いとしいけもの



 二人分の荒い呼吸が静かな室内に響く。迅がゆるりと腰を動かすと、中が擦れてぞわぞわとした快感が背中を駆けていく。「っ、ぁ」と吐息と共に零れ落ちた声に混ざっているのは苦しさではなく確かに性感であると正しく認識した迅が、腰の動きを徐々に早くしてくる。太刀川の弱いところをもう太刀川以上に知っている迅は確実に太刀川の弱いところを擦ってきて、太刀川は肩を震わせる。ゆるやかな動きかと思いきや急にぐんと突き上げられると思わずぐっと縋るように目の前にあったシーツを握りしめてしまう。先日洗ったばかりの白いシーツがくしゃりと皺を作った。
「あ、――っ! う、ぁ……、っ」
 引きざまに前立腺を迅の熱が掠めて、気持ちの良さに零れる声を止めることができない。元から止めようとするつもりもないけれど、自分の体をうまく制御しきれないというのは迅とこういうことをする時にだけ知る感覚だった。それを全く怖く思わないかと言えば嘘になるが、相手が迅だと思えば任せて委ねてしまえた。自分ではこの声に色気もなにもあるとは思えないけれど、迅は太刀川のこの声に興奮するのだという。もっと聞かせて欲しいと甘えるような声でねだるくせにそう言いながらこちらの性感を高めるその手や腰の動きはいつだって緩められることはなくて、なんて質の悪いやつを恋人にしてしまったんだろうなあという気持ちになる。とどのつまりそんな迅を太刀川だって心底から気に入っていたし、そんな迅のわがままめいた欲を向けられる自分自身に優越感すら抱く始末なのだから、結局のところ質が悪いのはお互いさまなのだということも知っていた。
「太刀川さん、きもちい?」
 迅が耳元に唇を寄せて普段より少しだけ掠れた声で囁いてくる。余裕のなさの表れか、語尾は普段よりどこか舌っ足らずだ。後ろから貫かれているので迅の表情は見えない。しかしきっと今は欲に濡れたひどい顔をしているのだろうと見えなくたって想像がついた。中にいる迅の自身も、背中にぴったりとくっついた迅の肌も熱くて、それに自分でも驚くくらいに煽られる。
「ああ、気持ちい――、……ッ!」
 返事の途中で迅が前に手を伸ばしてきて、太刀川の熱を包み込むように触れる。しばらく触られてもいなかったそれはすっかり勃ち上がっていて、快楽を待ちわびるようにとろとろと先走りを零していた。久しぶりの直接的な刺激を受けたそれは迅の手の中で小さく震えて、指先でつつ、となぞられると透明な液体をまたとろりと溢れさせる。迅が「うわ、やらしー……」だなんてたまらないといった様子で低く呟く。普段の飄々と人を煙に巻くような声色とは全く違う、雄臭さも欲の色も一切隠しやしないその声色に、やらしいのはどっちだよと言ってやりたくなった。しかしそんな言葉も、迅が前と後ろを同時に攻めたててきたせいで自分の喘ぎ声に飲み込まれてしまった。
「迅、っ、――じん、ぁ、あ」
 後ろから突かれるだけでも途方もない気持ちよさだというのに、同時に前も扱かれると体が熟れていくのはすぐだった。駆け上がっていくような性感に呑まれそうになる中で、迅の名前を呼ぶ。それにいちいち返事をするみたいに、迅が背中や首筋に唇を落としていく。太刀川をどんどん追い詰めていく腰や手の動きとは裏腹にいやに優しいその感触が迅らしくて愛しく思ってしまうのと同時に、その柔らかな熱をキスだと認識すればいやに口寂しいような気持ちになってしまってそんな自分を面白く思ってしまった。
 後ろから繋がるのも太刀川は嫌いじゃない。正面からするのに比べて体勢に無理がないし、その分性感に集中しやすい。より深いところまで迅のそれが届くのも、顔を見られることがないからか迅が自分の熱の高さや必死さをあまり隠そうとしてこないことも太刀川は結構気に入っていた。
 だけど、正常位の時にやたらとキスをしたがる迅のことも太刀川は好きだった。以前指摘したら驚いた様子で顔を赤くしていたので無意識のことだったんだろう。奪うみたいに、感情が抑えきれないみたいに衝動的に、時には慈しむみたいに迅は何度も唇を寄せてくるのだ。そしてこちらからキスを仕掛けると嬉しそうなのに悔しそうなおかしな表情をして仕返しとばかりにまたキスを返してくる。こんなところまで負けず嫌いなんだよなと思うとおかしくて、かわいいやつだと思う。
 がつがつと余裕なく攻めたててくる迅のことも好きで、気持ちが良くてたまらないけれど、何だか今日はその唇の熱も欲しくなってしまった。そんな自分だって迅に負けず劣らずわがままで欲張りなのだと気付かされる。
 迅とすることはなんだって楽しくて、ランク戦だってセックスだってする度に心の深いところまで満たされるくせに、それと同じくらいにもっともっと欲しいと渇望する。どれほど繰り返したって終わることのないこんな凶暴な欲を感じるのは、間違いなく迅に対してだけのことだった。
 これが終わったら、迅にキスを強請ってみようか。こちらから奪ってやってもいいが、今はどちらかといえばそう伝えた時の迅の反応を見たい気分だった。恥ずかしがるだろうか、それとも我慢のきかない獣みたいに噛みついてくるだろうか? そう想像するだけでも楽しい気分になった。
「なに、考えてるの」
 意識がよそに逸れていたことに気付いたのだろう、迅が「太刀川さん、余裕あるね? 悔しいなぁ」なんて軽口めいた口調で言いながらこちらの集中を呼び戻そうとするように親指で先端をぐり、と押される。体がびくりと震えて、口から小さく熱の籠もった声が零れる。それに背後の迅の雰囲気がわずかに和らいだのを感じて、まるで拗ねた子どもだなと思って、それすらかわいいと許してやりたくなる自分も大概この男にすっかり惚れている。
「なにって、……っ、お前のことだけど」
 そう返すと、一瞬の間の後迅が「……なにそれ」と言う。虚を突かれたような声だった。その後、迅が気を取り直すように続ける。
「――……嬉しがらせようとしたって騙されないからね」
「別に騙すつもりはないんだけどな」
「どうだか」
 迅は拗ねたような口調を止めない。しかしその声色には隠し切れない嬉しさが滲んでいるのに気付いて、太刀川はゆるく口角を上げる。ああやっぱり後でこっちから噛みついてやりたいような気もするな、なんて太刀川が企んでいたところに、迅に肩口に柔く噛みつかれた。


(2021年5月22日初出)



close
横書き 縦書き