イン・ザ・ミドル・オブ・ロマンス
「あーー待て、ネクタイどこだネクタイ」
そう言ってクロゼットの中を漁る太刀川を、迅はベッドの上に寝転がったままにやにやと笑いを浮かべながら見ていた。迅は自分のスマホをちらりと見て、太刀川に言う。
「太刀川さーん、バスまであと八分」
「分かってるよ」
太刀川をそう急かしてくる迅は完全にこの状況を面白がっている。普段は飄々と大人ぶっているくせに、近しい人間に対してはたまにこういう悪戯好きの子どものような顔を覗かせる。大概いい性格してるよなこいつも、なんて太刀川は心の中で思った。
太刀川はようやくクロゼットからネクタイを見つけ出し、急いで首に巻いていく。高校時代は学ランだったから、ネクタイを巻くのも慣れていない。スーツなんて大学の入学式の日に着て以来だ。あれ、結び方どうだったっけ、と思いつつ、微かな記憶と勘でどうにかそれっぽい形にしていく。そんな太刀川を見ながら迅はくすくすと笑っていた。
「だから言ったじゃん、夜更かししすぎたら寝坊して朝慌てる未来が視えるって」
「そう言って、結局盛り上がったのはお前もだろ。共犯だ共犯」
昨夜は夕方からお互いに予定がなかったということで最近迅が復帰したばかりのランク戦に興じた後、自然な流れで太刀川の家に二人で帰ってきた。今日のランク戦の感想戦をしながらコンビニで買ってきた夕飯を食べ、そしてその後は――付き合って間もない間柄ということでもう、お察しだ。
迅がランク戦に復帰して昔のようにまたランク戦で競い合うようになって、距離もまた近くなって、それが楽しくて仕方がなくて。今まで無意識に押し込めていた自分の感情に気が付いた。それは迅の方も同じだったらしく、なんやかんやで自分と迅の間には「恋人」という称号が新たに追加されたのだった。
今日は一月の第二月曜日、成人の日だ。ボーダーの仕事についてはお互いに非番だが、新成人である太刀川はこれから成人式に出席予定だった。だから昨日は一回で終わらせて早めに寝たほうがいいと思うよ、なんてベッドに入る直前に迅が提案してきたのだが、まあ一度盛り上がってしまえばそんなことなんてお互いに忘れてしまい――結局だいぶ夜更かしをしてしまって、予定の時間になど起きられるはずもなくこの様である。
非番で、急ぎの予定も無いらしい迅は慌ててスーツを着てバタバタと出かける準備をする太刀川をただベッドの上でごろごろとしながら高みの見物をするばかりである。そんな迅を太刀川は少しだけ恨みがましい目で見つめるが、迅には何も効いていないようだった。普段迅との年齢の差なんて気にすることもないのだが、太刀川は成人式で迅は違うのだと思うと、迅って一つ年下なんだよな、なんてことを今更ながらに思い出させられる。
なんとかネクタイを結び終わって、コートに手をかけたところで迅が言う。
「太刀川さん、ネクタイ曲がってる」
「おわ、まじか」
太刀川は慌ててネクタイに再び手をかける。自分で確認しようとしたけれどよく分からないので、洗面所の鏡のところで確認するかと移動しようとする。と、迅がふう、と小さく息を吐いてベッドから起き上がった。
「もーしょうがないな」
わざとらしい口調でそう言ってから、迅がぺたぺたと足音を鳴らしながら太刀川の方へと歩いてくる。そうして太刀川の目の前に立つと、ネクタイに手をかけて手早く位置を調整していった。
「ん、これでよし」
納得のいく位置にできたようで、迅は満足げな表情になってポンと太刀川のネクタイの辺りを軽く叩く。
「おう、サンキュ」
自分の胸元をちらりと確認する。ネクタイの位置は先程よりもまっすぐ、ぴしりと整えられていた。先程手をかけたコートを掴んで羽織る。財布と携帯と鍵とトリガー、それとバスに乗るためのICカードをポケットに突っ込んで、太刀川は玄関に向かう。
「あと四分ちょっとー。まぁ走れば間に合うんじゃない?」
「お前ほんといちいちカウントダウンするのわざとだろ」
太刀川がそう指摘してやると、迅はおかしそうに笑う。否定の言葉がないあたりそういうことだろう。
リビングから出る直前、迅が太刀川に向かって口を開く。
「いってらっしゃい」
まだ少しだけ眠そうな表情をした迅が、妙に甘さを含んだ声で言う。それにぱちりと目を瞬かせてから、太刀川は返す。
「いってきます」
そう言うと迅は表情をふっと柔らかくする。その迅の表情を見届けてから、太刀川は玄関を出た。
外は快晴、その分空気はきんと冷えている。冷たい風が太刀川の頬を撫でて、その冷たさとの落差で自分の頬の温度を知る。しかしそんなことに思いを馳せている場合ではなかった、とはっと思い直し、太刀川は急いでバス停へと走って行ったのだった。