らしくない朝



 部屋の明るさにゆるやかに浮上した意識と共に瞼を上げると、見慣れた男のまだ見慣れない寝顔が視界にどアップで映し出されて一瞬心臓がドキリと跳ねた。寝ぼけ眼をぱちくりと瞬かせながら昨夜の一連の出来事をひとつひとつ反芻して、迅はゆっくりと息を吐く。思い出せば、先程の寝ぼけての動揺とは別の意味で心臓がまたじわりと速くなる。玉狛の自室ではないこの部屋は太刀川が一人暮らしをしているアパートだ。カーテンはしているものの部屋の中は陽が差し込んで明るく、もうすっかり朝がきていることは時計を見ずとも分かる。朝というよりももしかしたらもう昼の方が近いのかもしれなかった。
 シンプルなシングルベッドは大の男二人で眠るにはあまりにも狭くて、その結果がこの至近距離だ。すぐ目の前の男の顔を迅は改めて眺める。もう立派に成人して顎には髭も蓄えているというのに、眠っている姿は不思議とどこかあどけなく見えた。考えてみれば、寝顔なんてこれまで見たことなかったな、なんてことに思い至る。すやすやと穏やかな寝息を立てるその寝顔を見ながら、迅は妙に感慨深いような、どうしようもなくくすぐったいような気持ちになる。
(……セックス、したんだなぁ、太刀川さんと)
 そう心の中で呟くと、ようやく実感がじわじわと追いついてきて頬が熱くなった。目の前で眠る太刀川の無防備に曝け出された上半身を見つめて、ひとつ瞬きをする。――昨夜の太刀川の珍しく恥ずかしがるような表情、少し上擦った声色、汗ばんだ肌のしっとりとした感触、内側の狭さと熱さ。全部覚えている。

 迅と太刀川が恋人という関係になったのは少し前のことだ。迅がランク戦に復帰したことをきっかけにお互いの距離が以前のようにぐっと縮まり、ランク戦でもそれ以外でも一緒に過ごす時間が増えた。そうしているうちに今まで押し込めていた数年来の感情が勝手に蓋を開けて出てきてしまい、それが恋愛感情であることまでうっかり自覚してしまい――なんやかんや、紆余曲折あり、太刀川も同じ感情を抱いていることが分かり晴れてお付き合いを始めることになったのだった。
 付き合い始めたと言っても普段の過ごし方はそう変わるわけでもない。たまに連絡を取り合って、時間さえ合えばランク戦をして、その流れでご飯でも食べに行って。その頻度がなんとなく増えたのと、会った時の距離がなんとなく近くなった、というくらい。あとは、周囲に誰もいない時に戯れみたいにキスをした。お互いに十代半ばからボーダーに身を置いてそればかりに夢中になってきてしまったからまともなキスの経験もなく、見よう見まねで唇を重ねてみたら顎髭の感触がちくちくするとけらけらと笑い合った。
 「家に来ないか」と太刀川から誘われたのは先日のことだ。その後にすぐ「泊まりで」という言葉が付け足された。……この関係になって、泊まりで、家に。というのはつまり。「太刀川さん、確認だけど、おれたち付き合ってるじゃん?」「ああ、付き合ってるな」「……それって、そういうことだって受け取っていいんだよね?」迅がそう聞くと、太刀川は躊躇いもなく頷いた。そうして、太刀川が小さく口角を上げる。「――そのつもりで誘ってるんだぞ?」。

 そうして迎えた昨夜、迅と太刀川はセックスをした。どちらが抱く側になるかという話になった時に、迅が太刀川を抱きたいと意を決して申し出ると太刀川は驚くほどすんなりとそれを受け入れた。「そんなにあっさり決めていいの、これから何されるかわかってる?」と迅が逆に慌ててしまったくらいだったが、太刀川が「迅とやるならどっちでも面白そうだ」と言い出すものだから、こんな時でも太刀川らしすぎる返答に妙に肩の力が抜けてしまったりもした。
 いざ始めると、流石に元々受け容れるための器官を持たない同士の行為は「面白そう」の一言で簡単に片付けられるようにスムーズにとはいかなかったものの、しかしどうにかしてお互いに気持ちよくなれた……と、思う。
(……なんか、色々恥ずかしい表情とか恥ずかしい感情とか曝け出しちゃった気もするけど)
 その肌を暴く度に、温度を共有する度に、自分の中にある感情も曝け出されていくようだった。普段はのらりくらりと躱そうとしている感情の波に呑まれて、この人のことが好きだと心がきゅうと音を立てるようだった。こんなにも強い人が、どんな激しい戦闘でもなにひとつ揺れることなく楽しそうに剣を振るうこの男が、呼吸を荒くしながら自分を受け容れようとしてくれている姿にどうしようもなく感情が揺さぶられた。余裕ぶることすらできず、自分の感情の大きさにすら今更気付かされた自分に内心呆れながらも、必死になって貪るように太刀川を抱いた。

 ――ぱちり、とゆっくりと目の前の男の目が開いて、迅の心臓がまたドキリと跳ねる。眠そうな瞳が何度か瞬いて、迅の姿を捉える。
「……お、はよ」
 目が合うと何だか妙に気恥ずかしくてたまらなくて、平常心と心の中で唱えながら口にした言葉が上擦っていやしないか心配になった。
「はよ」
 太刀川はそんな迅の心中の動揺に気付いているのかいないのか、いつも通りの調子で言う。その声が少し掠れているように聞こえて、昨夜のせいだろうかとなんだかまたどぎまぎしてしまった。
 それだけで会話は途切れて、部屋に沈黙が落ちる。その沈黙が何となく気まずくて話題を探そうとするけれど、こういうときに限ってうまく話題が出てこない。数秒の後、太刀川がぽつりと「……あ-、なんか」と言いながらぽりぽりと首の後ろを掻いた。
「寝たってって迅との関係の何が変わるわけでもないと思ってたけど」
「……、けど?」
「やっぱなんか、妙な感じだな。こそばゆい? っていうか」
 そう言って太刀川が眉根を寄せて少し照れたような表情をするものだから、かっと顔が熱くなる。
「いや、太刀川さんにまで照れられたら、調子狂う……っ」
 こちらだって平常心を保とうとするのに必死なのに、普段驚くほどにブレることのない太刀川にまで照れられたらもう逃げ場がない。居たたまれなくて、恥ずかしくて、……しかしこの人をこうさせているのは自分なのだと思うと溢れ出しそうなほどの優越感に包まれる。どうしよう、うわあ、好きだ、とばかみたいに心が叫ぶ。
(……昨日の夜から、新しい顔を知ってばっかりだ)
 肌を重ねて、その心と体の内側に触れて、一緒に朝を迎えて。そのひとつひとつでたくさんの新しい顔を知って、そのどれもをまたどうしようもなく好きだと知って――。
 ああ、溺れていく。この人のことがおれはどこまでいっても好きなのだと、自分の感情の大きさを思い知らされてしまう。果てがなくて途方に暮れてしまいそうだ。それでも、もっともっとこの人に触れたいと騒ぐ心に呆れた。顔が熱くて、そんな自分が恥ずかしくなって思わず手で顔を隠してしまう。この近い距離ではこの赤さもばれているとは思うけれど、そうせずにはいられなかった。
「そうだな、俺もおまえも今朝はらしくないなぁ」
 太刀川もほんのり顔が赤いくせに、こちらを見て面白そうにくつくつと笑うのが見える。
「言われると余計に恥ずかしい……」
「ま、いいんじゃないか、こういうのも」
 そう言いながら太刀川の手が迅の髪に触れる。その声色と手の感触の優しさがじわりと心に染みてくるようで、顔を覆っていた手をゆっくりと外す。その様子を見て太刀川が穏やかに目を細めた。その表情が眩しくて、好きだな、と思って、その気持ちのまま太刀川の髪に触れる。太刀川のゆるく内側に癖のある髪を軽く弄んだ後、その手を頬に滑らせて、ぐっと顔を近付けてその唇に唇で触れた。




(2020年10月19日初出)



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