしれないななんてことをキバナは思った。
ダンデがきらきらとした目でモスノウたちを見つめる。その楽しそうな横顔に、先程まで怒っていたはずなのにキバナはつい頬が緩みそうになった。そんな自分にほとほと呆れてもしまうけれど。惚れたが負け、だなんて言葉が不意に頭の中に過ぎる。
モスノウやユキハミたちのことを邪魔しないように気を配りながら、二人で再び雪の上を踏みしめて歩く。真っ白な雪の上、自分たち以外に人の気配のしない静かな世界の中、ざくざくと二人分の足音と呼吸の音だけが響いた。
そのままどのくらい進んだだろうか。不意にダンデがはっとしたように顔を上げて、急に駆け出したものだからキバナは驚いて慌ててそれを追いかける。
「おいダンデ、どうし――」
キバナの言葉に被せるみたいに、ぱっと晴れやかな表情でダンデはキバナを振り返った。そして笑って、大きな声でキバナを呼ぶ。
「キバナ、こっちに来てくれ!」
いや何があったんだよ人の質問に答えろよ、と言いたい気持ちを一旦ぐっと押し込めて、雪道をできる限りの全力で駆け上がる。そしてキバナがダンデの隣まで追いつくと、ダンデは楽しげに口角を上げて「こっちだ」とその目線の先を示した。何だと思って、キバナはダンデが示す方へと顔を向ける。
壁のようになっていた切り立った岩が途切れ、その数メートルだけはぱっと視界が開けていた。そこからの景色に、キバナは思わず息を呑んでしまった。
いつの間にこんな高いところまで来ていたんだろうかと思うほどの高さから、カンムリ雪原を遠くまで見渡せる。
目を向けて最初に、眼前に広がる真っ白な雪景色と暮れかけた空の美しい橙色のコントラストに目を奪われた。雪を被って静かに凜と立ち並ぶ針葉樹が夕暮れの橙を浴びて薄く色づく。青と赤の独特な色をした大きな大きなダイ木が遠くに佇み、雪の間から所々にかつての生活を思わせる畑や墓地の跡、そして古びた遺跡たちが顔を覗かせていた。雪の中を涼やかに駆けるアブソル、少し疲れたのか木陰で一休みをするニドラン、ふわふわと浮きながらどこかへ移動するダンバルやメタング。墓地の周りにはドラパルトがまるで墓を守るみたいに佇んでいて、空ではモスノウやプテラ、チルタリスたちが優雅に飛んでいた。
白くて静かで、どこか神聖さも孕んでいるように思うほど美しい世界。その世界の中で、ポケモンも人も、確かにここで生きている。生きてきた。カンムリ雪原の歴史にそれほど明るくないキバナでも、目で、耳で、肌で、言葉よりも理論よりも鮮明にそれを感じ取ったような、この風景にそれを手渡されたようなそんな心地さえした。
キバナの吐いた白い息が、ゆっくりと滲んで透明になって消えていく。ダンデの吐いた息も白く空気を染めてはじわりと溶けて消えた。
寒さを忘れるほどだった。ひゅう、と小さく冷たい風が吹いてキバナの頬を掠めたが、それすらも今は気にならない。圧巻、という言葉でしか形容できないような景色に、二人で言葉をなくして見入ってしまった。
「……すげーな」
「ああ、綺麗だな」
キバナがようやくぽつりと零した言葉に、ダンデが凜と静かな声音で返す。少ない言葉だけれど、それだけで何かは通じ合ったようなそんな気がした。二人分の息が白く空を染めて、そしてそれが消える頃、再びダンデが口を開く。
「……カンムリ雪原は本当に寒さは厳しいし、山頂に上がろうとすれば山道も険しい。けれど山の上の方からの景色は本当に綺麗だったって、この間バトルタワーに挑戦しに来てくれたユウリに聞いたんだぜ。実際に見てみると想像以上だったな」
ダンデはそう言ってキバナの方に顔を向けて、得意げに口角を上げて笑う。そうして、ふっと柔らかく微笑んで再び目の前の美しい景色の方に再び顔を向けた。
「……来るだけならひとりでだって良いかもしれなかったが、でも、オレはキミと来たかったんだ」
ダンデの言葉に、キバナは驚いてダンデを見る。ダンデは目線だけ動かしてキバナを見つめた。美しいアンバーの瞳がキバナをとらえて、夕暮れの光を取り込んできらりと輝く。
「オレたちが付き合い始める時、キバナは『オマエの人生をオレにくれ』と言ったな」
急にダンデがそんな話をし出すものだから、キバナは目を瞬かせた。ダンデから、しかも今、そんな話を持ち出されるなんて思いもかけなかったので、動揺して頬にかっと熱が集まるのを自覚する。自分なりに覚悟を決めて、本気も本気で挑んだ告白の言葉をこうしてダンデの方から反芻されるのはどうにも居たたまれなくてキバナは思わず視線を泳がせた。
「……繰り返すなよ、恥ずい」
羞恥心に耐えながらキバナがようやくそれだけ言うと、ダンデは対照的にふふ、と楽しげに笑ってみせる。
「いや? 今更返してくれと言われても返さないぜ」
嬉しかったんだ。そう言って、ダンデは目を細める。
風が二人の間を吹き抜けて、ダンデの長い髪を揺らす。髪の毛と同じ紫色の長い睫毛が伏せられて、そしてもう一度開いてダンデは空を見つめた。遠くでなにやらポケモンが鳴く声が聞こえる。もうすぐ日が落ちる。今の鳴き声は、巣に戻る合図なのかもしれなかった。
「考えていたんだ。人生を預けるとは、人生を共にするとはどういうことなのかって」
ぽつり。静かに、しかしはっきりとした意思を持って音になったダンデの言葉が、キバナの鼓膜を揺らす。
――ダンデが、キバナのあの言葉をこれだけ本気で考えていた。そのことに、言葉にできないほどの感情がキバナの中で生まれる。
「キバナと一緒に過ごすのは楽しい。ひとりでは気にもしなかった食事も、ファッションやショッピングや映画も、これまで興味も持てなかったことがひとつひとつ楽しいことになっていった」
言いながらダンデがゆっくりと瞬きをするのが、まるでスローモーションのようにさえ感じた。楽しんでくれてはいるのだろうとその時の反応や表情からはしっかり受け取っていたつもりだったけれど、そんな風に感じてくれていたのか、ということを言葉にされてじわじわと改めて実感がこみ上げてくる。
「それに、この間のガラルスタートーナメントも楽しかったな! 本当に楽しかった。キミと相対して戦えないのは気持ちがうずうずしてたまらなかったが、だけどキミと隣同士で共に戦うのもあんなに楽しいなんて知らなかった」
ポケモンバトルのことになると、ダンデは勢い込んだ様子で話す。いつもコートの上で最初に目線を合わせた瞬間のように、ぱっと星がきらめくみたいにダンデの目が楽しそうに輝いた。
「まだまだ知らないこと、楽しいことはこんなに沢山あったんだって知った。――キバナ、キミが教えてくれたことだぜ」
ダンデが体ごと向き直って、正面からキバナと相対する。そうしてダンデは改まったような仕草で、再び口を開いた。
「オレもこれからキミと同じものを見て、分かち合って、一緒に楽しみたいと思った。だからカンムリ雪原に行ってみたいと思った時、キミと一緒に来たいと思ったんだ」
ダンデの唇がそう言った後、きれいな弧を描く。この凍えるほど寒い空の下だというのに、ダンデの頬はほんのりと色づいて見えた。
「そしてやっぱり、楽しかった」
――ガラルの無敗神話。絶対的なチャンピオン。そう呼ばれて久しい。チャンピオンを降りた今なお、ダンデはガラル中の人々に愛され、憧れのまなざしを向ける人々はやまない。ダンデ自身もそうした存在である自負はあるようだし、キバナもダンデは絶対にオレさまが倒してやるという気持ちとはまた別のところでこの男にある種の敬愛、憧憬のような感情を抱いてきた。どこか神聖な、とてもうつくしい生きもののような、そんな風にどこかで思ってきた。
そんな伝説のような、英雄のような男が、こうしてひどく人間くさい表情でキバナに笑いかける。
スタジアムで初めて相対した時、あまりに美しくて混じりけの無い、まるで宝石のようだと見惚れた瞳は、間違えようのない熱をもってキバナを見つめる。
――十年。十年間、ダンデに挑み続けてきた。ガラルトップジムリーダー、ガラルNo.2トレーナー、ジムチャレンジ最後の門番の称号を関してからはその座を一度たりと譲らず、今日までその苛烈な世界に身を置いてきたキバナは一番近い景色を見てきた自負がある。
だけど、本当の意味での同じ景色を見ることはできなかった。チャンピオンというのは、ひとりしか立てない場所であるから。唯一無二の、頂点に辿り着いた者しかその玉座に座ることは許されないから。ダンデのチャンピオンとしての景色はキバナには本当の意味では理解できていなかったと思うし、同時にずっと挑み続けてきたキバナからの目線だってダンデには全てを知ることなどできなかっただろう。
違う人間なのだから、全てをわかり合うことなどできなくて当たり前だ。そういうものだと思っていた。同じコートの上で、同じ熱をぶつけ合えればそれで十分だと思っていた。
(だけど)
それだけでは足りなくなってしまった。
この男の人生に手を伸ばしてしまいたいと。例え違う人間でも、すべてをわかり合うことなどできなくても、この男がひとりきりで在らないように、同じ景色を見て、生を共にしたいと。
そう、あのブラックナイトの直後、ただっ広くておそろしいほどに静かな病室の中でキバナは思ってしまったのだ。
「……オマエ、そんな顔できたんだな」
そう言った声は笑えるくらいに弱々しくて、自分でもひどいなという自覚はある。しかし取り繕う心の余裕など今は持ち合わせてはいなかった。こじらせた恋情も、憧憬も、親愛も、全部全部混じり合ってぐちゃぐちゃな気分だ。キバナさまをこんな風にするのはオマエだけだぞこの野郎、なんて思う。
(次のステップどころじゃない、何段飛ばしなんだってくらいに駆け上がってきやがった)
ほんと、ダンデはどこまでもダンデだな、なんて妙に悔しい気持ちになる。そんなキバナを見て、ダンデは笑いが堪えきれないようだった。くすくすと肩を震わせながら、キバナに言う。
「自分の表情は自分では分からないが……キバナ、キミもなかなかな顔をしているぜ」
「うるせ」
おかしそうに笑うダンデにムカつきと愛しさが入り交じって、ヤケクソのようにその唇を唇で塞いでやる。いつもは暖かい唇が今日はぐっと冷たい。触れるだけで唇を離して、至近距離で向かい合う。「流石にずっと外にいたから冷たいな」なんてダンデは言って、またおかしそうに小さく笑っていた。