自身を太刀川の中に全て埋めると、その熱さと狭さに思わず息が零れる。組み敷いた太刀川の呼吸もわずかに乱れている。ランク戦の時だってどんな任務の時だってあるがままを崩さない太刀川のこんな姿はこういう時にしか見ることのできないもので、目の前の光景にぐらりと脳が揺れるような心地だった。太刀川を労るように、そしてその情動を誤魔化すようにして迅は太刀川に触れるだけのキスを落とした。
 肌に鼻を近付けたときに、太刀川の汗の香りがふっと香る。風呂に入る前になし崩し的に事を始めてしまったから、いつもよりも太刀川のにおいが強い気がした。風呂に入って一度体をきれいにしてから行為に及ぶのも好きだが、しかし太刀川の雄っぽいにおいをより強く感じられるから風呂に入る前にするのも好きだ、なんてことは太刀川には伝えていないしこれからも伝えるつもりのないことだった。
 唇を離した後に、汗ばんだ額に張り付いた髪の毛が邪魔そうだったので指で簡単に退けてやると、太刀川の視線にふっと柔らかさが混じった。
「あ、そうだ。ホワイトデーのお返しはランク戦三十本でいいぞ」
 思い出したように太刀川がそう呑気な声で言う。その声色と内容の、この状況とのそぐわなさに迅は思わずくっと笑ってしまった。
「や、多くない?」
「あのチョコ結構沢山入ってそうだからそんなもんだろ」
「太刀川さんの勘定の基準がよくわかんないな……」
 迅がわざとらしく眉根を寄せて言ってみれば、太刀川はそれがおかしかったのか目を細めて楽しげに笑う。
 それにしても、まさか太刀川が迅にバレンタインチョコを渡してくるなんて思ってもみなかった。それを予知も予想もできなかった自分が悔しくもあるけれど、しかし太刀川が悪ノリめいた遊びとはいえ、そんな恋人らしいことを迅に対して仕掛けてくるなんて意外だったのだ。
 確かに太刀川はああいった悪ノリのようなことも、近しい人間に対してはすることもある。しかし付き合ってからも太刀川の迅に対する態度はこれまでとほとんど変わらない様子だったし、形や関係性の名前にこだわるような人ではないと思っていた。意識するほど照れが先に立ってしまう自分を恥ずかしく思うほどに。
 だからこそ、付き合い始めて初めてのバレンタイン、だなんてとりわけ太刀川は気にするようなタイプではないと思っていたのだ。だいたいバレンタインということを太刀川が覚えていたことすら驚きだというレベルだというのに。
(――変わらない様子だった? ……本当に?)
 そこまで考えた時、ふ、と、そんな考えが頭を過ぎる。
 確かにまあ、今日の太刀川はやたらと楽しそうだった。……いや、今日だけじゃない。
 思い返してみればここ最近の太刀川は、どこか常以上に楽しげな様子だったように思う。バレンタイン云々は置いておいて、それより前から。迅がランク戦に復帰して、そして迅と太刀川が恋人という関係になって以降の話、だ。
 とはいえそもそもが太刀川の機嫌の悪い時なんてそうそう見たこともない、寧ろ太刀川は大抵の場合飄々とした様子を崩さない、機嫌が良さそうな人だと思う。小さなことは気にせず、いつも自分らしさを崩さず。そういう人だ。暗い感情は必要以上に引きずらず、楽しいことはあるがまま受け止めて楽しむ。だからこそ太刀川は基本的に機嫌の良さそうな人に見える。
 ここ最近会う度太刀川が楽しそうだということは迅も何となく気付いてはいたが、それは久しぶりにランク戦で自分と競い合えるようになったことへの一時的な高揚なのだと捉えていた。それは自分とて同じだったからだ。
 しかし。多分。――それだけで全てを説明するには足りないような気がしてしまった。だって今日はランク戦はできないよと完全に断った日だって、じゃあ飯はどうかとか会議終わったらうち来るかとか聞いてくる太刀川だってやっぱりランク戦を断られたにしては意外なほど上機嫌だったように思う。
 太刀川と付き合うようになって、一ヶ月と少し。
 今になって考えてみれば、それ以来の太刀川は少しばかり普段以上に楽しそうで。どこかとても、浮かれているようにすら思えた。
(……あの太刀川さんが)
 迅は心の中で、ひとつひとつの単語を確かめるみたいにして呟く。あの太刀川さんが。にわかには信じがたい。しかしそう気付いてしまえば、そうとしか思えなくなってしまった。理屈よりも先に、太刀川の付き合いの長さからくる自分の直感がそう言う。
 離れたって、平気でいられていた気がした。迅がS級になってからだって、ランク戦という場所を失ったとはいえ太刀川との気安い友人関係は続いていたし、それだって普通に居心地が良くて好きで、迅にとってとても大切なものだったのだ。このままずっとこの距離でいるものだと思っていた――太刀川とまたランク戦をするようになるまでは。
 三年と少しの間、平気でいられたと思い込めていたはずなのに。もう一度あの熱を、楽しさを、一度取り戻してしまえばすぐに欲が出た。そうして自分の奥の奥の方に燻っていた別の熱にすら気が付いてしまえばもう、抑えることなどできそうになくなってしまった。その結果が今だ。
 太刀川はどんなときでも太刀川らしく、良い意味で変わることのない人だと迅は思ってきた。と言っても別にかたくななわけではない。ただ悠然と、己というものをしっかりと持っている。だからこの人はいつだってらしさを失わないし、簡単には揺らがない。そんな太刀川が迅は好きだったし、この人のそういうところに昔からずっと憧憬のようなものを抱いていた。
 そんな人が、迅によって浮かれている。なんてそんなこと。
 かっと顔に熱が集まる。
 自分ばかりがこの恋情に振り回されて自分らしくいられなくなっているのだと思っていた。そんな迅をやたらと楽しそうに眺め、余裕のある表情で切り返してくる太刀川を少し恨めしくすら思っていたのだけれど。
 ――太刀川だってこの感情に、少しばかり揺らいだり浮かれたりと自分らしくいられなくなっているのだとしたら?
 そう思ったところに急に太刀川に中を締め付けられて、全く油断していたために迅は思わず小さく呻いてしまった。はっと太刀川に視線を向ければ、太刀川の目線は不服そうに、しかし迅の反応にしてやったりという風に口角は小さく上がっていた。
「何だよぼーっとして。人につっこんどいて余所事考えるなんてひでーやつだな」
 明け透けな言い方を恥じらいもしない太刀川に、ぐ、と思わず言葉に詰まりそうになるがそんな様子を太刀川に見せるのも悔しいので迅は平静を装いながら言葉を探す。
「余所事っていうか」
 なんというか。今思いついた仮定をそのまま太刀川にぶつけるのは流石に躊躇われて、何て説明すれば良いのか迷う。少しばかり思考した後、迅は太刀川をまっすぐに見てわざとらしくにやりと笑ってみせた。
「太刀川さんのこと考えてた」
 迅が試すように言うと、太刀川は少しばかり気色を変える。
「ふうん?」
 目を僅かに細めてそう返す太刀川はやっぱりやけに楽しそうで、迅は先程の自分の思考がやはり合っているような、そんな直感のような確信を深める。
「でも目の前の俺を放っておくのはどっちにしろダメだろ、ランク戦の時だってお前――」
 太刀川とのランク戦で、未来視に意識を傾けすぎて現在の立ち回りに隙が出来てしまう自分の悪い癖を指摘されるとぐうの音も出ない。それは自分自身悔しく思っているし、何より太刀川に指摘されるのがより悔しいのだった。
「それは自分でも分かってるよ。でもさ、そもそもランク戦とこういうことを一緒にしないでくれないかなー?」
 戦闘と色事を当然のような顔で一緒くたにするのなんて太刀川くらいのものだ、ムードも何もあったものじゃない――そう思いながら迅が言うと、太刀川は当然のような顔をして返す。
「俺にとっては大差ないんだけどな」
 言ってから、太刀川はにやり、と。お気に入りの遊びをしている子どもみたいに純粋に、しかし同時にひどくいやらしい表情で迅に笑いかけてみせる。
「お前とやるから楽しい」
 そう、挑みかかるみたいに言う太刀川の瞳がランク戦のステージで相対した瞬間のそれに酷似していて。
 反射的にぞわりと肌が粟立ってしまったことは、太刀川には気付かれていないといい。
(……認めたくないな、まったく)
 今の太刀川の言葉に、共感してしまった自分など。戦闘と色事を一緒とまでは言わなくとも、根源が自分も同じところにあるなんてこと気付きたくなかった。太刀川のことを笑えやしないではないか。
 誤魔化すみたいに唇を奪ってそのまま貪るみたいに角度を変えては口づける。腰をゆるりと動かせば、キスの合間に太刀川の唇から熱い呼吸が零れ落ちた。少しずつ律動を激しくしていく。中で太刀川のイイところを掠めたらしく、太刀川が「ッ、あ」と声を上げる。迅はそれを逃さず、再びそこに擦りつけるみたいに中で触れると太刀川の腰がびくりと震えた。
 体を重ねる度、ひとつひとつこの人のことをより深く知っていく。どこが弱いのか、どうすると気持ちがいいのか、気持ちいい時にどんな表情をするのか、どんな声を上げるのか。知っていく度に、どうしようもないほどの興奮と優越感を頭に直接注ぎ込まれるかのようだった。
 トリオン体では数え切れないほど斬り合ってきた仲だ。互いの攻撃を読み合い、互いの一手を覆さんと競い合ってきた相手。僅かでも隙を見せればすかさず刃が降ってきたし、己が斬った相手のトリオン体の断面だって何度だって見てきた。戦闘における相手のことであれば、誰よりも知っている自負があった――そんな相手と。
 生身で、やわらかな肌に触れ、その温度を知り、内側から暴いて暴かれていく。そうする度、ああこの人も人間なんだよな生きてるんだよななんて至極当たり前のことを実感する。
 こういった行為をする時に、太刀川は迅のすることを本気で拒むことはこれまで一度もなかった。いざ初夜となった時に迅が太刀川を抱きたいと、それなりの覚悟と緊張を持って言い出した時も「わかった、いいぞ」なんてとんでもなくあっさりとした返答で了承されてしまったものだから逆にこちらが動揺してしまったものだった。体のどこを触られても、少し意地悪をしてみても、尻に指や迅の昂ぶった性器を突っ込まれても、流石に慣れない行為に少し苦しそうな様子を見せることはあれど拒まれたことは一度も無かった。それどころか太刀川を気遣う迅に、いいぞもっとこいよなんて煽ってみせるものだから手に負えない。こっちは太刀川に痛い思いをさせたくなくて、暴走してしまいそうな自分を必死で律しているというのにそれを本当に分かっているのだろうか。
 これほど強い人に、好きにしていいと体を預けられる、そのことがひどく特別なことを許されている気がした。それが今も時々不思議な気持ちになり、どうしようもなく興奮を煽られる。自分の中にこんなにも焦がれるような感情があるなんて知らなかった。一体どれほど許されているのか――なんて、それを知りたいような、未だ底の見えそうにないそれを知るのがおそろしいような、そんな感覚になる。
「~~ッ、あ、ぁ、じん……っ」
 中から太刀川の弱いところを余さず責めたててやると、挿入の痛みで少し萎えかけていた太刀川の自身も再び頭をもたげていた。ギリギリまで引き抜いてから再び奥まで突けば、じわりと太刀川の先端から先走りが滲み出す。
 初めて体を繋げた時は気持ちよさよりも痛みや違和感の方が勝っていたようで、流石の太刀川でも苦しそうな顔をしていたことを思い出す。気持ちよさを拾うのに一苦労という様子で、挿入で萎えてしまった太刀川の熱を手で高めてようやく達したものだった。
 それが今は、後ろだけでこんな。
 そう思うと、たまらない気持ちになって自分の中の温度がぶわりと上がるのが分かる。内壁を撫でるみたいに擦ると、太刀川の口から熱い息が零れて腰がひくりと震えた。
 この人の。このいつだって変わらないように見えた、己をまっすぐにしっかりと持っている人の身体をつくりかえていくような、そんな倒錯的な興奮に脳が痺れる。
 太刀川はもう随分追い詰まっている様子だった。いつもであればそろそろ前も触って一度出す流れだ。それを太刀川も分かっているのだろう、荒くなった呼吸の隙間から、太刀川の熱を纏った瞳が迅を捉える。
 太刀川に気持ちよくなってほしい、気持ちよくさせたい。その気持ちも確かに本当だ。しかし一度欲が出てしまえば、それを試してみたいという気持ちに抗えそうになかった。
「……ね、太刀川さん」
 ぐ、と体を前に傾けて太刀川の耳元に口を寄せる。
「今日は後ろだけでイけるか試してみない?」
 迅がそう言ってゆるりと口角を上げると、太刀川は小さく眉根を寄せた。
「おっ、まえ、なあ……」
 ほんの少しだけ拒んでほしいような、しかしそれ以上にこの人は迅のすることを拒まないだろうという意地の悪いような確信すら迅の中にはあった。言ってみれば、ほらやっぱりだ。口ではそう言ってみせるものの、太刀川の声音に本気で拒もうという色はない。それどころか子どものいたずらを許す年上のような、そんな甘やかしの響きがあるものだから。
 結局自分は、そんなこの人に心のどこかできっと甘えているのだと思う。
 自分の熱で、太刀川の中に余すところなく触れていく。腰を引きざまに太刀川の弱いところを掠めて、「ぁ、」とまた太刀川が声を上げた。迅の腰の動きが激しくなるにつれて、すっかり熟れた太刀川の熱がふるりと震えて透明な液体をじわりと滲ませる。溢れたそれが堪えきれなくなったように、つ、と零れ落ちていくのがひどく扇情的に見えた。
 限界の近くまできて、しかしあと一歩達することのできない太刀川の口から嬌声とも吐息ともつかない音が零れる。その声色は普段の太刀川からは感じることのない色がそこに確かに乗っていて、ひどく雄くさいくせにいやらしくて頭がくらくらした。
 やろうと思えば、自分で触って達することもできるはずなのに。太刀川はそれをしようとしない。迅の手管に、迅のやりたいことに身を任せて、乗っかってそれを楽しみに変えてしまう。それに気付かされてしまえば、もう。
 前立腺のあたりを狙って何度も腰を動かせば、快感に太刀川の中がきゅうと締まる。その熱さと圧迫感に思わずこちらが先に達してしまいそうになって、慌てて息を詰めてそれを堪えた。
「っ、は、ぁ……」
 小さく声を零しながら、あんなことを言っておいて自分が先に達するなんていう恥ずかしさ極まりない事態にならなかったことに安堵する。いつの間にか体全体が熱くって、首筋を汗が一筋伝っていくのを感じる。ちらりと太刀川の表情を伺えば、熱に上気した頬とうっすらと水気を纏った瞳で、太刀川が迅を見ていた。常に無いような色を宿しているくせして、その表情はやっぱり楽しいという感情が隠そうともせず滲んでいて、それに自分でも呆れるほどにたまらない気持ちになってしまった。
 唇を寄せる。触れるだけのキスだけれど、体をぐっと前に倒したことで中が擦れたようで太刀川が思わずといったように小さく鼻にかかった声を上げた。触れ合わせた唇は驚くほどやわらかくて熱い。
 もう十分すぎるほどに貰っているはずなのに、もっともっとと欲しくなる。底の見えないそんな欲を末恐ろしくすら感じるというのに、この人ときたらそれを許して、与えてくれるのだから困る。
 この人とこういう関係になってからというもの、自分で自覚していた以上に溺れてしまっている自分を知るばかりだった。この感情の名前に気付く前よりも、ひとりでこの感情を抱えていた時よりも、互いの熱を知ってそれを交わしあってからずっと。
 唇を離して、再び律動を激しくする。
「ッ、ぁ、あ」
 太刀川の口からぽろぽろと声が零れる。お互いに限界が近いのは明らかだった。容赦なく太刀川の弱いところを責めたてると、太刀川が息を詰めるのがわかる。がちがちに固くなった太刀川の自身は、己の先走りでもうすっかり濡れそぼっていた。
「あ、も、だめだ、イく……っ」
 切れ切れの声で太刀川が言う。
「うん、イこ? 太刀川さん」
 そう言うと、太刀川が「じん」と名前を呼ぶ。その声がひどくやわらかくて、甘ったるい響きをもって迅の鼓膜を揺らした。
 太刀川が白濁を吐き出すのと同時に中がきつく締まる。その強い刺激で、迅も太刀川の中で果てた。



 汗やら何やらでべとついた体をシャワーで流してから部屋に戻る。先にシャワーから上がった太刀川はベッドの上にのんびりとした様子で寝転がっていた。迅もベッドに戻ろうとしたところで、テーブルの上に置きっ放しになっていた――なし崩し的に事に及んでしまったから、仕舞い忘れていたのだ――チョコレートの箱が目に入る。折角だから開けてみようかな、と迅はそれを手にとって、ベッドを背もたれにしてテーブルの前に座った。
 青いリボンを解き、いかにもといった様子の可愛らしいピンクの包装紙をできるだけ破かないように剥がしていく。出てきた箱の蓋を開けてみれば、中は案外――と言ってしまうと失礼かもしれないけれど、一口サイズの上品そうなチョコがいくつも並んでいた。今は冬だから、部屋の中に常温でしばらく放置していても全く溶けている様子がないのはよかった、なんてことを思いながら、適当に目に入ったチョコをひとつつまんで口に放り込んでみる。チョコを一口噛むと、中から甘いイチゴ味のソースが出てくる。ふわりと口の中にイチゴの香りが広がった。
「美味いか?」
 そんな迅の様子を後ろから眺めていた太刀川にそう声をかけられる。
「ん、おいしーよ。太刀川さんも食べる?」
 そう言いながら迅は箱の中からまた適当なチョコをひとつつまんで、今度は太刀川へそれを渡そうと手を太刀川の方へ向ける。そうすれば体を起こした太刀川の手がこちらに伸びてくるものだとばかり思っていたけれど、太刀川の方に顔を向けた瞬間思いもかけない未来視が目の前を過ぎった。え、と思っているうちにそれが現実と重なって、太刀川の顔が近付いてきて迅の指から直接チョコをぱくりと食べた。迅の指にちらりと太刀川の舌が触れて、その生暖かくてざらりと濡れた感触に、ぶわりと肌が粟立つ。シャワーを浴びて一度は落ち着いたはずだった自分の中の熱がまた、この人によって引き上げられる。
「……やらしー顔してるな? ゆーいちくん」
 にやり、と太刀川がひどく楽しそうに笑う。これは完全に分かっていて仕掛けてきたパターンで、それをこちらも分かっているというのにまんまと煽られてしまうのが悔しい。
「……しょーがないじゃん、そんな、いやに楽しそうな顔して煽られちゃったらさ?」
「だって楽しいからなあ」
 ぐ、とベッドに手をついて体を上げる。ベッドの淵に座る体勢になって太刀川と目線を合わせる。唇を塞いでやれば、ふっと香ったのは先程までの汗の香りでも精のにおいでもなく、チョコレートの甘い香りだった。自分と太刀川に似合わなすぎてなんだか笑えて、そして自分でもばからしいと思うのだけれど、そんなことにいやに興奮してしまった。
 唇が離れれば、「もう一回するか?」なんて、いやらしく上がった口角がそんな誘惑をしてくる。体もベッドも綺麗にしたばかりだっていうのにそんな甘美な誘いに心は揺れてしまって、思わず口ごもってしまった迅を見つめた太刀川はなははとやっぱり楽しそうに笑っていた。



(2021年1月31日初出)



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