息もできないほど
一度重ねたら離すのが惜しくなんてなってしまって、呼吸が苦しくなってからようやく迅は唇を離した。絡めていた舌の先から唾液の糸が零れる。呼吸が苦しかったのは太刀川の方も同じのようで、吐き出された息は荒い。いつも泰然として、動揺することなんてないんじゃないかとすら思えるような彼のこんな姿は珍しくて――こんな時にしか見られないもので、そう思えば胸がぎゅっと痛いほどに鳴った。
「っ、は――あ、あ、ッ」
衝動から意識を逸らそうとでもするように、腰を押しつけるみたいに動かすと整わない呼吸のまま太刀川が喘いだ。額には汗が浮いて前髪が貼り付いて、頬は上気して、その瞳は性感のために普段よりもうっすらと水気を纏っているように見える。そんなこの人の姿も、内側の熱さも、声も、繋がった部分から零れる淫猥な水音も、ベッドの上のこの濃密な空気も、全部が迅を煽ってやまない。ぐっと唇を軽く噛みしめると、そんな迅を見た太刀川が小さく笑う。
「こんなもんか? 迅」
そんな言葉で迅を煽った太刀川は、目を細めて言葉を続ける。
「『今日は優しくできない』んじゃなかったのかよ。おまえまだセーブしてんだろ」
家を訪れて早々太刀川をベッドに引き倒した時に言った言葉を口にして、太刀川が挑戦的に迅を見据える。自分の内側に入られて、散々中も外も嬲られて、そんな最中になおそんな風に迅に挑みかかるような目をしてくる太刀川に、この人はどこまでもこの人なのだと思う。そういうところにすら、この人が好きだと思い知らされる。そんな自分が少し嫌になるくらいに。
お互いになんだかんだと予定が合わなくてしばらく会えていなくて、体を重ねるどころかその手にすらなかなか触れられてもいなくて、有り体に言えば欲求不満だった。その上このところ色々バタバタと忙しなく動いていたから少しだけ疲れてもいて、この人の顔が見たいなんて思ってしまって、今夜会えそうだと知ったらどうしても我慢ができなかった。だから、軽く連絡をして家に来てすぐにこうして性急に肌を触れ合わせた。
しかし、太刀川の言うことも図星だった。あんなふうに宣戦布告のように言ったものの、まだ必死で自分の中のわずかな理性が欲のままに彼の体を暴きたい気持ちをギリギリで抑えていることも確かだ。
自分でも滑稽だと自嘲する。けれど彼の肌に触れる度に気付かされる、自分の中に湧き上がっては止まらない欲と衝動に、もし本当に理性なんて手放してしまったら自分がどうなってしまうか分からなかった。
「……太刀川さん、随分余裕だね?」
あえてそんな風に煽るような言葉をぶつけてやる。今にも外れてしまいそうな箍から、自分の気を逸らすためでもあった。
『ねえ、ごめん。今日、おれ優しくできないよ』玄関先で押しつけた唇を離して迅がそう言ったとき、太刀川は恥じらうでもなく恐れるでもなく、嬉しそうに笑ったのだ。
迅がどんなに欲に任せてひどくしたって、太刀川が受け止めてくれるだろうことなんて、もう知ってる。本気で嫌なら言うから、おまえの好きなようにしろなんて初めての夜に言ってのけた太刀川の気持ちも本当だろう。体格もほとんど変わらない男同士だ。本気で嫌なら拒むことだっていつでもできるだろうし、太刀川はそういうところで遠慮をするような人間でもない。
だからこんな風に躊躇っているのは、迅のエゴとプライドだ。好きだから、大事にしたい、というエゴ。
この人に甘えきりたくない、自分の欲に溺れてひどくしたくないという思いと、受け止めて欲しい、何もかもぶつけてぐちゃぐちゃに溶け合ってしまいたいという思いが同居して、ぐらぐらと迅の中で天秤がずっと揺れている。
腰を動かして先端で太刀川の弱いところを擦ってやると、太刀川が色の乗った声を零す。はあ、と短く吐き出した息の後に、太刀川が言葉を返す。
「余裕、っ、ぶってんのはおまえの方だろ。そんな顔しといて、バレバレなんだよ。なあ」
自分がどんな顔してるかなんて知らないよ、と答えようとしたところに、首元に回された腕でぐっと引き寄せられた。抵抗する暇もなく耳元で、低い、甘ったるい凶悪な声で太刀川が囁く。
「全部寄越せよ。俺に」
ばちん、と何かが切れるような音がした気がした。実際に何かが切れたわけじゃない。自分の中で必死で繋ぎ止めていた糸を、たった一言で千切られてしまった。
「――ぅあ、あっ!」
急に激しく律動を開始すると、太刀川が声を上げた。ベッドのスプリングが揺れる。慣らす作業にかける時間を短くした分いつもより多めに使ったローションがぐちゅぐちゅと音を立てて結合部から零れ落ちていく。太刀川の喘ぎ声の合間に耳に届く、自分の呼吸の音がひどく獣じみていて笑えてしまう。指先まで痺れさせるような嬉しさと、背伸びしきれない子どもみたいな悔しさと、どうにかなりそうな欲望と、全部混ざり合って、自分でも自分がどんな気分なのかうまく言葉にできそうになかった。
(全部、なんて、ほんとにわかってんの)
この人は分かってない、なんて思ってしまう。おれがどれだけこの人の一挙手一投足に翻弄されているか。どれだけ惚れ込んで欲を掻き立てられているか。どれだけ、欲しくて知りたくて触れたくて、いつまで経っても底の見えない欲の制御が外れてしまったらと自分でも分からなくて怖さすら覚えているか。
衝動のままに噛みつくみたいにキスをした。太刀川は拒まない。今度はすぐに唇を離して、「太刀川さん」と名前を呼ぶ。その声色は随分切迫していてひどいものだったのに、その声が太刀川に届いた瞬間内側が小さく締まったのに気付いてしまって、どうしようもできないほどの感情がまた自分の内側を揺さぶる。乱れた前髪が落ちてきて邪魔に思えて、手で乱暴に掻き上げてから良好になった視界で太刀川を見る。視線が絡む。太刀川の、底の知れない格子の瞳の奥に必死な顔をした自分が映っている。
「ホント、ばかみたいに好きだよ、あんたのこと」
まるで降伏宣言みたいに迅が口にする。そうしたら太刀川は目を細めて、そんな迅すら受け止めてやろうかとでもいうみたいに、満足げに笑うのだ。
バレンタインポストで「欲望に素直になれるチョコ」というチョコを頂いて
そこから欲望に素直になる19歳エリート萌えがかっとばしてしまって書きました。
その節はありがとうございました!