kissin'
今日はキスの日、なのだそうだ。玉狛支部のリビング、朝食を終えて食器を流し台に戻しに行く途中で朝の番組でそんなことを言っていた。耳に入ってきたその情報に、ふうん、とだけ思って、流し台に食器を置く。今日の朝食当番ではない迅は、自分の食器を流し台に運ぶまでが仕事だ。今日の朝食当番、兼洗い物当番で既に流し台の前にいたレイジに「ごちそうさま」と声を掛けて、ヒュースと陽太郎がテレビを見ながらああだこうだ話している声を背中に聞きながら迅はリビングを後にする。
(キスの日、……キスの日、ねえ)
玉狛支部の廊下を歩きながら、迅はぼんやりと心の中でそう呟く。その言葉を聞いてすぐに脳裏に浮かんでしまったのは、どうしたってやはり、恋人というやつの存在だ。
キスを最後にしたのはいつだったろう。このところお互いになかなかタイミングが合わなくて、あまり会えてすらいなかった。別にいつだってベタベタとくっついていたいとか、毎日連絡を取り合いたいとか、そんな甘ったるい関係でもない。会えなければ会えないで、お互いのやるべきことや日常を送っていくだけだ。迅だってここしばらく暗躍やら何やらで色々と動いていて、それに集中していたためかその間太刀川が恋しいなどという感傷に浸ることもなかった。
(……今日、太刀川さんが本部で暇してるだろうことは分かってるんだよなー)
サイドエフェクトが既にそう迅に教えてくれている。あとは自分が本部に向かいさえすれば、太刀川にはすぐに会うことができるだろう。
思い出してしまえば、会いたいな、だなんて欲も一緒に思い出してしまう。会って、あの人の顔を久しぶりに近くでじっくり見たかった。ランク戦でもしてどうでもいい話をして、そして――二人きりになったら、触れてみたい。その唇に、あるいはその他の場所にだって、生身の彼を確かめるみたいに触れたいと思った。そんなことを思って、迅の心はぐらりと疼いた。
太刀川とのキスは好きだ。単純に気持ちがいいというのもあるけれど、それだけじゃない。
――自在に弧月を操り、黒の隊服を靡かせて戦場を駆ける、強いあの人の唇が驚くほどに柔らかいことを知っている。低くて、男っぽくて、鷹揚な声が紡がれるその唇の温度を知っている。
その場所に触れることを、好きなように暴くことを、自分だけが許されている。
そう思い出すだけで、かっと体温が上がる。そんな自分が恥ずかしくなって、迅は思わず顔を手で覆った。
(~~うー……、っわ)
久しぶりに生々しく思い出してしまえばこれだ。廊下に誰もいなくてよかったなんてことを思いながら、急いで自室に戻って扉を閉める。ベッドの上にへたり込むように座って、動揺をゆっくりと落ち着かせていく。
あの人のことになると、感情にうまく自制がきかなくなってしまう自分がいることは昔から自覚していた。しかしあの頃より随分大人になったはずだというのに、未だにそうである自分を見つけるたび動揺して、少しだけ悔しいような気持ちにもさせられてしまう。
はあ、と息を吐く。上がった体温が少しずつ平熱に落ち着いていくのが分かる。しかしまだ心は期待と欲と厄介な恋情に疼いたままだ。
(……太刀川さんに会いに行こう)
観念するみたいに迅は心の中でそう呟く。その唇の、太刀川の温度に触れたかった。自分だけがそれを許されているのだと、そして求められているのだと、何度だって飽きずにあの人に実感させられたい気分だった。