undress



 はーっ、と大きな息を吐いた迅がぼすんとソファに沈み込んだ。普段はほとんど隊服、私服でもそう変わらないようなラフな服装を好む迅は、今日は珍しくスーツだなんて堅苦しいものを身に纏っている。
 とはいっても家を訪ねてきた時点でそのジャケットの前は開かれていて、玄関をくぐり抜けてすぐにネクタイは雑に緩められシャツのボタンもひとつふたつと開けて、すっかり大分だらしない格好になっていた。よっぽど着慣れないスーツが窮屈だったと見える。
 ここは一応は太刀川が一人暮らしをしている家で、迅の家ではない。迅の家は太刀川が出会った頃から今も変わらず玉狛だ。しかし迅はすっかり我が物顔で、太刀川の家のソファにだらりと凭れている。
 しかしそれを不快に思うような間柄でもない。むしろなんだかんだ言っても優しくてかっこつけの迅が、何の気も遣わずこうしてわがままのような態度すら太刀川の前では己に許しているということを、太刀川は嬉しく思った。これが優越感というやつなのだろうか。そもそも迅をこの家に招くようになってからすぐ、遠慮せず好きにしてていいと伝えているのだから、この状況は太刀川だってある意味で望んだことのようなものなのだ。
 今日の訪問だってそうで、今日は特に事前に約束をしていたわけでもなかった。つい十数分前、「これから太刀川さんの家行っていい?」とメッセージが届いて、「いいぞ」と返した。特に理由も説明もなく、連絡はただそれだけだ。それでチャイムが鳴ったと思ったらこの状況だ。
 なんだって迅がスーツなんて着ているのかも太刀川はよく知らなかったが、まあ何か色々やることもあるのだろう。今日の昼間に寄った本部では上層部や事務方が普段より少しばかり忙しそうにしていたから、何やら堅苦しい色々でもあったのかもしれない。しかし自分が聞かされていなくて、迅が話さないのならば、別に自分が知る必要のないことなのだろうと思った。それに、迅が秘密主義なのも暗躍が趣味なのも知っている。迅のことに興味がないわけでもなくて、単純な事実として、組織に属する人間としてそう太刀川は結論づけていた。
 適当でいてよくて、都合良く甘えられる相手。それでいい。自分たちはそれがいいと思った。
「じーん。とりあえずスーツくらいは脱げよ、皺になるぞ」
 そのまま寝てしまうのではないか、というくらいにリラックスした様子の迅に、そう声をかけてみる。別にソファで寝られるのは構わないが、着たままのスーツが変な形でくしゃりと皺を作っているのが少し心配になったのだ。
 太刀川の言葉に、迅はゆるりと目だけを動かす。いつ見てもきれいな色をした、青い瞳とぱちりと目が合った。その瞳を見つめ返しながら、太刀川は続ける。
「俺は大学の入学式の時のスーツ皺にして忍田さんに怒られた」
 そう言うと、迅はおかしそうにくっと笑った。「太刀川さんらしーなぁ」と目を細めて笑うその表情はまるでいたずらっ子の小さな子どものようだった。迅は普段は大人ぶっているくせして、ふとした瞬間にこういう子どもっぽい表情を見せることがある。それはまるで迅の心の素の部分、普段は丁重に隠している心の柔らかい部分に触れたような心地になって、太刀川は好きだった。
 少しの間そうして笑っていた後、迅は口角を上げたままその瞳にすう、と挑みかかるみたいな色を乗せる。その目線を受け取って、考えるよりも早くその正体も分からないままぞわりと心が何かを期待する。己の中の本能としか言いようのない部分が反応したかのようだった。
「じゃあ、太刀川さんが脱がせてよ」
 だらりとソファに体を預けたまま、迅がそんなことを言う。
 わがままなヤツだな、と思う。なのに心はそれをとても面白がっていた。
 そこまで広い部屋でもない。数歩歩けば、すぐにソファの目の前に辿り着いた。迅の目の前に立つと、迅を見下ろすような格好になる。先ほどよりも近い距離で見つめた迅の瞳は、静かに、しかし確かに欲の色を宿していた。
 この男に煽られると心がどうにもわくわくと疼いて、乗っかってやりたくなるのはなぜなのだろう。
 ぐ、と片足をソファに乗り上げて迅との距離を詰めた。くしゃりと変な皺が寄っていたジャケットを取り去ってソファの背もたれのところにかけてやる。そうして次はネクタイに手をかけるけれど、人のネクタイを外した経験などなければそもそも自分でネクタイを結ぶのだって大学の入学式でやったきりだから構造がよく分かっていない。何度か変な絡まり方をしそうになりつつも、どうにかネクタイの結び目を解けたのでするりと迅の首元から抜き去ってやる。その様子を迅はじっと黙って、抵抗もせず、しかし動きのひとつひとつすら見逃してなどやらないとでもいうみたいに熱っぽい視線を太刀川に向け続けていた。
 一方的に施されている側だというのに、今にもこちらに食らいついてきそうな、そんな欲求を息を潜めて抑えている獣のような。そんな雰囲気を間近に感じて、太刀川も興奮を煽られる。
 食われたいというわけではない。ただ、この男が自分の欲や熱を曝け出す、一等高い温度のそれを太刀川に向ける、そんな瞬間がたまらなく好きなのだ。
「あー、いいな」
 ネクタイを適当に放った後、シャツのボタンに手を掛けた時迅がぽつりと零すみたいに口にする。
「これから何されるかわかっててそっちから脱がしてくれんの、思ってた以上に興奮する」
 欲を隠しもしない瞳で、いやらしく笑って、迅がそんなことを言う。玉狛の奴らにも、本部の近しい仲間たちにも絶対に見せないだろう、太刀川にだけぶつけられる表情。そう思えば自然、こちらの口角もにまりと上がる。
「お前って変なとこ、なんつーか趣味がアレだよな」
 そう言えば「アレって何。太刀川さん抽象的すぎ」なんて迅がぶつくさと返すものだから、ぶつりとボタンを開けて鎖骨のあたりに軽く噛みついてやった。がっついている時の迅がたまにやる手管だ。頭の上の辺りで、迅がふっと笑うみたいに息を吐く音が僅かに聞こえた気がした。その直後、するりと迅の手が腰に回って、太刀川のシャツの隙間から手を差し込んでくる。素肌に触れた指先は思っていたよりも高い温度で、太刀川を煽るみたいに腰の輪郭をなぞっていく。迅に触れられた場所から、期待するみたいに小さく肌が粟立った。
 鎖骨から口を離して、至近距離で迅を見つめる。中途半端に乱れたシャツを着た迅の、温度の高い青い瞳の中に、自分が映っているのが見える。
「太刀川さん、……やらしー顔してる」
 そう困ったみたいに、それなのにひどく嬉しそうに言う迅に「どっちがだよ」と返そうとした声は、迅の食らいつくみたいに押しつけられた唇にきれいに飲み込まれてしまった。



(2021年4月24日初出)



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