手に持ったビニールの袋が二つ擦れて小さな音を立てる。階段を上がっていくとかん、かん、と金属の小さな音も合わさって、まだ夕方と言っていい時間だというのにすっかり暗くなった住宅街に迅の立てる音が落ちていく。
 むき出しの手や鼻の頭に触れた真冬の空気がひやりと冷たい。しかしアパートの二階から見渡す周囲の家々には柔らかな明かりが灯っていて、それぞれ思い思いの年末を過ごしていると思うとこの寒い中でもなんだか心があたたまるような心地になるのだった。
 言われた時間をあえて少しだけ過ぎたのは、あまり早く着きすぎるといやに張り切っているみたいで恥ずかしいと思ったからだ。あの人が気にしなくても、おれが気にする。そんな風に小さなプライドを気にしている自分があの人のおおらかさと比べてまた少し悔しく思ったりもするのだけれど、まだまだあの人に対しての感情の大きさとか自分の中のプライドとか、そういうものをうまく処理できるほど自分はあの人に対してだけは大人にはなりきれていないのだった。
 チャイムを鳴らすとすぐに中から足音が聞こえてきて、ガチャリとドアが開かれる。すっかりまた見慣れた顔が目の前に現れる。
「迅。おつかれ」
「大晦日まで防衛任務おつかれ、太刀川さん。持ってきたのと、買ってきたよ」
 そう二つの袋を掲げるようにして太刀川に見せてやると、太刀川は表情を小さく緩ませた。「おー、助かる」と言う太刀川をいやにかわいく思って、迅は自分のちょろさに少しだけ呆れる。

 手に持った袋の中身は、片方は商店街のお総菜屋さんで買った天ぷらとコロッケ、もう片方は玉狛から持ってきた余りもののかまぼこやらネギやらちくわやら何やらだ。どうせ少し余るからと持たせてくれたレイジさんや支部長の気遣いがありがたいやら気恥ずかしいやら、しかしそんな迅の微妙な葛藤なんてどこ吹く風で、太刀川は少しだけ上機嫌な様子でコンロの前に立ってうどんを茹でている。
 もう具材の準備は終わっているので、迅は太刀川の「こたつ入ってていーぞ」という言葉に甘えて居室でぬくぬくとこたつに入らせてもらっている。こたつの天板の真ん中にはカゴに入ったみかんがこんもりと乗っかっていて、視えてはいたもののあまりのテンプレートな景色に「わぁ」と思わず笑ったら太刀川には「定番だろ?」なんてどや顔で言われてしまった。
 テレビの中では大晦日恒例の長時間の特番が放送されている。音楽番組、バラエティ、スポーツ番組……玉狛ではいつも音楽番組を点けているが、迅自身は特に番組にこだわりがあるわけでもない。何か面白いのあるかな、なんて適当にザッピングしているところに、太刀川がほかほかと湯気の立ったお椀と箸を二つずつ手に持って居室に戻ってきた。
「できたぞー」
「お、ありがと」
 お椀と箸を一セット分受け取ると、その熱が伝わって手のひらがじんわりと熱さを感じる。天ぷらと卵、それにかまぼこにねぎにちくわにと玉狛から持ってきた食材もたっぷり乗っかった、普段太刀川の家で食べるより随分と豪華なうどんだ。まあ年末最後の日くらいはね、と思って迅もこうしてレイジさんや支部長の言葉に甘えつつ色々持ってくることにしたのだ。
 太刀川も自分の分のお椀を天板の上に置いた後、もう一度キッチン兼廊下に戻っていく。冷蔵庫が開いて、閉じる音。そうした後太刀川が、にまりと悪戯っぽい表情を浮かべて再び居室に戻ってきた。
「飲むよな?」
 その手の中には二つの缶。白地に金色のロゴが印字されている。去年までは迅は飲めなかったもの、今年初めての年末の楽しみだ。
「もちろん」
 その表情を真似るように口角を上げて迅も返すと、「よっしゃ」と満足そうに太刀川が笑って迅に缶を手渡した。太刀川も缶を持ったまま、迅の正面に腰を下ろしてこたつの中に入る。お椀とは対照的にきんきんに冷えた缶のプルタブを引くと、ぷしゅ、と炭酸が抜ける音がした。ほとんど同時に二つ分。
「それじゃ、かんぱーい」
 缶同士を軽くぶつけ合わせると、軽い音がテレビの中の賑やかな音に重なる。そのまま口に運ぶとしゅわしゅわとした炭酸と共に独特の苦さの混じった味がする。正直、この味がまだ特段好きというわけではない。しかし嫌いなわけでもない。どちらかといえば迅は、現時点では味よりもこうしてお酒を飲み交わすということそのものに価値を見いだしている節があった。なによりその相手が、太刀川であるということが――一歳差という埋めようのない距離が少しだけ縮まったような、時々迅に対して年上ぶって遊ぼうとする太刀川に対して、自分もそっち側に来たんだぞと言えるような気持ちになれるからだというのは子どもっぽいからと太刀川本人には言わないことだ。
 ビールで喉を潤した後は、年越しそばならぬ年越しうどんだ。別にそばにこだわらなくてもいいのではないか、同じ麺類なんだし、とかなんとか太刀川が言い出して、しかし迅も別に年越しそばに対してこだわりがあるわけでもなければ験担ぎをするようなたちでもないので、じゃあ別にうどんでいいかということになったのである。
 まだ薄く湯気の立つお椀の中に箸を入れてうどんを啜った。ビールで冷えた口の中を、入れ替わるようにうどんが暖める。優しいだしの味がじわりと沁みていく。

 大晦日を玉狛以外で過ごすというのは、ボーダーに入って以来迅にとって初めてのことだった。
 親を失って引き取られるような形でボーダーに入ったから、玉狛が現在の迅の実家のようなものだ。玉狛支部所属のメンバーのうち、別に家がある通いのやつらは年末年始は家で過ごすが、迅のように玉狛に住んでいる人間は当然支部で過ごしてきた。シフトによっては防衛任務をしながら年越しする年もあったが、基本的には玉狛住み込みのメンバーでのんびりだらだらと年越しをするのが常であった。
 今年もそのつもりだったのだ。太刀川に声をかけられるまでは。
 年末年始くらいは実家がある者はできるだけ帰省したり、家族や大切な人とのんびり過ごしたりできるように、とボーダーなりに配慮をしようという意思はある。しかしそうすると元々人手が足りているとは言えないボーダーだ、年末年始の防衛任務が手薄になりかねない。玄界ミデンが年末年始だろうと近界ネイバーフッドにとっては関係はない。二十四時間三百六十五日、こちらの都合など関係なくやってくるトリオン兵、あるいは近界民ネイバーに対して警戒を完全に解くことはできない。
 そういう時の防衛任務で白羽の矢が立つのは、帰省する必要がないか帰省の時期をずらしても問題ない人間、あるいは年末年始だからどうだとかを気にしない人間、そして年長者だ。つまり、迅や太刀川なんかはうってつけである。
 どちらも年末年始だからなんて気にするようなタイプでもないし、迅は玉狛が家、太刀川は三門市内に実家がある。これまでだって年末年始に防衛任務に駆り出されることはよくあったし、今年も例年通り打診されて二つ返事でOKした。太刀川はつい先程まで、大晦日の昼から夕方にかけての防衛任務シフトで、迅は元日夕方からの防衛任務シフトが入っている。その後は太刀川が深夜から二日の朝にかけてのシフトだ。
 いつも通りの年末だ。そのはずだったのだけれど。
「大晦日暇ならうちで年越ししよーぜ」、そんなことを言われたのは十二月に入って少しした頃、たまたま本部の廊下で会った時だった。
 太刀川の実家は三門市内だ。ボーダー本部からは近くはないが、高校生の頃は実家から通っていた。だからてっきり太刀川は防衛任務終わりに実家に帰って家族と過ごすものだとばかり思っていた――実際、去年はそうしていたと聞いていた――から太刀川の突然の提案に驚いた。目の前に閃いた未来視は、太刀川が今一人暮らしをしているアパートでこたつに入りながら二人でだらだらと年越しをしている画である。こたつの上には山盛りのみかんが乗っかっていて思わず笑いそうになってしまったが。
 話を聞けば、太刀川の両親が年末年始は商店街の福引きで当たった旅行券で旅行に行くことにしたので家を空けるのだという。それもまあなんとすごい確率を引き当てたものだと思うが、まあつまり年末年始も息子は防衛任務でバタバタするから、帰省するのはもうちょっとゆっくりできる別の時期にしてもらって自分たちは自分たちでのんびりしようということになったらしい。なんだかんだ実家にはちょくちょく顔出してるから、わざわざ年末年始にこだわる必要もないしなーというのが太刀川の談である。
 ということで年末年始も帰省せずに一人暮らしのアパートで過ごすことになった太刀川は、一人で過ごすのも暇だから迅も暇なら来いよ、ということでこうして迅を誘うに至ったらしい。
 まあ、暇かそうでないかといえば暇だ。というか、年末年始だろうといつも通りである。いつもと違うことといえば、年越しそばやら正月らしい各種ご飯の準備をするレイジさんの手伝いをちょこっとするくらいで、後は特段やることもない。だから太刀川の誘いに対して断る理由も躊躇う理由も何もないはずなのだ――ただ一点を除いては。
 迅は今年も当然玉狛で年末年始を過ごすだろうと頭数に入れられている。太刀川からの誘いがなければ勿論そのはずだった。しかし外で過ごすとなれば、食事の準備などもあるから事前に伝えておかねばならない。
 もう子どもという歳でもなし、そして気心知れた玉狛のメンバーだ。不要に詮索されたりということはないだろうが、しかし急に今年は外で過ごすよと言えば多少なり驚かれるだろう。
 普段も迅が夜中に出歩いたり外泊したりというのも何も珍しいことでもない。別に一言伝えるだけだ。悪いこともやましいこともないはずなのに――いや、やましいことは少々あるかもしれないが――それを伝えるのを妙に気恥ずかしく思った。
 だって、恋人だ。
 太刀川は迅の好きな人で、恋人で、今だってずっと焦がれて、呆れるくらいに恋をしている。
 年越しに対して特に迅は強い思いやこだわりがあるわけでもないと思っている。しかしそんな相手と一年の終わりと始まりの、世間的にも少なからず特別とされる時間を二人で過ごせると思えば、流石に浮き足だってしまうのも仕方ないだろう。
 未来視の中の太刀川はいつも通りのようでいて、どこか迅と同じくらいに楽しそうで、上機嫌に笑っている。
 そんな未来に誘われて、断ろうなんてひとつも思えなかった。
 太刀川の誘いにその場で首肯すれば、太刀川はその感情が読み取りにくいと言われることの多い格子の瞳の奥を嬉しそうに輝かせる。それをいやにかわいいなんて思ってしまった迅は、緩みそうになる顔をいやここは本部だと思い直してポーカーフェイスに務めたのだった。
 そうして玉狛で「今年は年越し外で過ごすから、おれの分のご飯はなくていいよ」とレイジや林藤に伝えた時は案の定二人はわずかに驚いた顔をした。本来はそれだけ伝えてあとはぼかしてもよかったはずなのに、何となくそれでは変に隠している気がしてどこか落ち着かなくて、先程よりも少しだけ小さな声で「太刀川さんちで過ごす」とそれとなく付け加える。
 そこまで言わなくたっていいはずだった。だけど今はなんだか彼とのことを、ごまかして隠したりしたくない気分だったのだ。
 それにも二人がぱちくりと目を瞬かせたのは年越しを過ごす相手のことなのか、それを迅が言ったことなのか、それとも両方なのかは定かではなかったけれど「わかった」とだけ返した二人の声音がどこか柔らかかったのをほんの少し気恥ずかしく、そして同時にありがたくも思った。
 ――そうしてなんやかんやで、どうせ余るから使えそうだったら太刀川と食えなんて言って玉狛での余りものの食材あれこれまでお裾分けしてくれる気遣いまでしてくれたのが、やっぱり気恥ずかしくもありがたかったりするのだけれど。

 しかしやっぱり貰っておいてよかった、と思う。具だくさんのいつもより豪華なうどんはとても美味しかった。太刀川も満足げな表情で、今度お礼言っとかなきゃな~なんて笑っていた。
 今はうどんも食べ終わって食器も片付けて、こたつの天板の上にはビールとみかんだけが残っている。酒に弱い方の太刀川は、ビールの缶を一本飲んだ時点でほんのり顔が赤くなっていた。頭はある程度しっかりしていても、先に顔に出るタイプなのだと以前本人が話していた。とはいえ迅も酒の強さに関しては太刀川と同じくらいなので、缶二本目を空けた今の時点でもう体がぽかぽかと温かい。自分では見ることはできないけれど、きっと太刀川と同様に自分も顔が少し赤くなっているだろう。こたつに入っているから余計にあったかい。こたつの中で足を小さく動かすと太刀川の足に軽く当たって、太刀川がなんだという顔でちらりと目線を向けてくるのが妙にかわいく思えて小さくくっと笑った。
 何となくつけていた音楽番組が終わって、つけっぱなしにしたままのテレビの中では年越しに向けて今年を振り返ったり全国各地の寺院を中継したりという風景が流れていた。それを見ながら迅はみかんの皮を剥いて口に運ぶ。地元三門市産のみかんは酸っぱさが少なく、噛むと果肉が弾けるようにして口の中に甘さが広がった。
 もうあと数分で今年が終わるらしい。
 テレビの中の厳からしい風景を眺めながら、ビールの缶を軽くあおった。だいぶ軽くなった缶を元の位置に置いて、そして今度は太刀川の方に視線を向ける。正面に座っている太刀川も、先程の迅と同じように皮を剥いたみかんをぱくりと口の中に放ったところだった。
 彼との距離が再び一気に縮まったのは、ちょうど一年ほど前。玉狛のかわいい後輩である遊真のブラックトリガー奪取の命により太刀川と久しぶりに本気で刃を交え、そしてその後迅がA級に戻ってランク戦に復帰をしてからのことだ。
 S級になりランク戦を離脱して以降なんとなく微妙に開いていた距離は、三年ちょっとのブランクなんて感じさせないほど驚くほどあっという間に戻った。かつてのような距離でまた気安く接するようになったのが楽しくて、どこか浮かれていて、だから――三年ちょっと前に心の奥に押し込めたはずの感情の芽がうっかりまた頭をもたげてしまったこと。そしてそれに気付いた、それは「恋」というラベルをつける類のものなのだと自覚した瞬間にはもうそれは自分ではどうしようもないほどに膨らんでいた。
 一緒に居るのが楽しい、から、この人の隣に居るのはおれがいい、になって。もっと色んな顔を知りたい、触れたい、触れてその内側にあるものも全部を見たいだなんて自分でも性質が悪いと思う凶暴な欲をも、太刀川は「いいぞ」なんて言って笑い飛ばしたのが今年の初めの頃、まだ寒さの残る時期だ。呆気に取られて何も言えなくなった迅に対して、「俺もそう思ってた。そう言うならおまえも全部見せろよな、迅」だなんて宣戦布告めいた言葉すら付け加えて。
 あれから気付けば季節が一回りしようとしていて、こうして当たり前みたいな顔をして、当たり前じゃない時間がここにある。
 テレビの中で一年の振り返りみたいなことをしているから、柄にもなく感傷的になってしまうのかもしれない。誤魔化すみたいに、みかんの最後の一切れを口の中に放る。噛むとぷちぷちと果肉が弾けて、ビールの苦みを上書きするように甘さがまた口の中に広がっていく。
 太刀川とたくさん戦って、たくさん一緒の時間を過ごして、熱の通う生身の温度にも触れて、色々な顔を知って、こうして互いの隣にいるのが当たり前みたいになって。そんな一年だった。あのどこかピースが欠けたままのような心地を抱えていた三年ちょっとの日々を思えば嘘みたいで、でも本当の一年だ。それが自分でもちょっと気恥ずかしく思うほどに嬉しくて、そして――
「楽しかったなあ、今年」
 気付けばあと一分もしないうちに年が明ける。今年が終わって、新しい年が始まる。そんなタイミングで、しみじみとした口調で太刀川が言う。まるで迅とシンクロするようなその言葉に、どきりと心臓が小さく跳ねた。太刀川の瞳が少し遠くを見て細められる。
 同じことを思っている。そう思えて、じわりと心の内に熱が灯る。
「……うん」
 ごぉん、とテレビの中から鐘の音がした。続いてアナウンサーの朗らかな「明けましておめでとうございます!」の声が続く。二人同時に画面に目を向けてから、鏡映しのようにして再び顔を互いの方に戻した。
「お、明けたな」
「明けたね」
「明けましておめでとう」
 そうぺこりと妙に恭しく挨拶をしてくる太刀川に、迅も倣って「あぁ、明けましておめでとう」と同じように軽くぺこりと礼をして返す。そんな様がどこか面白くて口角を緩ませると、太刀川も似たような楽しげな表情をしていた。格子の瞳が、――ずっと、きっと恋情を自覚するよりも前からずっと焦がれ続けたその深い色をした瞳が、目の前でまっすぐに迅を見つめる。楽しげで柔らかい色を湛えたその目に、自分でも驚いたのだけれどほんの一瞬見惚れてなんてしまった。
「今年もよろしく」
「……うん。今年もよろしく」
 当たり前のように口にした言葉が、じわりと自分の中に跳ね返って沁みていく。
 そう言える今が当たり前じゃないと知っているからだ。
 自分がS級だった頃、太刀川をあえて避けていた時期があった。嫌いになったなんてわけじゃ決してない。ただ、会うとあの頃の気持ちに引き戻されてしまいそうで、自分の決意が揺らいでしまうんじゃないかと思って、太刀川とできるだけ顔を合わせないようにしていた。それを苦しいと思う気持ちは年々薄らいで、しばらくしたらまた会えば軽口を叩き合うくらいの距離感には戻れていたけれど、しかし心のどこかで意識的にでも無意識にでもブレーキをかけていたのだと思う。今振り返ってみれば。
 だけど、もう何の遠慮もしなくていい。
 こうして好きだと思う気持ちのままに近付いて、互いが互いの隣を選んで、当たり前みたいに「今年もよろしく」なんてありふれた言葉を言い合って。この人と共にある今を、これからを、願って欲しがって手を伸ばしていいのだということに気付かされて、指先まで熱が染み渡るようだった。
 そして同時に、また来年もその先もこんな風に言い合いたいなんて思って、自分の中のもっと大きな欲にも気付かされる。
(……あー、おれ、ずっと太刀川さんと一緒に居たいって思ってるんだ)
 今年だけじゃ満足できない。来年でも足りない。もっとずっと、その先まで、ふたりで居たい。心の内で言葉にしてしまえばすとんとその欲望が自分の中に落ちてきた。
 離れていた三年ちょっとの間、平気でいられたと思っていた。最初は寂しいと思う時期もあったけれど、あの人がそばにいなくたってやっていられた。それなりに楽しくは過ごしていたし、強がりでもなんでもなく大丈夫だと思っていた。
 だけどまた距離が縮まって、こうして彼の特別の位置に居られるようになればあっという間に欲が出た。それに納得するのと、呆れたので半々だ。一度その味を知ってしまえば、もっともっとと欲しくなってしまう。
 この先もずっとなんて言葉を使うのに、まだ二十歳だと、そんな言葉を使うには早いなんて言われればそうなのかもしれない。だけどもう、自分にとって太刀川以外にこんなにも欲しくて特別で大切でたまらない相手なんていないだろうと確信していた。
 顔が熱い。元々お酒のせいで熱かったけれど。けれどこれが誤魔化しようもない本心であることは、何よりも自分自身がよく知っていた。
「あ、ビールなくなった」
 缶をあおった太刀川がそう言ってから、取ってくるかあ、と呟いてこたつから緩慢な動作で立ち上がる。
「……あー、じゃあおれも」
 迅も残り僅かになった缶の中身を飲み干して、太刀川に続くように立ち上がった。
 別に缶を持ってくるくらい、二人で連れ立って行かなくたっていい。お、と少し意外そうな顔をした太刀川は、しかしそんな迅の行動に何も言うことはなかった。
 空になった缶を片手に持って冷蔵庫のある廊下に出ると、触れた床も空気も居室よりもひやりと冷たい。のろのろと二人で並んで歩きながら、一人暮らし用のアパートの狭い廊下だ、缶を持っていない方の手の甲がちらりと触れる。その大きな手が一瞬触れて、離れて――離れきる前にその指先に自分の指を絡ませた。軽く引き寄せるように握ると、太刀川のぽかぽかとあたたかい体温を肌で直に感じる。そんな迅の行動に、太刀川の顔がこちらを向く。視線が絡んだ瞬間に、顔を寄せて唇を触れ合わせた。
 唇が離れて、すぐ近くで顔を見合わせて、太刀川がふっと目を細める。
「新年初だな。キス」
 そう言った顔がいやに楽しそうで、うれしそうで、愛しさで心臓が小さく音を立てた。
 思わず絡ませた手にきゅっと力を込める。それを合図にしたみたいに、今度は太刀川からキスをされた。まるでじゃれつく動物のようなその仕草に、また今日も、今年も、そしてきっとずっとその先だって何度でも好きだと思わされるのだ。





(2021年12月24日初出)


お題「年の瀬」




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