とかされて夏と熱
コンビニで買ってきたばかりのアイスを太刀川が冷凍庫に仕舞っている間に、居室に先に足を踏み入れた迅はベッドの上に放られていたエアコンのリモコンを手に取った。迷いなく「冷房」のボタンを押すと、小さな稼働音の少し後に冷やされた風が部屋の中に吹いてくる。体を機械的な冷たい風が冷やしてくれるのが心地よいはずなのに、外から帰ってきたばかりの体はまだ火照っていて新しい汗をじわりと滲ませる。
「は~~、あっつ」
迅はベッドを背もたれにして座って、少しでも冷たい風を取り込もうと手をうちわの代わりにして仰ぐ。そうしているうちに、迅に負けず劣らず汗だくの太刀川がキッチンから戻ってきた。エアコンがついていることに気付くと、その分かりづらい表情が少しだけ明るくなる。
「お、ちょっと涼しい」
「つけたばっかだから、まだちょっとだけどね。外暑すぎじゃない?」
「予想以上だったな」
「やっぱ、夕方まで本部にいた方がよかったかもね」
エアコンの風を浴びながら、迅はそう口にする。風が直接当たる位置に座っているから、迅の髪の毛はさらさらと小さく揺れる。
今日はお互いに防衛任務が昼までだった。担当する地区は異なるけれど同じ時間帯の任務ということで、じゃあ終わったら一緒に太刀川の家に帰ろうという話になったのだった。二人の関係性に新しい名前も加わってからは、こういう流れももう珍しいことではなくなった。防衛任務は滞りなく終わって合流して、そこから換装を解いて太刀川の家に向かうことになったのだが――何しろ夏まっただ中の昼間、ほんの十数分外を歩いただけでもTシャツが汗でぐっしょりと濡れてしまうほどの暑さだ。トリオン体では暑さの感じ方は調整できるので、こんなに暑いとは任務中は意識することはなかった。
あまりの暑さに太刀川がアイスを買いたいと言い出して、途中適当なコンビニでアイスをいくつか調達した。そのうち棒のアイスは待ちきれずに二人して帰りの道中で食べてしまったのだけれど、その涼しさもほんのわずかな時間だけで、腹の中におさまってから少し歩けばすぐにすっかり暑さに体がやられてしまった。買い置き用に家までちゃんと持ち帰ってきたアイスも、中身は確認していないけれど溶けていないかが少しだけ心配である。まあ、多少溶けて崩れても冷凍庫の中でまた冷やし直せば食べられるか。
迅の言葉を受けた太刀川は、「うーん」と彼にしては珍しい煮え切らないような返事をした。なんだろう、と思ったけれど、暑さで頭もだいぶやられているのだろうか。深く考えず、まあいいか、と流してしまった。
太刀川が迅のすぐ隣に腰を下ろす。すぐ近い距離の太刀川の温度もじわりと伝わってくるようで、しかし暑いくせにそれは離れようという気にはなれないのだから現金なものだと自分で自分に思う。
――と、そうやって自分にしては珍しいくらいに油断していたのだろう。太刀川が何やら動いたことに気付くのが、一瞬遅れた。
「……ぅひゃあ!?」
突然首の斜め後ろのあたりをべろりと舐められて、その湿った舌の感触に、思わずあられもない声を上げてしまった。
そのことに一拍遅れて羞恥がやってきて、折角クーラーのおかげで冷やされてきたはずの耳や頬がぶり返すみたいに熱をもつ。ばっと太刀川の方を向けば、堪えきれなかったように小さく笑っていて、それにまた恥ずかしさが増してしまった。
「汗ってほんとにしょっぱいんだな~」
「なに、突然、犬か何かじゃないんだから!」
太刀川の行動が読みにくいのはいつものことだが、何だって突然人の汗を舐めてきたりするのだろう。動揺がおさまらないまま、迅の心臓はどくどくと脈の音を大きくする。
「いや、だって、汗かいてるおまえがなんかすげーえろかったから」
また、心臓の音がばかみたいに大きくなるのが分かった。そう言う太刀川を見れば、迅と同じくらい汗をかいたままで、その目の奥に間違いようのない色が確かに揺れていた。それに気付いてしまえば――迅はごくりと生唾を飲み込んでしまう。そんな迅を見て太刀川は満足げに目を細める。
太刀川のせいで、まだそんな雰囲気では無かったはずなのに、こちらのギアまで急にぐんと入れられてしまった。太刀川の頬を、つう、と汗の雫が伝っていくのがいやに目に焼き付く。えろいなんて言われても、そんなの、その言葉をそっくり返してやりたいと思ってしまった。
「本部だとこういうことはできないだろ?」
ああ、帰ってきたばっかりだっていうのに。こんな真っ昼間で、お互いに汗だくで、シャワーすら浴びていないっていうのに。いつだって余裕ぶっていたい心の中の自分がそんな言い訳を並べ立てるけれど、心はもう太刀川に誘引されるみたいにすっかり熱を帯び始めてしまっていた。
太刀川に、少しだけ、自分から体を寄せる。汗をかいた太刀川の体からは普段より少し彼のにおいを強く感じて、それに自分でも呆れるくらいに劣情を感じて心を揺さぶられてしまった。
「これは、熱烈なお誘いだって思っていいやつ?」
太刀川の手の上に、自分の手のひらを乗せる。太刀川はまるで何かに挑むみたいに口角を上げて迅を見つめ返す。
「視えないか?」
その言葉を引き金にしたみたいに、ぶわりと視界の端にいくつもの未来視が現れる。しかしそのどれもが、この先の出来事をもう確定するもので――。
「……視えるけど。すげーやらしい未来」
そう言ってやると、太刀川はふっと笑う。その表情がひどい色気を纏っていて、それを見た瞬間、迅は我慢の切れた犬みたいにその唇に食らいついた。
さっき太刀川を犬みたいだと形容したくせにこれだ、と自分に呆れるのに、でも煽られたからには受けて立たないいけないからさなんて言い訳じみて思う自分も同時にいる。
折角クーラーつけたのに、また暑くなっちゃうな――なんて、そんなどうでもいいことを頭の隅で思いながら、触れ合った唇の熱を貪ることにすぐに夢中になってしまった。