洗面台ラプソディ
ごくありふれた一人暮らし用の洗面台だから、男二人で並んで使えば普通に狭い。それでも別に近い距離を不快に思うような相手ではないし、お互いに相手に先を譲ってあげようなんて謙虚さを持ち合わせてもいない。つまりは、それだけ気の置けない相手であるということだ。
しゃこしゃこと二人分の歯磨きの音が洗面所に響く。玄関のドアの向こうでは車の音や子どもたちの声など少しずつ音の数が増えて、街が目を覚まして一日が始まろうとしていることが感じられた。
ちらりと隣を見やると、迅はいつの間にか迅専用のようになっているグレーのスウェットを着たまま、まだ少しだけ眠そうに瞳をとろんとさせている。迅は朝が弱いということは、高校生の頃からなんとなくは知っていたけれどこんな風に無防備に眠そうな顔をしているのを見たのは付き合い始めて、そして夜を共に過ごすような関係性になってからだった。昨夜はなんだかんだ盛り上がってしまって太刀川だって寝不足だし少々負荷のかかった体は少し怠いが、太刀川より迅の方がずっと眠そうなのが面白い。
昨夜はあんなにぎらついて欲に濡れた目でこちらを組み敷いてきた男が、今はうって変わってぽやぽやと油断した無防備な顔を太刀川の隣でさらしている。なんだかそれが自分でも面白く思うくらいにかわいいと感じてしまって、この男への恋情を改めて自覚する。恋というものはひどく不思議で、面白いものだ。
歯磨きを終えて口をゆすぐと、迅もそれに続く。気づけば二つ並べて置くようになった歯ブラシをいつもの位置に立てかけて、迅が口をゆすぎ終わったのを確認して名前を呼んだ。
「迅」
「ん?」
呼ばれた迅がこちらを見る。その声色もいつもよりもどこかふわふわとした様子だった。
かわいいな、という気持ちのままに唇を寄せる。まだ眠気でぼーっとしていたからか、迅はろくな抵抗もなくそのキスを受け止めた。ん、と小さな吐息が迅の口の端から漏れる。迅の唇は自分と同じ、歯磨き粉のミントの味がするのが少し面白かった。
触れただけで唇を離すと、迅がぱちくりと目を瞬かせた。
「……なに、急に」
「いや? なんとなく」
そう言うと、迅は困ったように眉根を寄せた。本気で理由がわからないといった顔だ。普段はなんでも分かってますみたいな大人ぶった顔ばっかりするくせに、気を許した相手といる時だけ、油断してそういう顔するからかわいいやつなんだよな、と思う。
「太刀川さんのスイッチ、ほんとわかんないな~……」
迅がぶつぶつと言いながらも、その口の端がわずかに緩んでいることに気づかない太刀川ではない。しかしそれを指摘すれば迅が拗ねてしまいそうなので言わないでおく。とん、と仕返しとばかりに肩を軽くぶつけられて、そんな戯れを楽しく思って太刀川はくつくつと小さく笑うのだった。