星屑の水槽



 ひとつ寝返りを打ってみても、うっすらとしたままの眠気は意識を全て覆うには足りない。じっと目を瞑っていることにも飽きてしまって、目を開けてみる。電気の消された部屋の中、先程までは真っ暗に見えていたのに眠気を待っている間に暗さに目が慣れてしまったらしく、少しだけ明暗がはっきりとみえるようになってきた。
 天井に備え付けられた照明器具、閉じられたカーテン、ぼんちの段ボール、そして机と、その上に置かれた昨日までより少しだけ大きなトリガー。
 そのシルエットを少しの間じっと見つめた後、ふいと逸らしてもう一度寝返りを打つ。再び仰向けになって、暗い天井を見つめた。ぼうっと見つめていても、何も起こらない。今夜は普段より一層静かな夜だ。窓の外側を小さく叩く小雨の音だけが、迅の鼓膜を揺らす。
 日頃ずっとトリオン体でいるせいで、迅の寝付きはあまりいい方ではない。しかし今夜は普段以上になかなか眠気が意識を浚いきってくれない夜だった。頭がまだざわざわと高揚しているのかもしれない。いや、高揚というのは少し違うような気もする。とにかく、不思議と凪いだような迅の気持ちとはすっかり分離してしまったかのように頭の中はまだ妙に忙しないままで揺れている。
 今日の昼過ぎ、“風刃”――最上さんの黒トリガーの争奪戦が行われた。
 決着が着くのはあっという間だった。その場にいる候補者たちを次々なぎ倒して、最後にひとりで立っていた。そうして争奪戦は終わり、模擬戦室を出て、そのまま別室に向かい事務関係の手続きをいくつか終えたあと風刃を渡された。持ち慣れたノーマルトリガーよりもずっしりとしたその重みに、渡された瞬間少しだけ手が沈みそうになった。だけどそのすぐ後に、ああ軽いなって思ったんだ。
 後悔をしているわけじゃない。それは決して。強がりなんかじゃない。今日は勝つつもりしかなかった。ほかの誰かに渡すつもりなんてなかった。そうするべきだとサイドエフェクトも教えてきていたし、なにより、おれがそうしたかった。ただただ、それだけ。おれが、おれ自身の意思で考えて選んだことだった。
 なのに、ひとつだけ。
 ずっと、過去のおれがおれの服の裾をぴんと引っ張ってきている心地がしている。行かなくてはいけないと知っている。なのに、そのせいで、足が躊躇って縺れそうになる。
(……ねえ、あんな顔初めて見たよ、太刀川さん)
 模擬戦室を出たあと、正面にいた。言葉は交わしていない。おれがすぐに手続きのために移動してしまったから。
 楽しそうな顔を、数え切れないほど見てきた。弧月を手にしてこちらを見るおっかない顔も、ランク戦に誘ったときの嬉しそうな笑顔も、負かした時の悔しそうな顔も、ランク戦を断ったときの拗ねた顔も、沢山の彼の表情をすぐ近くで見てきたつもりだった。
 だけど今日の、あのときの、太刀川の表情は一体なにを思っていたのか。うまく読み取れなくて、そんな自分に動揺して、ふいとすぐに目を逸らしてしまった。その後、太刀川には会っていない。
 終わりになるって分かっていた。それを知っていて選んだ。もっと彼と戦って遊んでいたかった自分にも本当は気付いていた。それでもおれは、平気でいられるつもりだったんだ。
 ちらりと横目でトリガーを見る。暗闇の中で静かに佇んでいるそれは、何も言わない。あたりまえだ。
 もう一度目を閉じる。小さなはずの雨の音がいやに大きく聞こえて、心の中をくしゃりと小さく乱す。
 明日から、トリガーを起動したら出てくるのはスコーピオンじゃない。エスクードも、シールドもない。最上さんが遺してくれた、超高性能トリガーの風刃。
 それを自分が使えることに、確かに心は満たされているはずなのに。

 ――ねえ、こんな雨の夜、あんたはどうしてる?
 いつも通りすやすや元気に寝ているならそれでいい。あんな顔してたことなんて忘れて、明日にはいつも通りのあの呑気な顔で。その方があんたらしいよ。そう思うのに、同時に、こんなふうにうまく寝付けないような夜を同じようにぼうっと過ごしていたらさ、どうしようなんて思うんだ。


(2021年8月14日初出)



close
横書き 縦書き