ふれてゆれる
「――なんか、案外変わらないもんだね」
思ったことを素直にそう零すと、太刀川はその言葉の真意を図りかねたようにぱちくりと瞬きをした。その反応を見て、迅は「あぁ、いや」と続ける。
「おれたち、……付き合い始めたわけじゃん? でも、別に今までとそんな変わんないもんだなっていうか。ま、これはこれで気楽でいいもんだけどね」
迅はそう言って、息を吐きながらベッドに凭れる。少しだけ拍子抜けをしたような気持ちもあり、残念なような気持ちもあり、しかしこれはこれで心地の良いものでもある。太刀川ほど気楽で、何も飾ったり取り繕ったりせずいい意味で雑に甘えても大丈夫な相手というのは迅にとってなかなか希有な存在でもあるのだ。太刀川は迅の言葉をじっと黙って聞いていた。
ここは太刀川が一人暮らしをするアパートの部屋の中、今はコンビニで買ってきた夕飯を食べ終え、なんとなくまどろんだような空気が漂っていたところである。
今日は迅は久しぶりに一日任務も用事も何もなく、同じく手の空いていた――今日は平日なので本当は大学があったのではないかと少し疑ってはいるが、しかしまあそこまでは迅の関与するところではない――太刀川と昼間からランク戦に興じ、その後まだなんとなく持て余した興奮のためにさっぱり別れる気分にもなれなくて、こうして感想戦がてら太刀川の家に転がり込んでだらだらと喋りながら一緒に夕飯を食べていたのだ。別に夕飯は本部の食堂で食べても良かったのだが、最近出たコンビニの新商品のうどんが美味しいんだよと太刀川が言ってじゃあコンビニ飯にするかということになった。
迅と太刀川はつい最近、付き合い始めた。勿論、恋人としてだ。自分の太刀川への恋愛感情を自覚したのも恥ずかしながら最近で、なんやかんやとあって迅からの告白に太刀川があっさりと頷く形で交際に発展することとなった。あまりにもあっさりと首肯されたものだから、それで本当にいいのかちゃんと意味は分かっているのか、と告白した側の迅が逆に質問してしまうほどだった。
今日は付き合い始めてから初めてこんなに長い時間一緒にいることとなって、正直なところ迅としては少しだけ緊張するような、期待するような、しかし同じくらいどうしたらいいのか分からないような気持ちもあった。自分たちの間にある何かが変わってしまっているのではないか、なんて。しかし太刀川があまりにいつも通りなものだからその気持ちもいつの間にか霧散して、すっかりいつも通り、友人同士の慣れた距離感と変わらぬまま接することができていた。
良くも悪くも、友人として過ごした時間が自分たちにとってあまりに濃密で長かったのかもしれない。欲求がないわけではない。しかし、だって自分と太刀川だ。自分たちの関係にそんな色気みたいなものなんて考えてみればなかなか想像が難しいし、今更関係性や距離感を変えようとしたってそんなすぐに変えられるようなものじゃないのかもな――迅がそう独りごちていると、太刀川がゆっくりと口を開く。
「……本当にそうか?」
太刀川の声は静かなものだった。その格子の瞳がじっと、探るみたいに迅を見つめている。太刀川の言葉に、迅は思わず「え?」と返してしまう。迅が驚いている間に、太刀川はぐっとその距離を詰めてくる。肩同士が触れ合って、お互いの服越しに太刀川の体温がじわりと迅へと伝わってきた。
「俺は結構、お前に触ってみたいとか思ってるけどな、今」
「……、っ!」
太刀川がこんな時ばかり真面目くさった顔で迅の顔を覗き込むようにしてそんなことを言ってくるものだから、心臓が跳ねた。自分の鼓動の音が急に大きく聞こえるようになって、そのことにまた動揺してしまう。
(触ってみたい、って、太刀川さんがおれに?)
直截な表現に、頭をがつんと殴られたような気持ちになった。
別に、告白に首肯した太刀川の気持ちを今更疑う気持ちがあるわけじゃない。しかし、太刀川とそういう欲が、自分の中であまり結びついていなかったのだ。だから、太刀川の中にそういう欲があること、それが恋人として自分に向けられていることに、思わず動揺してしまった。
じわり、と床についていた手のひらに汗をかいたのが分かる。それがなんだか恥ずかしくなって、太刀川にばれないようにきゅっと拳を握り込んだ。
「あんまりいつも通りだから、全然その気ねーのかなって思ってたけど。ま、それも別に悪くはないんだけどな」
太刀川は少しだけ困ったように、そう言いながらうなじのあたりをがしがしと掻く。すらりと伸びた首筋に目が行って、迅は思わずふいと視線を逸らした。
「そ、れはこっちの台詞だよ……」
急に今のシチュエーションを自覚する。夜、太刀川の一人暮らしの家、二人きり。太刀川の言葉の直後からいやに視界に映り込んでこようとするさまざまな未来視を今直視する勇気はなくて、意識の外に逸らすように努力した。
「で、どうする」
太刀川は再び迅の瞳をまっすぐにとらえるようにして、迅を見つめる。
「お前はどうしたい? 迅」
どうしたい、なんて、選択権を投げられて。自分の心に問いかけざるを得なくなって、わざとなのかは知らないけれどこの人のこういうところがずるいんだよななんて言葉をつい吐きたくなってしまう。
(どうしたいか、って、そんなの)
ぎゅっと一度唇を引き結んでから、迅はゆっくりと口を開く。
「おれも、おなじだよ」
その言葉が太刀川の鼓膜を揺らして、そうして太刀川は少し嬉しそうにふっと表情を緩ませる。この人、こんな表情できたんだ、なんてそんなことをこんなタイミングで知るのは、今の自分には質の悪い毒のように思えた。