Because,



 懐かしい言葉を口にすると、相対したその青がゆらりと、しかし確かに鋭く光った。ぞわ、と生身ではないというのに肌が一気に粟立って血が沸き立つような感覚がしたのは、その眼差しを俺は間違いなく知っていたからだ。
 三年以上も目にすることがなかった。長いこと真正面から向けられることのなかったそれを久しぶりに受けて、頭よりも先に体がびりびりと喜びと高揚に疼いた。知らず口角を上げると、その生意気な顔が小さく笑う。他のやつらは気付くか分からない程度の変化だ。しかし太刀川には分かる。
 押し込めた。
 諦められてなんかいなかったけれど諦めたふりをした。
 あの時は、そうすることしかできなかった。
 あの秋の日に青いサングラス越しに見た目の冷たさは太刀川の知らないもので、それ以降は飄々と大人ぶった軽い目をするばかりで、とんとかつての色を目にすることはなかった。
 それにどこか勝手に一抜けされたような、言いようのないもやもやとした寂しさや不満を覚えたけれど、どうしようもなかった。迅が自分で決めて選んだことを、太刀川が無理やり自分のエゴだけで引き戻すことはできなかった。あんな目をされてしまっては、なんと声をかければ良いのか、普段は自分の行動に迷うことなんてないのに太刀川は分からなくなってしまったのだ。
 子どもから、大人へと変わっていく時間。変化していくものを、ただ眺めることしかできなかった。
 手にした弧月を軽く握り直す。そのわずかな仕草にも迅はぴくりと反応する。青い眼差しが太刀川を見る。その目の奥で、涼やかなくせに灼けてしまいそうに高い温度が揺れている。
 ――おまえ、全然変わってねーじゃんか。
 そう心の中で呟いた言葉は、紛れもない、腹の底から湧き上がるような嬉しさだった。



 外に出た瞬間ひゅうと吹いた風に寒いと呻くと隣を歩く迅に笑われた。ほとんど常に換装体で通している迅は寒かろうが暑かろうが関係ないために、Tシャツに薄いジャージ一枚なんていう寒そう極まりない格好でもどこ吹く風である。それを少しだけ憎らしく思うが、太刀川は基本的に任務やランク戦の時以外は生身派だ。単に気分の問題であるのと、自分たちの隊服は普段着には目立ちすぎるというのもある。隊服自体は最高に格好良いと思っているので変えるつもりは更々無いのだが。
 盛りだくさんの一日が終わって、ようやくの帰路である。先程まで風間も一緒に居たのだけれど、帰り道が違う方向なので本部の中で別れた。今は迅と二人だけだ。真冬の空は高く澄んで、浮かんでいる月は一つだけ。近界とは違う玄界の空に帰ってきたことを実感する。
「遠征行ってたから、帰ったときの気温分かんなかったんだよ。一応冬物のコートは持ってきてたけどなあ……十二月ってこんな寒かったっけ」
「冬なんだから寒いでしょ。ていうか遠征帰りなんだよね、そういえば。おつかれ」
「おーありがとな。なんか遠征行ってたのすげー前に思える」
「なにそれ、つい数時間前まで遠征艇にいたんじゃなかったの?」
「だっておまえと久々に戦って、しかもランク戦復帰するとか言うから」
 太刀川が言うと、隣の迅がぱちりとひとつ瞬きをした。
 横目でちらりとこちらを見る。青い瞳が月の光を反射して淡く輝いているように見えた。
「つーかおまえいつランク戦来る? 明日か?」
 そうだ、と思って迅の方に顔を向けて勢い込んで聞くと、迅は小さく目を見開いた後、くっとおかしそうに笑った。
「太刀川さん、せっかちすぎ。実力派エリートは忙しいの。明日すぐはちょっと無理かなー」
 しかし迅はそんなすかしたことを言うので、太刀川は「はあ?」と唇を尖らせる。
「本当は今すぐにでも戦りたいのを我慢してるのを褒めてほしいくらいだっての。じゃあ、いつなら空いてんだよおまえは」
 そう、本当は今日すぐにでもランク戦ブースに連れ込んでやりたいくらいだったのだ。しかしランク戦ブースは開いている時間が決まっていて――メンテナンスの関係と、そしてランク戦好きのやつらが真夜中まで時間を忘れて入り浸らないようにということだと以前忍田に含みを持って言われた――今日はもう閉まってしまっていたのだ。だから戦りたい気持ちをぐっとこらえてこうして大人しく帰路についているというのに。
「うーんそうだね、玉狛にもかわいい後輩が入ったばっかりだし、今後も……まだちょっとやることもあるんだよ。だからいつできるかって今確約はできないけどさ――」
 空を見ながら軽く頭を掻く仕草をした迅が、ふう、と小さく息を吐く。沈黙が落ちた瞬間、また風が二人の間を吹き抜けて、その冷たさに太刀川は身を縮こまらせた。対して迅の横顔は涼しいものある。
 迅の顔が再び太刀川の方を見る。その青い目がまた光る。
 また月を反射しているのかと思ったけれど、違う。迅の瞳自身が光っているのだ。
「でも、時間できたらランク戦ブース行くから。その時はポイントたっぷり貰ってあげるから覚悟しといてよ、太刀川さん?」
 言い終わった迅が、にまり、と悪戯っぽく口角を上げる。
 青い目は楽しげにきらきらと瞬いて、しかしその奥には間違いようもない性質の悪い負けず嫌いが炎になって揺れている。
 久しく見ていなかった迅の目だった。でも確かに太刀川はそれを知っていた。三年ちょっと前、自分たちがまだ高校生だったころ。迅はランク戦のことになるとこうやっていつも太刀川を煽っては、こんな風に楽しげな目をして太刀川を見ていた。
 今度こそ生身の肌が、小さく粟立って、そして体の隅まで熱い血が巡っていくような感覚がした。

 あの日見た迅の目の冷たさは、太刀川の知らないものだった。それ以降は会っても飄々と食えない顔ばかりをする迅の目にはかつての熱さは見当たらなくて、それが寂しくて納得がいかなくてむかついた。おまえそんなんじゃないだろ、もっと楽しそうで火傷しそうなくらいの目してたくせに、忘れたふりしてんじゃねーよ、と思っては、しかしそれを本人にぶつけるような気持ちにもなれず、ずっと心の内側に無理やりしまい込んでいたのだ。迅だって色々考えているだろうこと、本当に全部忘れたわけでは無いだろうことだって分かっていたから余計に何も言えなかった。
 時間が経つにつれその思いも少しは落ち着いてきて、迅に対してむかつくような気持ちもなくなった。全てに心から納得したわけではなかったが、気持ちの整理はある程度はできたつもりだったし、それ以降も迅ともそれなりの距離感での友人関係は続けてきた。
 ただかつて刃を合わせていた頃のように、相対して刃を合わせれば全部分かるような、全部分かられてしまうような。ランク戦のことになれば何よりも分かり合えて、迅の心に一番近くなれるような。あの日々から三年ちょっとが経って、あんな感覚はずっと遠いものになってしまったような気がしていたのだ。
 なのに。
 ――ぶは、と突然笑い出した太刀川に、迅は面食らったような顔をした。それでも楽しい気持ちは止まず、太刀川は小さく肩を震わせる。迅はぱちくりと目を瞬かせてそんな太刀川を見ている。
「おまえさ、変わってないな」
 太刀川が言うと、迅は戸惑ったような声で返す。
「え、なにいきなり」
 そんな迅の様子がおかしくていやに年相応に見えて、そういえばこいつ年下なんだよなあ――なんて久しぶりの感慨に浸れば太刀川はまた楽しくなってしまって、くつくつと笑いながら先程よりも少し大きな声で続ける。
「あーやっぱ全然変わってない」
「……連呼されるとなんか成長してないって言われてるみたいでちょっとムカつくんだけど」
 迅が拗ねたように唇を尖らせる。顔立ちも高校生の頃よりずっと大人っぽくなったはずなのに記憶の中のあの頃と今の迅の表情が太刀川の中で重なる。そうだ、俺はあのころ迅のこういうところをかわいいやつだって思っていたんだ。そう言えばさらにへそを曲げられてしまいそうだったから、一度も言葉にしたことはなかったけれど。
 知らない顔だと思った。変わっていったような気がしていた。
 けれど実際はこの男の内側にあるものも、それに高揚する自分自身も、きっとこの三年ちょっとの間、なにひとつ変わっていやしなかった。
 それが楽しくて、嬉しくて、どうしようもない。
 ふは、と最後にまたひとつ笑った後、改めて迅の目を覗きこむようにして見つめる。迅の青い目の奥、高い温度を灯したままのその真ん中に、太刀川が映っている。迅は少しだけ驚いたように瞳を揺らした後、しかしその視線は逸らされずにまっすぐに太刀川を見つめ返してきた。そんな些細なことがこんなにも太刀川の気持ちを満たす。
「いいぞ、俺がおまえのポイントたっぷり貰ってやる。ランク戦ブース来るときは連絡しろよな」
 そう言ってやると、迅が「ええ?」と呆れたように肩を竦めた。だというのにその目はやっぱり楽しそうにきらりと光る。
「太刀川さん、おれの話聞いてた? こっちの台詞だっての。……連絡、まぁできるだけはするよ」
「言ったな。絶対だぞ」
「できるだけ、ね」
 太刀川がわざと言葉を変えて念押しすると、迅が太刀川に言って聞かせるような口調で訂正する。なんだよ、とわざとらしく太刀川は唇を尖らせると、迅がおれだってそんな毎日暇してるわけじゃないのと再び肩を竦める。その言い方だと俺が暇人みたいじゃないかと言おうかと思って、しかしランク戦以外の趣味らしい趣味もないからあながち否定もできないような気がしてしまう。
 言葉が途切れて、再び正面を向いて歩いているとまた小さく風が吹いた。冷たい風が太刀川と迅の髪の毛を軽く揺らす。は、と小さく息を吐くと夜の空がそこだけ白く濁ってからゆっくりと溶けて透明になっていく。真冬だ。夏の名残がそろそろ消えようかというあの秋の日からは、随分と遠い冬。
 しかし今また、目の前には迅がいる。
「迅」
 名前を呼ぶと、もう一度迅が太刀川の方を見た。あのときと同じ青い目をして、迅の目の中には、太刀川ただひとりが映っている。
 息を吸う。口を開いて、迅に言う。
「待ってるからな」
 太刀川の言葉を受け取った迅は、ぱちりとひとつ瞬きをした。数瞬、そのまま太刀川を見つめる。そうした後にようやく、迅はゆっくりと口を動かした。
「うん」
 その返事に満足して、太刀川はふっと口角を上げる。迅もそれにつられるみたいにして目を細めて口の端を緩めた。
 二人分の足音が静かな警戒区域の中に響く。そろそろ警戒区域の外に出る。そうしたらすぐ十字路で、迅とは別方向だ。長い、盛りだくさんの一日がそろそろ終わろうとしている。
「……、ありがと」
 ぽつり、と、ともすれば聞き間違いのような小さな声で迅が言った。思わず再び目線を向ければ迅がまっすぐにこちらを見ていたので聞き間違いではないと知る。
 深い色をした青色が、目の前で小さく瞬く。やわらかくてひどく熱いその光が、太刀川をとらえる。
「――べつに、お礼言われるようなことなんてしてねーよ」
 素直な感想として、太刀川はそう言ってやる。すると迅はくっと小さく笑ってから、「うん、そう……そうかもね。なんでもない」なんてひとりごちるように言うのだった。



(2021年12月18日初出)


お題:「3年ちょっと」「まなざし」




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