迅の右手から振るわれたスコーピオンが、太刀川の髪の先を掠めた。攻撃をした時に生まれる一瞬の隙を逃さず太刀川は迅に斬りかかる。しかしそれも迅は既に視ていたのか、その刃が迅のトリオン体に届く前に左手のスコーピオンで弾かれた。それに構わず太刀川は両手に握った孤月を連続で振るう。迅は少しずつ後退しながらその刃をスコーピオンでいなしていく。剣筋を正確に見極めて刃を防ぎながらも、迅は反撃の好機を伺うように、息を潜めた獣のように太刀川をじっと観察していた。その青い瞳が細められて、しかし太刀川を見ているようで太刀川を“見て”いないことに気が付いた瞬間、太刀川は頭で考えることを止めた。本能的な勘に任せて、迅の左腕に勢いよく刃を落とす。直前に迅の体は反応したが時は既に遅く、迅の左腕は肩から綺麗に落ちた。どうやらこれは未来視でも読み切れなかったようだ。
「……!」
 迅が虚を突かれたような表情をする。それを認めた瞬間、太刀川は自分の口角が上がるのを自覚した。迅は太刀川からすぐに距離を取り、体勢を立て直す。片腕でスコーピオンを握り、もう片方の肩からはトリオンが漏れている迅が、数メートルの距離をとって太刀川に相対する。今度こそまっすぐに太刀川を“見る”迅の熱を湛えた青い瞳を認めて、太刀川はにやりと口角を上げた。

 未来視のサイドエフェクトを持っている迅は、戦闘の最中にもその力を使う。相手の攻撃を先に読むことができるそのサイドエフェクトは戦闘においてとても有用であり、迅のスピード型の戦闘スタイルにもよく合っている。サイドエフェクトにも便宜上のランク付けがあり、迅のサイドエフェクトはとても希有なものらしい。サイドエフェクトがあるから強いんだろ、なんて影で言う声も聞いたことがあった。
 だが、それが何だ。サイドエフェクトだって迅の一部だ。それも含めて迅だろう。
 サイドエフェクトまで含めての迅の強さを、太刀川は打ち負かしてやりたかった。使えるものは全て使って全力でこちらを殺そうとしてくる迅を、こちらも全力で迎え撃つのが楽しくてたまらなかった。
 未来視は確かにすごいが、完璧じゃない。神様のような力じゃない。迅が未来視でこちらの攻撃を読もうとするのなら、それを覆してやればいい。視覚を使うサイドエフェクトだから、未来を視ている時どうしても今への注意力が若干落ちる。そこをうまく突いてやれば崩すことも可能だ。その瞬間がまた楽しくて仕方がない。――お前は簡単に言うが、迅は単純な剣術だけでも強い、それができる人間は限られているぞと風間に言われたこともあるが。

「……もー、楽しそうに笑っちゃってさ。太刀川さんって、おれのことだいぶ好きだよね」
 そう眉根を寄せて苦笑する迅に、おっとそんなに楽しそうな顔を抑えきれていなかったかと思う。しかしまぁ、隠そうとも思わない。そう言う迅こそ、困ったような表情を張りつけているものの、口角は抑えきれないように上がってその瞳は爛々と楽しそうに熱を灯していた。
「ああ。知らなかったか?」
 直後、ひゅ、と空を切る音がした。迅が一気に距離を詰め、太刀川の首をスコーピオンが捉える。灼けるような視線が太刀川を貫く。ほんの零コンマ数秒、ばちんと目が合った。電流が流れたかのように、指先が痺れてこの体には無い血が沸き立つ。背筋から全身に駆け巡った興奮が、太刀川の心を震わせる。
 ――青い落雷。
 この感覚を、太刀川は知っていた。ずっと、ずっと待っていた。三年だ。三年もの間、自分はよくぞ行儀良く『待て』ができたものだと自分で自分に感心する。迅が復帰してからランク戦で戦うのは今日が初めてというわけではないが、何度でも新鮮に思ってしまう。自分はきっと、迅が復帰してから今までひどく浮かれているのだろうということは自覚していた。しかしそれを誤魔化そうとも思わない。迅本人に気取られたって構わなかった。寧ろ、よくよく知れば良いとさえ思った。
 剣先が届く前に、研ぎ澄まされた迅の熱と殺気に首を落とされてしまいそうだとさえ思えた。咄嗟に体が動いて直前で躱したものの、首の三分の一ほどをスコーピオンに斬られてしまった。首からじわりとトリオンが漏れていくのを太刀川は視界の端に見て取る。
「この速度で反応するなんて、流石太刀川さん」
 少し悔しそうな、しかしやっぱりどこか楽しそうな口調で迅は言う。そうしてまた、迅は太刀川をまっすぐに見てスコーピオンを握り直す。迅のぎらついた、熱がゆらめく青い瞳にぞくぞくとしてたまらなかった。今度は太刀川から仕掛ける。迅は太刀川の剣をギリギリのところで躱して、速度の利を生かして太刀川の懐に飛び込んでくる。太刀川は反撃に備えて孤月を構える。
 ――落雷のような青が、太刀川を灼く。

 あの時――迅がスコーピオンを作って太刀川に挑んできた時から、この青がずっと心に焼き付いて離れない。
 あの時から俺は、この瞳がたまらなく好きなのだ。いや、この瞳だけじゃない。きっと俺はあの時から迅のことが特別で、どうしようもなく、好きで堪らない。その意味が何であったって構わなかった。笑えてしまうくらいの楽しさと、嬉しさと、優越感と、興奮と、殺意と、欲と、衝動。今この瞬間、この身を揺さぶる爆発しそうなほどの全てがお前のものなのだと、名前なんて二の次でいい、それこそが答えなのだと――そしてきっとお前も同じだろうとこの合わせた剣から伝わっているだろう。根拠などないがそう確信していた。だってそんなの、俺と迅だから、だ。

 俺たちはきっとあの日から、ずっと、同じ熱を宿している。



 ◇



「六対四。俺の勝ち越しだな」
「……まー、結果は結果だからね」
 黒いベッドの上でにんまりと嬉しそうに笑う太刀川に、迅は肩をすくめながら返す。十本勝負の個人ランク戦を終え、余韻に浸るようになかなかブースから出てこない太刀川を見かねて迅が太刀川のブースまで迎えに行ったのだった。そうしたらこのご満悦な顔だ。僅差とはいえ負けた身としてはそのにやにやとした表情には悔しさが生まれるものの、こんな無邪気に子どもみたいに嬉しそうにされると、この男がこれほどまでに迅に勝つことに執着していること、この男の感情をこれだけ動かしたのが自分であるということにじわりと嬉しさが滲んでしまうのも事実だった。
「久々のスコーピオンにもだいぶ慣れてきたつもりなんだけど、次までにまた調整しておかないとなー。あと最後のときの旋空孤月なんだけど、あれ……」
 感想戦をしようとしたところで、太刀川に腕を掴まれたと思ったらその腕を強く引かれる。バランスを崩した迅の体が太刀川の方に傾いで、そのまま食らいつくように唇を奪われた。
(ねぇ、太刀川さん、おれ今喋ってるところだったんだけど)
なんて文句を言おうとしたけれどすぐに唇の感触に飲み込まれてどうでもよくなってしまう。太刀川の唇はその男っぽい見た目からは想像できないくらいに柔らかくて気持ちが良い。後頭部に手を回して、こちらからも口付けを深くする。舌を絡めると太刀川も応戦してきた。
 血の流れる生身の太刀川の体、その内側は溶けるように熱い。あんなにも強くて、鷹揚で、性とはなかなか結びつきそうにないこの人の体がこんなにも柔らかくて熱いなんて、そう思うと頭がくらくらしてしまいそうだった。ランク戦を終えたばかりでまだ体の中に渦巻いている、残滓と呼ぶには大きすぎる熱が、ようやく行き場を見つけたように太刀川の熱を貪る。
 戦闘の時の興奮状態をある程度その後も引きずってしまったとして、それがただの高揚として、健康的に処理されれば何の問題もない。
けれども流石に、“こう”なってしまうのはとても健康的とは言いがたいだろうと迅も頭の中では分かっていた。戦闘欲と性欲が混濁してしまっているようなこの興奮状態は、ちょっと大変よろしくない、という自覚はある。しかしこれは唯一、太刀川に対してしか発揮されない欲でもあった。他の人とのランク戦の後も高揚こそしていても、性欲と混濁してしまうようなことはひとかけらもない。太刀川もきっとそうだろう……そうであってほしい、と思う。
 ならば別に問題ないじゃないか。そんな風にあまりにも雑に片付けてしまいそうになる。自分らしくもない。だけど、そんな理屈をこねるよりもずっとこの甘美な感触が、温度が、たまらなくて頭が焼け付きそうだった。
 一度は離れた距離が嘘みたいに、またすぐ近くに太刀川がいる。こんなにもすぐ元通りに――と言いたいところだけれど、離れた時間の反動なのか、如何せん距離が思いがけなく近くなりすぎたような気もする。
しかし不思議なくらいにそれは迅にとってぴったりと嵌まるような、ようやく落としどころを見つけられたような、そんな心地だった。寧ろこの情動をこれまでどうして知らずにいられたのだろう、とさえ思う。持て余した熱が零れ落ちては、太刀川の唇に拾われていく。絡んだ舌のざらりとした感触、どちらのものか分からない唾液が口内に流れ込んでくる感覚に痺れるように興奮してしまった。

 太刀川に向けるこの情動が、恋である、と知ったのはいつだったろう。
 それはつい最近知ったようでもあったし、もうずっと前――ランク戦で時間も忘れて競い合っていたあの頃からずっとそこにあったようにも思える。
 太刀川に勝つと心の底から嬉しかったし、負けると驚くほどに悔しかった。太刀川と刃を合わせることがなによりも楽しかった。刃を合わせて太刀川慶という男に触れ、その中を知っていくような、そして自分の中も知られていくような、しかし同時にどんどんと分からなくもなっていくようで、そんな感覚が心地よくて、もっともっとと求めてしまいたくなった。
太刀川とのランク戦が一等楽しいことは間違いないが、それ以外でも太刀川と過ごす時間を楽しいと思った。一度は小南に譲ったA級一位という冠を取り戻した太刀川の圧倒的な強さを見る度、その鮮やかさに目を奪われ、もっと強くなれると終わりはないのだと心が疼いた。

 スコーピオンを作ったばかりの頃、毎日が楽しくて仕方がなかった頃のことを不意に思い出す。
 あの頃の自分が思ってもみなかった形に変わった関係、新しい色の増えた欲に、今でも我ながら不思議な気持ちになることもある。しかしあの頃からずっと、呆れるほどに変わらない、あの衝動もずっと今も炎を揺らし続けていた。そのどちらもが今の迅をつくっている。そんな今が迅は結構気に入っていたりする。
 ――太刀川慶という存在が、迅の日々に何度だって色をさす。
 太刀川と居ることが、いつだって楽しくて、迅の心を揺さぶって仕方がないのだ。

 呼吸が苦しくなってようやく唇を離す。どちらのものか分からない唾液でべとべとになった唇が部屋の電灯に照らされて赤く光って、そのいやらしさに心臓が音を立てた。ちょっと熱を冷ましてから出ないと、こんなこの人を他の人の目に晒すわけにはいかない。自分自身が嫌というのもあるが、ちょっとだいぶ、若い隊員たちの教育に悪すぎる。そんなことを思っていたら、太刀川に「迅、いやらしー顔してんなぁ」とからっとした顔で笑われた。その言葉をそっくりそのまま返してやりたい。しかし笑っている太刀川の目の奥に、熱が確かに揺らめいていることにも迅はしっかりと気が付いている。
「ここでは、ここまでね」
「じゃあ、俺んち行くか」
 迅の含みをもたせた言葉に太刀川はそう返してくる。本当に話が早い人だよ、と苦笑したくなる。しかし、その明け透けさも相手が太刀川ならば心地が良いと思ったのだった。




(2020年11月8日初出)



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