for ever and over
※キバダンが結婚していて子ども(血縁関係はなし)がいます
※自分設定キバダンの娘ちゃんが出てきます
※キバダン本人たちは直接は出てきません
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不意に目をやった窓の外は青空と夕暮れが混ざり始めていた。ナックルシティの旧い石造りの街並みが傾きかけた太陽の光に照らされている。店内も昼下がりのピークの時間を終えて人はまばらだ。カウンターの隅に座っているマホイップも差し込んでくる西日があたたかくて心地よいのか、うとうとと眠そうにしていた。店内に流れる穏やかなジャズの音色を聴きながらカウンターの奥の茶葉の残りを確認していると、ちりん、と入口の扉につけているベルが控えめに鳴る。
「いらっしゃいませ」
振り返りながら慣れた言葉を口にする。そしてその小さなお客様たちの姿を認めて、あ、と思わず声に出してしまいそうになった。それを喉の奥に押し込んだ代わりに、にこりと彼女に笑いかけてみせる。すると、少し緊張した様子だった彼女の表情はわずかに柔らかくなった。足下をぴょこぴょことついて歩くナックラーが店内に入るのを見届けてから、彼女は店の扉を丁寧に閉める。
柔らかそうなくすんだ赤色の髪を下の方で二つに結んだ彼女は、ナックルでも随一のエレメンタリースクールの制服を着ていた。もうそんなに大きくなったんだなぁ、なんてことを思って、随分とおじさんくさいことを思うようになったもんだと内心で苦笑する。まあ、もう立派なおじさんなんだけどね。
彼女がうちの店に一人で来るのは初めてのことだった。片手には他のお店で買い物をしてきたらしい紙袋を、もう片手にはメモを持っていて、どうやらおつかいの最中らしいということが覗えた。
「あの」
レジカウンターの前まで歩いてきて控えめにそう言う彼女に、できるだけ体を屈ませてから返す。
「ええ、ご注文は何だい?」
「ええと、アッサムとダージリンの茶葉を一缶ずつ、あとポケモン用のモモンクッキーを一袋と――」
初々しい様子で伝えられる注文の通りに商品をレジカウンターに揃えていく。そうして全部揃った後にもうひとつ、レジ横にディスプレイしていたクッキーの缶を手に取った。小さなその缶には、ナックラーやヌメラたち――この街の誇りであり象徴であるとも言えるドラゴンタイプのポケモンたちが美味しそうにクッキーを食べる可愛らしいイラストが描かれていた。人もポケモンも食べられる、新商品の甘さ控えめのクッキーだ。こちらがその缶を手に取ったのを見て、少女は戸惑ったような表情になる。それはそうだろう、これは彼女は注文していないのだから。そんな様子を見て、すかさず言ってみせる。
「これはオレの気持ちだ。新商品なんだ、よかったら」
そう言ってにっこりと笑うと、少女はぱちくりと目を瞬かせた。そうして少し考えるようにその透き通った空色の瞳を揺らす。
「……ありがとう、ございます」
思ったよりも控えめなその反応に、少しだけ不安になる。押しつけがましかっただろうか、と思ったところで、少女ははっとしたような表情になる。まっすぐにこちらの目を見て、ふるふるとかぶりを振った。
「あ、いや、うれしいんです。でも、買い物に行く先でたくさんおまけをもらうものだから、びっくりしてしまって……」
そう言う彼女を見て、思わず笑ってしまった。そういうことかと納得する。彼女が持っている、ここからすぐ近くの青果店のロゴが入っている袋もいっぱいに中身が詰まっている様子で、きっとそこでもおまけを沢山貰ったのだろうということが覗えた。
「っはは、そうかそうか」
まあ、そうだよなあ。みんな考えることは同じだよな。そう思って一人頷いていると、彼女はその反応の理由が分からないようでまた不思議そうな表情になる。
ふんわりと誤魔化してもよかったけれど、しかしなんだかそれを選ぼうとは思えなかった。
だって、あの人たちの大切な子どもだ。
子ども扱いをするよりも、誠実に人と人として接したいと思ったのだ。もう何となくでも理解のできる年齢だと思うし、きっとこの子は賢い子だから。それに、一人でおつかいに出しているということは彼らも彼女を信頼しているということなんだろう。
少女の目をまっすぐに見る。今は店内にはほとんど人はいないし、いたとしても変に騒ぎ立てるような無粋な客はこの街にはいないだろうけれど、と思いながらも少しだけ声をひそめて口にする。
「キミは、キバナさんとダンデさんのとこの子だろ?」
少女は少しだけ驚いたような表情をした後、こくりと頷く。
この街でこの家族を知らない人はいないだろう。子どもたちはメディアに顔出しこそしていないけれど、ここは彼らも住む街だ。日々生活をしている中で、街の中で彼ら家族の仲睦まじい姿を見かけたことも何度かあるし、この子がもう少し小さい頃に一度、家族でうちの店に来てくれたことも覚えている。
――一人の時はいいけど、家族でいる時は完全にプライベートだから、もしオレさまたちを見つけてもそっと見守って貰えると嬉しい。家族が増えたことを公式に発表をしたのと同時に、キバナさんがパートナーであるダンデさんと連名でSNSに投稿した。彼らは独身の頃からとてもプライベートにおいてもファンサービスが手厚いと評判の二人だったので、その言葉に彼らの家族への誠意と愛情を強く感じたことを思い出す。それ以降、彼ら家族のプライベートは邪魔しないというルールをほとんどのガラル市民たちは守るようになっていた。
キバナさんとダンデさんが結婚をして、早いものでもう十年以上が経つ。伝説的な元・無敗のガラルのチャンプであり、その後はリーグ委員長兼バトルタワーオーナーとしてガラルのポケモンバトルの活性化に尽力を続けていたダンデさん。そして彼が最高のライバルと呼んだ、我らがナックルシティのジムリーダー・キバナさん。ダンデさんは既にチャンピオンの座を退いて数年経っていたものの、彼らがチャンピオンとチャレンジャーとして毎年トーナメントで繰り広げる熱戦がまだまだ鮮明な記憶として残っていた頃だ。週刊誌に一度もすっぱ抜かれることすらなく突然発表された結婚に、第一報を聞いた時は本当に驚いた。あの時はガラル中が文字通りの大騒ぎになったことが懐かしい。
本当に驚いたけれど、でも、不思議なほどに嬉しかったのだ。二人とも、我々が敬愛する、ガラルのヒーローだったから。そして何より、発表と共にキバナさんのSNSに載せられた写真に映った二人の表情がとても幸せそうだったから。
結婚直後は色々と言うメディアも無いではなかった。ライバルとの結婚で腑抜けるんじゃないかなんてことをネットに書き込む輩もいたらしいと聞く。しかし、彼ら自身が仕事の成果とより磨かれていくトレーナーとしての実力をもってそれらを跳ね返した。愛するものをもって彼らはより強くなったようにすら見えた。そうして数年も経てば、そんなことを表立って言う人はほとんど見なくなった。
宝物庫にほど近い場所にあるこの喫茶店を、独身時代からキバナさんは贔屓にしてくれていた。今も仕事の息抜きにと言ってたまに足を運んでくれる。最初はいちお客様と店主の関係性でしかなかったが、何年も通ってくれているうちにちょっとした雑談を交わすくらいの関係性を築くようになっていた。
普段話をする時は穏やかで気さくな青年といった印象で、ガラル最強のジムリーダーとしての奢りなどひとかけらも感じさせない人だ。だから彼の試合を中継で見る時、その熱く、獰猛さすら湛えて試合に挑む様に、本当に同じ人なのかと改めて驚かされたりもする。
孤児院にいたこの子を養子として家族に迎えたのだと発表する少し前の穏やかな春の日のことだ。
いつものようにうちの店に訪れて持ち帰り用のダージリンティを注文した彼は、ほんの一瞬何だか考え込むような表情をしていたことを覚えている。こちらが声をかけるとその表情はすぐにいつもの穏やかな笑みに変わったし、悩み事を聞けるほどの間柄ではないから、その時には特に深入りをすることはなかった。何か仕事での考え事だろうかと思っていたけれど、その発表を聞いて腑に落ちたのだった。
彼、そして彼らはとても、人に対して、生命というものに対して、誠実な人たちだから。
「オレたちは、キミのお父さんたちが大好きなんだ」
店の入口のすぐ横には新商品のポスターと共に、今度始まるというバトルタワーの新しいイベントのポスターも貼ってある。この店に、昔から貼っていたナックルジムに関するものだけでなく、バトルタワーやガラルリーグのポスターも貼るようになったのは彼らが結婚してからだ。
敬愛するこの街のシンボル。彼の戦う姿にナックル市民として沢山の勇気を貰った。それはガラルを背負って走り続ける彼のパートナーについても同じことだ。だから彼と、彼らの愛するものも、できうる限り応援したいと思ったんだ。
それがガラルに、ナックルに生きる者として少しでも返せることかな、だなんて思ったから。
「――ガラルの英雄で、憧れなんだよ」
そう、入口横のポスターを眺めながら言う。少女はじっとオレの言葉を聞いていた。
再び彼女に視線を戻して、まっすぐに手渡すように言葉を続ける。
「だから、キミのお父さんたちにとって宝物であるキミはオレたちにとっても宝物なんだ。……ちょっとクサいかな?」
最後の言葉はちょっと苦笑しながらになってしまった。まっすぐに思うままに伝えたことに、少しばかり照れくさい気持ちにもなる。けれど、全部本音だ。
くすんだ赤の前髪にかかった、きれいな青い瞳がゆっくりと瞬く。その瞳の色は少し彼女の父親を思わせるけれど、彼よりももっと透明度の高い水色。ちょうど今日の快晴だった空のような色だ。そうしてその目がふわりと細められて、嬉しそうに照れくさそうに彼女がはにかむ。
「……、ありがとうございます」
彼らと彼女は、髪の色も目の色も違う。肌も彼らより少し白いようだった。
だけど、彼女たちは間違いなく家族だ。
家族を褒められて嬉しそうに笑う少女に、ふっとこちらも目尻が下がる。彼女の足下からずっと見守っていたナックラーも何だか嬉しそうな様子だった。
「だから、お礼だと思って。――キミの家族によろしくな」
店の玄関口まで見送ってから、彼女たちが帰っていくのをなんとなくその小さな背中が見えなくなるまでそのまま見守っていた。空の青は段々とオレンジに染め変わり、夕日がきらきらと輝いてたっぷり膨らんだ紙袋を抱えた少女とナックラーを照らす。夕日に照らされてより赤々として見える二つに括った少し癖のついた髪は、歩調に合わせて小さく揺れていた。
(――あ)
ぱっと、懐かしい光景がその背中に重なる。
そうだ、もうずっとずっと前。その頃はまだ無名で名前も知らなかった彼を同じように見送ったことがある。彼のパートナーポケモンの一匹であるフライゴンがまだナックラーだった頃。
ジムチャレンジのユニフォームを着た、鮮やかなオレンジのヘアバンドが印象的だった彼が、ナックラーと並んで歩いて、この街を冒険していたその背中を。
店内に戻って少しした頃、窓の外、橙に染まった空の上を美しく飛ぶ緑の影を見つける。この街に暮らしていて見紛うはずもない、フライゴンだ。ああもうそんな時間か、と思う。
現在のガラルでは、ポケモンに乗って空を飛ぶには資格が必要だ。アーマーガアタクシーが発達していることもあって、ポケモンに乗って自由に空を飛ぶのはよっぽど手練れのトレーナーくらいのものだが、あの人もそのうちの一人である。週に二度、夕方になると見かける光景。ワイルドエリアの定期の見回りから戻ったのだろう。窓を少し開ければ、美しい羽根の音がこちらにも僅かに届く。
きっともう少ししたらこの店に訪れるだろう。ナックルジムに戻る前に、仕事のお供にするダージリンティを注文しながら、娘が世話になったとさりげなくお礼を言いに、子煩悩な父親の顔で。
確証はないけれど、彼ならそうするような気がしたのだ。
彼の好きなダージリンの茶葉の残りを確認する。少し減ってきているから、そろそろ倉庫から補充した方がいいかもしれないな、なんて考える。そうして振り返ると先程まで眠そうにしていたマホイップがこちらを見て楽しそうな表情をしているものだから、「そんなに顔に出てたかな?」なんて言ってみせれば、マホイップはやはり楽しそうにきゃらきゃらと笑ったのだった。