真夏に青



 コンビニを出た瞬間、容赦なく照りつける真昼の太陽が肌を灼く。うるさいくらいに鳴き続ける蝉の声は毎年恒例のことで、これを聞くとああ夏休みだなという実感を連れてくる。ボーダーに入ってから太刀川の夏休みの過ごし方は一変したが、夏の景色というもの自体は毎年そんなに変わらないものだ。
「あーーー、っつ!」
 隣の出水がそう言って顔をしかめる。
「暑いなー」
「暑いっすよ、本部着くまでにアイスもそうですけどまずおれらが溶けそう」
 言いながら出水はコンビニの袋の中に手を突っ込む。そうして取り出した、今さっき買ったばかりのアイスを取り出した。シャーベットが容器の中に詰まっている、二つ繋がったおなじみのアイス。出水はそれを袋から取り出して、慣れた手つきで繋がった容器を分けてそのうちの片方を太刀川に差し出す。
「どうぞ、太刀川さん」
「サンキュ、出水」
 受け取ったそれの口を開けてぱくりと咥える。中身を吸うと冷たいシャーベットが口の中に広がって心地が良い。味はホワイトサワーだ。
「じゃ、溶けないうちに行くかー」
「ですね」
 同じようにもう一方のアイスを頬張った出水が答える。ゴミをコンビニの前のゴミ箱に捨ててから、並んでだらだらと本部へ向かって歩き始める。

 今は八月、夏休み真っ只中だ。といっても部活に励むでもなく、勉学に励むでもなく、俺たちは今日も今日とてボーダー本部基地へ向かっている。任務や隊でのランク戦の準備なども勿論あるが、それ以外は隊室でだらだら過ごすことも多い。隊を組んで、隊室を宛てがわれてからは、隊室が自分たちのもう一つの部屋のようになっていた。
 今日も本部へ向かう途中の道で、たまたま自分のところの隊員である出水と出くわした。暑い日々は毎日のことだが今日は特段暑く感じて、じゃあアイスでも買ってから行くかという話になったのが十数分前の話。コンビニで調達したアイスは勿論国近や烏丸の分もあるけれど、今食べているアイスは別個として、太刀川と出水の間だけの秘密だ。暑い中買ってきた差し入れなのでそのくらいは大目に見てもらっていいだろう。アイス代は隊長だからということで全額太刀川持ちなわけであるし。
 横断歩道を渡ろうとしたら信号が赤になってしまう。「あーっ、惜しい」と出水が唇を尖らせた。日向に立って信号が変わるのを待っていては暑くて仕方がないので、ブロック塀が作る小さな影に二人で逃げ込むように入る。日向よりはマシだけれどそれでも暑いことには変わりはなくて、遠くに見える本部の建物をぼんやりと眺めながら、じわりと頬を汗が伝うのを感じていた。

 去年の夏も暑かった。夏休み、暑い中で、去年もこの道を歩いて本部に通っていた。あの頃はまだ隊も組んでいなくて、本部に着けば一も二もなく個人ランク戦ブースに競うように転がり込んでいたものだ。今日出水と偶然会ったみたいに、あいつと本部に行く途中の道で会うことも多くて、あんまり暑い日だとたまにこんな風に行きがけにアイスを買って半分こしたりもして、でもあいつは驚いた顔なんていつもしなかったからきっと俺と会うことなんていつも分かっていて――。
 もう一年経つのか、と思う。長かったのか短かったのかわからない。去年の夏は本当にずっとランク戦ブースで、あいつとずっと戦っていた。しょうがないななんて顔をしながら、あいつだって自分でつくった新しい武器スコーピオンを手にしてどうしようもなく楽しそうにその青い瞳の奥を揺らしていた。夏休みが終わった頃、あいつは何かを決意したみたいな顔をしていた。それが何なのか、当時の俺には分からなかった。迅が言わないなら聞くべきじゃないと思っていた。その理由が分かったのは、それから数週間の後のことだった。
 迅が戦う姿を最後に見たのは、秋の日の模擬戦室、太刀川はそれをブースの外から見ていた。
 夏の名残なんてもうすっかり消え去っていた、涼しい夕方だったことを、今でもよく覚えている。

 出水との話もなんとなく途切れて、ミーン、ミーン、と蝉が鳴き続ける声を聞いていた。視界の端に横の横断歩道の青信号がチカチカと点滅しているのが見える。
 忍田さんに半分は丸め込まれるような形で組んだ隊は思っていた以上に楽しいものだった。隊員たちは皆優秀だし気のいい奴らでもあって居心地が良い。少し前に始まった隊でのランク戦も順調で、東さんたちの隊にはまだ勝てなそうだけれど今期もなかなか良い順位に行けそうだった。日々はそれなりに充実していると言えるし、それなりに楽しく過ごしていると思う。
 だけど。
(だけど、お前がいない)
 他の何をするよりも、どうしようもなく楽しかった。あの青い瞳が俺を捉えて、絶対に勝ち越してやるとその中の炎が揺れる瞬間のぞわりと駆けていく興奮も、その手から振るわれるあの鋭いスコーピオンと刃を合わせたときのたまらない高揚も、ランク戦で一日中戦ったあとに興奮冷めやらぬ様子で帰りながらだらだら喋り続けるあの時間も、全部楽しくて仕方がなかった。
 ぱったりと必要最低限以外本部に寄り付かなくなった迅が今どこで何をしているのか、今の太刀川はなにも知らない。
 今の毎日だって楽しいし不満もない。迅を責めるつもりもない。ただ、自分の中にぽっかりと空いた穴のようなものにたまに気付かされては、その穴をどうすることもできずにぼんやりと眺めている自分がいる。
 この一年で分かったことは、この穴はきっとあいつじゃないと埋まらないということだった。だとしたらこれはいつか埋まるときはくるんだろうか。わからない。しかしどうしようもなかった。
(だって、しょうがないだろ)
 口にくわえたアイスの容器がいつの間にやらびっしりと汗をかいていて、ぽたりと水滴が落ちてアスファルトに染みをつくった。
 信号が青になる。
「あ、行きましょ、太刀川さん」
「おー」
 出水の言葉にそう返事をして、退避場所にしていた日影を出る。直射日光がまた照りつけてきて、半袖のシャツから覗く太刀川の腕をひりひりと灼く。本部に着くまでに袋の中のアイスが溶けていないことを願いながら、太刀川は横断歩道を渡っていった。



(2021年5月16日初出)



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