紫煙とくちづけ



「――あれ、太刀川さんって煙草吸うんだっけ」
 太刀川の部屋にいつの間にか置かれるようになった迅専用のダークブルーのスウェットを着た、風呂上がりの迅が太刀川の手元を見て言う。その言い方に何だか僅かに不機嫌さのようなものが滲んでいる気がして、太刀川は一度自分の手元に目線を落としてからもう一度迅を見る。太刀川の手には、まだ長さのある煙草が一本人差し指と中指の間に挟まれていた。
「……おまえ煙草嫌いだっけ?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
 言いながら迅は太刀川の隣に座る。煙草の煙が流れていくのとは反対側の位置だ。
 そうだよな、と思う。迅は未成年なので勿論煙草を吸っているところは見たことがないが、ボーダーの成人組を含む飲み会やら何やらに顔を出した時、誰かが煙草を吸っていても迅が特に気にした素振りを見せた記憶はない。じゃあ何でそんな風に言葉に棘があるんだ。核心を言おうとしない迅に太刀川も何となく釈然としない思いを抱きながらも、とりあえず迅から投げられた質問に答える。
「普段は吸わねーよ。二十歳になった頃に諏訪さんに教えてもらったけどあんま好きになれなかった」
「ふーん」
 その答えに迅の言葉尻のわずかな棘のようなものがふっとなくなったのを感じて、おや、と思う。この答えで迅は納得したらしい。何なんだ、と考える。
「これは諏訪さんが味が合わないって押しつけてきたやつ」
「なんだそれ」
「これなら前のより吸いやすいから試してみ、って。確かに諏訪さんが好きなやつより軽いけど、やっぱり苦いな」
 もう一口煙草に口を付けてみて、は、と紫煙を吐き出す。初めて吸った時は苦いわむせるわで散々だったことを思い出す。今回の煙草は前のものよりは吸いやすくてむせずに何となく格好はつけて吸えるようにはなったけれど、口の中に残る独特な苦さはやっぱりまだまだ好んで吸おうとは思えない味だった。
 嫉妬? というのは少し違う気がするな、そもそも嫉妬というのも何に対してだという話になる。何だろう、と迅の心の中を探ろうとする。が、うまく表現する言葉が自分の中の引き出しを探してもなかなか出てきそうになかった。
 こういう態度の時は迅も大抵自分からは本音を言おうとしないことは分かっている。まあ何にせよ、機嫌が良くなったならいいか、と太刀川はあっさりと思い直した。
 横を見れば迅の顔がすぐそこにあって、何となくでキスをした。触れるだけのそれだったが、直前まで煙草を吸っていたからかその味が残っていたらしい。迅はあからさまに顔をしかめる。
「にっが」
「だろ?」
 その言葉通り分かりやすく苦そうな表情をする迅がなんだか面白くて、太刀川は小さく笑ってしまう。
「試しに久々に吸ってみたけど、やっぱ俺は煙草はいいや」
 太刀川はそう言って灰皿――これも二十歳になった頃に諏訪さんから貰ったものだ、これまでほとんど出番はなかったのだけれど――にまだ長いままの煙草を押しつけて火を消す。そのタイミングで迅に「太刀川さん」と呼ばれた。迅の方に顔を向ければ、今度は迅の方からキスをされた。押しつけるみたいなキスはすぐに深いものになる。太刀川の唇を舌で割り開き、ぬらりと舌で太刀川の口内を犯していく。上顎をなぞられると、迅に快感を教え込まれた体はすぐに気持ちの良さとこれからへの期待を受け取ってぞわりと肌を粟立たせた。
 しかしついさっき、キスをされて苦いと顔をしかめていた奴とは思えない。こんな風に感情的な、わがままを言うみたいな態度を取る迅は珍しくて太刀川は少しばかり不思議に思う。素直に求めてくるのは太刀川としても嫌いじゃない、むしろ大歓迎なのだけれど。
 ――ああなんだこいつ、拗ねてんのか。太刀川はそう気が付く。迅の真意なんて本人に聞かなければ分からないけれど、しかしそれはあながち間違っていないように思えた。普段はばかみたいに余裕ぶろうとするくせにそんな風に取り繕いもしない、煙草の味をかき消そうとするみたいに、自分の味で上書きをするみたいなキスをしてくる珍しさがその証拠だ。
 普段は一歳の年の差も三年ちょっと離れていた期間のこともお互いに気にするような素振りは見せないくせに、たまにそれを思い出させられる時、迅はたまに、ほんの僅かにだけ拗ねたような態度を取ることがある。そういえば迅の前で煙草を吸うのは初めてだったな、ということを思い出す。これまで知らなかった太刀川の一面を見て、一歳の年の差も感じて、拗ねたとでもいうのだろうか。あの迅が? しかし一度気が付いてしまえばそうとしか思えなかった。
 なるほど、なるほどなあ。しかしそんな煙草ひとつで。迅の子どもじみた独占欲を感じてしまって、優越感と愛しさで笑ってしまいそうになった。
 笑ってしまえばまた拗ねられてしまいそうだから、笑わないように気を付けながら迅の後頭部に手を回す。ふっと迅の雰囲気が柔らかくなったのを感じながら、ゆっくりと体重をかけてくる迅を太刀川は受け止めた。



(2021年1月13日初出)



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