拝啓、未来のぼくら



「迅ー、はらへった」
 コタツの方からそんな呑気な声が聞こえてくるものだから、迅は小さく息を吐いてそちらの方を振り返る。
「鍋なんだから、すぐできるよ。っていうか手が空いてるなら食器の準備しといて。太刀川さんちの食器の場所なんておれ分かんないよ」
 そう言うと、一瞬の間の後「りょーかい」と言って太刀川がのそのそとコタツから体を出す。この寒い日にコタツの誘惑というのは甘美だけれど、働かざる者食うべからず、という迅の言外の圧をしっかり受け取ったのだろう。太刀川がぺたぺたと裸足でキッチンの方まで歩いてきて、トントンとリズムよく野菜を切っていく迅の横にしゃがんでコンロ下から二人分の食器を取り出していく。
 昼間に本部で会って立ち話をした時に今日の夜は二人とも予定も無いのだと分かり、それならうちに来てだらだらしようぜ、という太刀川の誘いで大学に入ってから一人暮らしを始めたという太刀川のアパートで夕飯をとることにした。何か惣菜を買うか作るか、という話になった時に太刀川が鍋が食べたいと言い出したので、それくらいならおれ作れるよ、玉狛でもよく作ってるし――という迅の申し出により今夜のメニューは迅が作る鍋になったのだった。本部から二人で帰る途中でスーパーに寄って適当に食材を買い込み、本部からほど近い太刀川の住むアパートに二人で帰宅した。
「迅、おまえ料理できるんだな。手つきがすげえスムーズ」
 そう言いながら至近距離で、感心した様子の太刀川が迅の手元を覗き込んできたものだから不覚にもドキリとしてしまう。それを気取られないように気を付けながら、「玉狛は料理当番があるから。別に野菜切るくらいはね」と返す。太刀川は迅の動揺に気付いているのかいないのか、いつもの平坦な声で「なんか、おまえと料理ってあんま結びつかないからなー」なんてしみじみと呟いていた。
 迅と太刀川の関係性がただの同僚、ただの友人を越えたのは少しだけ前のことだ。ランク戦に復帰して太刀川との距離がまた縮まったことで自分の気持ちを自覚し――今になって考えれば、昔からその火種のようなものはあったように思うのだけれど――、うっかりその気持ちが太刀川に伝わってしまい、俺も好きだぞなんてどこまで本気なのかそれは自分が抱えている感情と果たして同じなのかなんて問い詰めたい気持ちになる返答をもらったりなどしつつ、しかし何だかんだこの関係性は晴れて「恋人」と呼ばれるようなものへと変わったのだった。
「飲み物はー……おまえまだ未成年だもんな、酒は飲めないし、ウーロン茶とかでいいよな?」
 迅から離れて二人分の取り皿と箸を用意した太刀川は、次はそう言いながら冷蔵庫を開けて中を眺める。
「あー、うん」
 返事をしながら、そんな太刀川の横顔をちらりと見る。どこにでもあるごくありふれたアパートの狭いキッチンで、二人で並んで、夕飯の準備をする。それに何だか(……なんか、夫婦みたいだな)なんてことを思ってしまって顔がかっと熱くなった。慌てて手元のまな板と包丁に視線を戻す。
 玉狛でも何人かでキッチンに集まって食事の支度をするなんてただの日常だし、それに家族のような感覚を覚えこそすれ、夫婦みたいだなんて思ったこともなかった。ボーダーの仲間、特に同い年の皆と誰かしらの家に集まってご飯を食べることだってあるけれど、それだって友人という感覚の域を出ることは無い。
 ……だめだな、妙に浮かれてしまっている。そんな自分に呆れた。一度自覚してしまえば、この感情が加速度的に膨らんでしまっていくのが分かって、我ながらその速度と底の見えなさになんだか恐ろしいとさえ思える。
「なんか、こうしてると」
 不意に、太刀川が何か思いついたみたいに呟く。
「おまえと結婚でもしたみたいだな」
 驚いて、思わず再び太刀川の方を見る。太刀川も迅の方を見て、楽しそうににやりと笑う。今度こそ表情に動揺が隠せていないことは自覚していた。
「……なにそれ」
 口を突いて出たのはそんな可愛げのない言葉だった。同じことを思っていたことへの動揺と、嬉しさと、あんたそれ本当に意味分かって言ってんの、なんて気持ちと。だっておれたちはもうただの友達じゃない、恋人だっていうのに。
「そのままの意味だけど」
 太刀川はそう言いながら冷蔵庫の扉を閉める。片手にはウーロン茶のペットボトル、もう片手には缶ビールが握られていた。またぺたぺたと小さな音を鳴らしながらコタツの方へ戻りかけて、太刀川はまるでいたずらでも思いついた子どものような表情をして迅の方を振り返る。
「いっそもうこのまま結婚しちまってもいいかもな」
 妙に楽しそうな口調でそんなことを言うものだから、迅はどんな顔をしていいのか分からなかった。
「それ、そんなに軽い口調で言うことじゃなくない? だって、おれたち」
 ――恋人なんだよ。分かってる? そう言った言葉は自分で思っていた以上に小さくなってしまった。そんなこと言われてしまっては、今のおれたちでは、軽い冗談になんてしてあげられない。むきになっているみたいで嫌だな、と思う。こんな風に必死に、むきになってしまう自分がいるなんて、自分で自分に動揺してしまう。……自分がこんな風になる相手は、太刀川くらいのものだった。
(だって、そんなこと、その場のノリで簡単に言って変に期待しちゃったりしたとしてもさ)
 未来なんて、ちょっとのことですぐにころころと変わってしまう。そりゃあ本当に可能性の高い未来というのも中にはあるけれど、そんなものは稀で、それさえ百パーセントの絶対ではない。そのことを迅は、「未来視」のサイドエフェクトを持っているからこそ身に沁みていた。未来というのはそういうものだと分かっているし、それでいいと思ってきた。だからこそ面白いとも思う。だけど。
 未来は不確定だ。だからこそ、太刀川とのこの関係性に、その未来に無防備に期待を賭けすぎてしまうことが、少しだけこわいと思った。この感情がどこまでも大きくなり続けていることを自覚しているからこそ。
「だからだろ」
 そんな迅の心中なんて気にもしない風に太刀川は返す。
「俺にとって迅以上に興味を持って、気になって、もっともっとって思える相手なんて、もう現れないと思うぞ」
 ――何でそんなこと言い切れるの、なんて言ってやりたかった。けれどそう言う太刀川の目があまりにまっすぐで、迷いのないものだから、何も言えなくなってしまう。太刀川から目が逸らせない。太刀川は迅の目をじっと見つめている。呼吸さえ忘れてしまいそうだった。
 何も返せなかったのは、なにより迅自身も心の底では、同じことを強く強く思ってしまっていたからだ。
「俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
 数秒そうしていた後、そう迅の真似らしき口調でそう続けた太刀川に「……太刀川さん、サイドエフェクトないじゃん」と返すのが精一杯だった。
「まー、そういうことだから。言ってたら、本当に楽しそうに思えてきたな」
 そう言う太刀川は言う通り楽しそうで、迷いや躊躇いもなく、本当にいいことを思いついたみたいな口調で言う。太刀川はコタツの方に戻っていって、コタツテーブルの上に先程冷蔵庫から出した飲み物を置く。
 この関係になってから、ただの同僚、ただの友人だった頃よりもころころと変わる、楽しそうな太刀川の表情を見ている気がするな、と気が付いた。掴めない人だと思っていたけれど、ここ最近二人きりでいる時の太刀川はやたらと上機嫌だ。
 もしかして、太刀川さんも結構この関係を、おれが考えていたよりずっと気に入っているのか――あの太刀川さんが? そんなことを思って、何だか急に照れくさくなって、顔にかっと熱が集まるのが止められない。
「迅ー、次は何すればいい?」
「……もうコタツ入って待ってていいよ。もうすぐできるから」
 この顔を見られたくなくて、そう返す。食材の準備が出来るまでにこの顔の熱が引いてくれないか、いっそ今すぐトリオン体になってしまおうか、なんて埒もないことすら考える自分にまた少し呆れた。そして先程の太刀川の言葉に、本当にそうできたらいいのにな――なんて未来に期待を賭けてしまいたくなってしまった自分が、今、確かに心の中に生まれてしまったということにも。





(2020年11月9日初出)



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