残響
ドアを開けると、思わぬ客人の姿に出水は「おわ」と思わず声を上げてしまった。しかし相手は出水のリアクションに驚くでも不快感を示すでもなく、いつもの飄々とした笑みを湛えて「よー、出水」と片手を上げてみせた。もしかしたら出水のリアクションはもうすでに“視て”いたのかもしれない。この人がもつサイドエフェクトは、そういうものらしいから。
「迅さん、珍しいっすね。どうかしたんですか」
出水は迅に素直な感想としてそう問いかける。
ここは太刀川隊の隊室だ。太刀川や国近は学校がまだ終わっていないらしく、烏丸も今日はちょっと家の用事があってその後に本部に来ると言っていた。だから今この部屋にいるのは出水だけだ。一人きりなのをいいことに隊室に置いておいたゲームで一人レベル上げに勤しんでいたところに来訪者を告げるチャイムの音が鳴って、今に至る。
他の隊員ならばいざ知らず、迅がこの部屋を尋ねてくるのは出水の知る限り初めてだったので珍しいなと驚いてしまった。出水も一応面識はあるし、顔を合わせれば雑談くらいは交わす相手ではある。しかし本部ではなく玉狛を拠点とし、しかもS級でランク戦へも参加していないこの人を、そもそも本部で見かけること自体が珍しかったのだ。
予知の能力がある相手のことだ。もしかしたら太刀川隊、もしくは太刀川隊の隊員に関して何か未来が視えたりとか、そしてそれを伝えるために来たとかそういう用事だろうか? そう思って出水は少しだけ身構えるような気持ちになったけれど、迅はへらりと無害そうに笑って、「んー、いや、別になんかあったわけじゃないけど」と答える。そう言った後迅はポケットから何かを取り出して、出水の目の前に差し出した。ぶらん、と揺れたそれを見て出水は目をぱちくりとさせる。
小さな、キャラクターもののストラップだ。いかにもご当地のゆるキャラといった様子のそのキャラクターは、かわいいのかぶさいくなのかよくわからない絶妙な顔をしている。なんとも言えないシュールさの漂うそれを出水がじっと見つめていると、迅は再び口を開いた。
「悪いんだけどさ、これ、太刀川さんに渡しといてくれない? 修学旅行のお土産」
迅の言葉に、出水は「ああ」と合点がいく。そういえばそうだ、迅も含む三門市立第一高校の二年生はついこの間まで修学旅行に行っていた。なぜ出水がその日程を知っているかって、修学旅行のため三門第一の二年生が不在の期間、それ以外の隊員で防衛任務を回すことになっていたからだ。学校やランク戦などの合間に普段以上に詰め込まれたシフトは多少は大変だったものの、出水は防衛任務自体は別に嫌いではないし、その分給料も増えるので何の文句もなかった。
そして太刀川と迅の関係について、太刀川隊の一員である出水も知らないわけではない。迅がまだA級だった頃、日夜ランク戦でしのぎを削り合ったライバル。そしてランク戦以外でもなにかとつるんでいた、よき友人でもあったそうだ。――とはいっても出水が太刀川や迅をちゃんと認識した頃には迅はもうS級になっていて、直接その頃のことは知らない。当時からいた隊員達に、あの二人の対戦はすごかったぞと何度か話には聞いて、気になってログも少し見たくらいだ。太刀川も迅も攻撃手なので、射手である出水にとっては直接そこから何かを盗み取るためいうわけでもなく純粋な興味としてだった。
だから、知識や資料としては知っていても、出水にはその時の二人の直接の温度感は分からない。こうして太刀川隊の隊長と隊員という関係性になってからも、太刀川から直接迅の話を聞くことは少なかった。だから少しだけ、迅がS級になる頃に喧嘩でもしたのだろうかと思った時もある。しかし太刀川にしても迅にしても、何かに腹を立てるような様子が全然想像がつかなかったのだ。
(しかし、まあ、こうしてわざわざ修学旅行のお土産を相手宛に買ってくるくらいには、おれが知らないだけで今もそれなりに交流はあるのかもなー)
ランク戦という時間を共有できなくなって、拠点も異なるとなれば会う機会も減るだろう。クラス替えをして以前仲の良かった友達と少し疎遠になるみたいに、別に仲が悪くなったとかっていうわけでなく、単純にそういうタイミングの問題だったのかもしれないと出水は一人結論付けていた。
「いいっすけど、多分太刀川さんもうすぐここ来ますよ? もし時間あるなら全然隊室で待っててもらっても」
聞いていた予定だと、もう数十分もしないうちに太刀川は隊室に現れるだろう。折角のお土産ならば直接渡した方がいいのではないか、と思って出水はそう口にする。しかし迅は出水の言葉に、考える間もなく「あー、いい、いい」と首を横に振る。
「ほら、実力派エリートは忙しいからさ。すぐ行かなきゃなんだよね。悪いね~、出水には手間かけちゃうけど」
迅の言い方は普段と何も変わらず軽やかで、しかしどこかこれ以上の追及を拒むような、心の内を巧妙に隠そうとするかのような雰囲気があった。それに小さな違和感を覚えながらも、しかし出水はうまく言葉にすることができない。それに、それを追及したとしてその先で自分が何をしたいのかも分からなかったのだ。
だから、出水は取り急ぎ「いやそれは全然」とだけ返事をする。出水の言葉を聞いた迅は小さく目を細めて、ほんの一瞬だけ、笑っているのか困っているのかよく分からないような表情を浮かべる。しかしその表情はすぐにいつもの飄々とした笑みに変わってしまったので、それが本当に見た表情なのか自分の勘違いなのか出水は答えを出しかねてしまった。
「ありがと、じゃあ頼むね」
そう言って迅は出水の手にそのストラップを乗せる。
「ああ、はい」
出水の返事を聞いた後、迅は小さく頷いて「じゃ、それだけだから。おれはこれで」と言って軽やかな足取りで去っていく。迅の背中が遠くなっていくのを少しの間見つめた後、出水は一人きりの隊室に再び戻る。シュン、と小さな音を立てて隊室のドアが閉まるのを聞きながら、出水は手の中のストラップを見つめた。
(しかし、いかにもなお土産だなー)
出水もこういうのは嫌いじゃないし、むしろ面白くなって買いたくなってしまう方の人間だけれど。これは単純に迅のセンスで選んだのか、それともネタとしてこれを選んできたのだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら、まあどっちだっていいんだけど、と出水はテーブルの上にそのストラップを置いてから再びゲームを再開したのだった。
「ん? なんだこれ。出水のか?」
数十分後、学ラン姿で隊室に現れた太刀川はテーブルの上のストラップを見てそう不思議そうに口にした。その言葉に、出水は頼まれたことを思い出してゲームのコントローラーを握ったまま太刀川の方に向き直る。
「あ、それ、迅さんからです。修学旅行のお土産、太刀川さんに渡しといてくれって」
「迅?」
その名前を聞いて、太刀川が驚いたように目を見開く。いつだって悠然として、動じたところなどほとんど見たことのないこの人がこんな反応をするのはとても珍しくて、逆に出水の方こそ驚いてしまった。
「どうかしたんすか?」
そう聞くと、太刀川ははっとしたような表情になって、がしがしと決まり悪そうに頭を掻いた。
「あー、いや。別に」
迅さんからのお土産がそんなに意外だったのだろうか、と思う。しかし自分はそれを渡してくれと頼まれただけで、あとのことは個人的なことなのであまり立ち入らない方がいい気がした。
「……、あいつ、なー」
ぼそり、とそう零れ落ちるみたいに呟いた太刀川は出水が今までに見たことのない表情をしていて、何だか座りの悪い気持ちになってしまう。この人こんな人間らしい表情とかできたんだ、と思わず思ってしまった。いや、別に普段が人間らしくないなんてわけでは決してないのだけれど、なんというかこう、微妙な情緒みたいな、そういう、ねえ。
太刀川はストラップを手で拾い上げて、それをじっと見つめている。どういう態度でこの場にいればいいのかわからなかった出水は、そんな太刀川の様子には気付かないふりをして、他の隊員が来るまでゲームの方に再び集中しておくことにした。