林檎の赤
くしゃりと笑ったその顔をかわいいなと思った。そんな自分にも、そしてこいつこんな顔するんだなということにも驚いた。子どもっぽい、無邪気な、自分を取り繕おうという意識が緩んだような隙のある表情。その表情に、今までなんの話をしていたのかを一瞬忘れてしまった。そもそも、中身のある話などしていなかったのは確かなので忘れたって問題はないのだが。
いや、ずっと前にこれに似た顔なら見たことがあるかもしれない、と思い直す。それこそランク戦で毎日のように競い合っていた、スコーピオンをつくって俺の前に立った頃だとか。普段は澄ました顔を崩さないことに余念がないくせに、ランク戦の時、あるいはその後なんかは感情のコントロールの意識が緩むのか、不意に楽しくてしょうがないみたいな顔を見せるときがある。そういえば俺はそんなこいつの顔を見るのがすごく好きだった。
大人になってから――大人、といってもまだお互いに二十歳と十九歳だけれど――はこんな表情をみることはとんとなかったように思う。そもそも、最近迅がA級に戻ってくるまでは、昔よりなんとなく距離が空いたままだったずるずると過ごしていたのだ。この数年は迅の大人ぶった、すかした表情ばかりを少し遠くから見ていたように思う。
「? 太刀川さん、どうかした? 急に笑い出して」
「ん? あぁ」
どうやら自分も顔に出ていたようだ。人のことを言えないな、と思うのと同時に、自分では気づいていないらしいこの男をまたかわいいやつだと思った。かわいい。かわいいだって。この男にこんな感情をもつなんて思ってもみなかった。惚れた弱みとかいう言葉をよく理解できずにいたが、もしかしたらこれがそういうやつなのかもしれないと思い至る。
「おまえのそーいう顔かわいいなと思って」
「かっ、……!?」
まったく予想外の言葉だったのだろう。迅が驚いたように目を見開く。その後じわりと耳が赤くなっていくのをみた。迅が意外と照れ屋だということも最近、それこそ恋人という間柄になってから気付いたことだ。
「太刀川さんって、恋人になるとそういうこと言う人なんだ、へー、知らなかった……」
迅が悔しそうな声色で言うので、太刀川は素直な感想で返してやる。
「恋人かどうかで意識が変わるかは自分ではわからんが……、おまえこそそうなんじゃないか?」
「なにが」
「最近は随分澄ました顔ばっかだと思ってたけど、コイビトの前ではそーいう油断した顔するんだなってこと」
いやでもそれって恋人だからなのか、それとも俺だからなのか、どっちなんだろうかと言ってから思う。しかし太刀川がそんなことを考えている間にも迅の耳はまた赤さを増した。
「うーーわ、やだなにこれ、ちょっとこっち見ないで」
どうしようもなくなったようにそう言った迅が顔ごと太刀川から逸らそうとするので、両手で頬を掴んで無理やりこっちを向かせてやる。こんな珍しくて、かわいい顔をした迅を、みすみす見逃してやるほど自分は優しくも枯れてもいない。
「嫌だね」
言ってから、迅が何か言い返してくる前に唇を触れさせる。文句を言う割にキスは避けようとしないんだから、素直でかわいいヤツだと思った。