今と、それとこれから



 缶を傾けると、隣から向けられる視線に気が付いた。顔を向ければばちんと目が合う。太刀川が何かを聞く前に、視線で察したらしい迅が口を開く。
「うーん、太刀川さんがビール飲んでるのって未だになんか面白い」
「面白いって何だよ」
 先程の外の空気よりもさらに冷たいように思えたビールを飲み込んだ後、悪戯っぽい顔で笑う迅に言えば、「面白いもんは面白いんだよな~」と何がおかしいのかけらけらと笑う。太刀川が迅の前でビールを飲んだのはこれが初めてではないというのに、迅はどうやら未だに見慣れないらしい。そりゃあ高校生の時からお互い知っていて、その頃は毎日のようにつるんでいたからその頃の印象は強いのは分かるが、しかしなかなか失礼な言いようである。とはいえ、太刀川はその程度特に気にもしないし、迅だってそんな太刀川のことを分かっていて言っているのだろう。迅はそういうところはよくよく、丁寧すぎるくらいに、見極める男だ。そんな男が、こんな風にふざけた調子で雑に話しても大丈夫だと判断した相手が自分であるのだと気付いてしまえば、嫌な気持ちなどさらさらしないものだった。
 会議やら暗躍やらなにやらを終えてきたらしい迅がランク戦ブースに入ってきたのは、ブースが閉まる直前の時間だった。その時間なるともう大学生以上の隊員か、毎日遅くまでブースにこもっているランク戦好きくらいしかもうブースには居ない。太刀川は勿論その一人だった。高校生組が宿題があると言って帰ってからなかなか相手が捕まらず暇をしていたタイミングをまるで見計らったかのように――迅のことだから本当にサイドエフェクトで視てから来たのかもしれない――やって来た迅にランク戦を挑まないなんて選択肢はなかった。勢い込んでランク戦に誘う太刀川に、迅はしょうがないななんて顔をしながらその瞳が楽しげに揺れていたのは誤魔化しきれてなどいなかった。そうしてブースが閉まるまでの時間いっぱい、なんなら少しばかりオーバーしての十本勝負を終え、そのまま当たり前みたいにして二人で太刀川の家に帰宅した。これは迅がランク戦に復帰して、そして二人の間の関係性に新たな名前が加わってからもはや恒例と言っていい流れだった。
 風呂に入った後、そういえばこの間大学の同級生たちと宅飲みをした時に余ったビールがまだ冷蔵庫に入っていたと思い出してビールを一缶あけることにした。どうせ明日は大学は四限の一コマだけで、防衛任務もない。ちょっとした晩酌を楽しみながら迅とぐだぐだ中身のない話をしていたところ、不意に目線を向けられて、話は冒頭に戻る。
「ビールって美味しいもん?」
 迅がそう聞いてくるものだから、少し考えた後ふいと飲みかけの缶の口を迅の方に向けてみる。
「飲んでみるか?」
 太刀川が言うと、迅はくっとおかしそうに目を細める。
「うわ未成年に飲酒勧めた~。ま、間接キスは魅力的だけど」
 そんな軽口を叩く迅が妙に子どもっぽい顔をしている。普段は意識することなんてほとんどないというのに、そういえば一つ下なんだよなあなんてことをこんなところで不思議と思い出させられた。
 飲みかけの缶を自分の方に戻した後、太刀川は返す。
「冗談。っつーか言い出したのはおまえからだろー。あと別にキスは間接なんて遠慮せず直接すればいいと思うけどな」
 言いながら、思いつきのようにわざとらしく距離を詰めてみる。こつんと肩と肩が触れ合った。
「わあ太刀川さん大胆」
 迅はそう言って冗談めかして笑う。しかし、間接キスだなんていじらしいようなことを言わないで別に好きな時に好きなようにすればいいと思っているのは本当のことだった。
 再び缶を傾ける。喉をきんと冷えた、少し苦い麦の味がしゅわしゅわと小さく弾けながら落ちていくのが分かる。美味しいかどうか、か。「そうだなー」と言いながらまた少し思案してから迅の質問に答える。
「嫌いじゃないしまぁ普通に美味いと思うけど、よく言われてるほど美味いとは正直そんなに思わないな。でも、そのうち分かるようになるって言ってた、忍田さんが」
 太刀川の言葉に、迅はへえ、という顔で頷く。
「そーいうもんか」
「そーいうもんらしい。俺がビール初めて飲んだとき苦いって言ったら笑ってたしなんか嬉しそうだった」
 成人祝いだと忍田に初めて連れて行って貰った居酒屋での出来事を思い出しながらそう言うと、迅は何がツボに入ったのかけらけらと肩を震わせて笑った。
「うわー、想像できる。忍田さんそーいうとこあるからね。太刀川さんのことまだ子どもだと思ってたいみたいな」
「そうなんだよなあ」
 まだ小さく笑っている迅を見ながら、そういえば、と思う。
「あと何ヶ月だ、二ヶ月?」
 主語のない言葉に迅は「ん?」と一瞬不思議そうな顔をした後、すぐに合点がいったようで「ああ、おれが成人するまで? そうだね」と言う。迅なら通じるだろうと思ったが、本当に何も言わず通じて言った当人ながら妙に感心してしまう。こういうところで、迅と話しているのは心地がいいと改めて思った。
「そしたら飲もーぜ、一緒に」
 そう言ったのは、自分の中ではひどく自然な流れだった。当たり前みたいに、何も考えずに口から出た言葉。それを聞いた迅の反応にほんの一瞬だけラグがある。おや、と太刀川が不思議に思うのと同時に、迅の表情がゆるりと僅かに柔らかくなるのが分かった。
「うん」
 なんてことない風な返事なのに、それだけでなぜか分かってしまった。ほんの少し、迅の表情に滲んだ、声色にこもった、迅の感情の変化。
(……なんだろうなあ)
 こいつは変なところで妙に遠慮がちになる時がある、と、太刀川は短くない迅との付き合いの中で気付いていた。しかも、何が琴線に引っかかったのか分からないような瞬間で。
 ランク戦で対峙する時なんかは、俺の首を刈り取ることしか考えていないみたいな、楽しそうで性質が悪くてしょうがないような顔をするくせに。欲しいと願ったものを新しい武器を作ってまで手に入れようとするくせに、暗躍だと言っては人の幸せばかり願って、自分の幸せには鈍感なところがある。アンバランスだ。でもそのどれもが間違いなく迅だった。
 だから面白いと思うし、興味を惹かれてやまないし、時々どこまでも甘やかしてやりたいなんて衝動が起きることがある。そんな自分がおかしい。迅の中にいろんな顔があってそれを見つけるのが面白いのと同じように、自分だって迅に触れることで自分でも知らなかったいろんな自分に出会うことがあるって、それもひどく面白い気分にさせられた。
 そんなことを考えていることを言うべきかほんの少しだけ迷って、だけど、やめにする。
「おまえ酒強いのかな? 酔っ払ったとこ見たいな」
 気付かなかったふりをして、どうでもいい話を続ける。太刀川の言葉に、迅は目で笑ったままわざとらしく眉根を寄せてみせた。
「ひでーの! 太刀川さんだってそんな強くないくせに」
「いやー、おまえも酒に弱い気がするぞ。俺のサイドエフェクトが……」
「太刀川さんサイドエフェクトないじゃん、おれの決め台詞そんな雑に使わないでよ」
 そう呆れたように言う迅がおかしくて、太刀川はなっはっはと声を出して笑う。
 ――あと二ヶ月して、迅が成人して。二人でお酒を飲んで酔っ払ってぐずぐずになって、二日酔いで頭が痛いなんて言いながら、そんな自分たちをばかみたいだと笑って。高校生の時と似た、でも高校生の時にはできなかった、そんなやりとりを迅とできる未来がもうすぐくるのだろう。
 そう思うと、どうしようもなく楽しい気分になってしまった。これはサイドエフェクトじゃなくてただの想像だ。でも本当にそれは現実になるような気がした。
 だって目の前の迅が、過去でも未来でもなく、毎日あちこち顔を出しては熱心に思案している余所事でもなく、今の俺をまっすぐに見ているから。
 先程触れた肩はまだ離れない。「太刀川さん、酔ってきた? 体あったかい」なんてどこか楽しげに言う迅に、「そうだなあ」なんて言って太刀川はまた笑うのだった。

(2021年6月13日初出)



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